仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第06話
安政二年(1855年七月十五日)
下田 亜米利加領事館
「お初にかかる、徳川慶喜である」
「こちらは、タウンゼント=ハリスである」
「まず、貴国である亜米利加の要求を聞きたい」
「日本と亜米利加との間で通商条約を結びたい。これ一点である」
「では、日本として返答をしたい。時期尚早であり、今回は条約を結ぶ準備ができていない」
「では、日本は大英帝国と戦争になってよいといわれるのですね」
「ふむ、それは仏蘭西が手を差し伸べてくれることになった」
「それはおかしい。現在、大英帝国と仏蘭西が協議していることは、清が閉鎖的社会でありさらなる開国を求めることであって、鎖国を容認するものではない」
「我々は、亜米利加と通商条約を結ばないと言ってるのであって、仏蘭西と協議しないとは言ってない。つまり、こちらとしては条件が整い次第、仏蘭西を相手に話をするつもりである」
「その条件が整えば、亜米利加との話し合いにも応じていただけますかな」
「むろん」
「では、その条件次第では我々も一旦引き下がる余地はありますが、その条件を教えていただけますかな」
「まず第一に、我々は貴国に貴殿のような領事を赴任させていない。我々としては、少なくとも亜米利加、英吉利、仏蘭西、独逸、露西亜、阿蘭陀に領事を派遣しない限り貴国とは対等でない。よって、平等な条件を獲得しない限り、話し合いに応じられない」
「第一の条件は了承した。我々としては、各国に領事を派遣するのを待つ用意はある」
「それだけですかな?」
「次に、開国をするにあたって、庶民が困窮するような事態は避けたい」
「具体的には?」
「我が国にも貴国が求めるものがあるでしょう。例えば、清国に匹敵するような品質の生糸とか」
「確かに品質は良好でした」
「では、開国した場合、貴国がごそって買い取った場合、我々がそれを止める手段はもちえていますか?」
「それは、経済である。金を出せば買えるのが商売というわけである」
関税をかければよいとはいえぬ。関税する権利は我々亜米利加になくてはならぬ。
「確かに一国の中ではそれが平等というものです。しかし、我々は日本を預かっている義務がある。亜米利加に生糸を買い占めされたので皆さん、錦を着ないでくださいとはいえません。逆に問おう。貴国でこのような事態を避ける場合、どうされますか」
「生糸を増産して庶民に生糸が出回るようにいたす」
「それは、今現在増産に手間がかかる故、しばし猶予を求めるという日本の立場とどう違いますかな」
「うっ、それでは第二の条件を開国の準備ができていないという理由というわけですな」
「そうなりますな」
「他に条件があれば問いたい」
「我々は、貴国より良い条件を提示する国と条約締結交渉をしてもよいはずだ」
「確かに、大英帝国がひたひたと迫っている状況でなければそれは通用するでしょう。しかし、我々亜米利加は、そのような事態を避けるために通商条約を結んで、戦争を迫られる事態を事前に回避させようとしているわけです」
「我々は、貴国にそれは望んでいない。その話が来れば仏蘭西に話をもってゆく。我々にはそのような権利がないといわれるのですかな。改めて問いたい」
「権利はありますが、清国と大英帝国が戦争をするような事態になれば、仏蘭西との交渉もできなくなるでしょう」
「なぜ?」
「清国の次に日本を狙っている大英帝国が日本の国旗を掲げた船を臨検し、交渉できなくなるからである」
「それはおかしい。通訳をしているジョン=万次郎殿にききたいがそのような事態になるといえるかな」
「わたくしが答えるには、戦争当事国でない国の船を臨検する権利はたとえ大英帝国であろうとありません」
「ハリス領事、通訳をしているジョン=万次郎殿は、日本で一番貴国である亜米利加を知っている人物だ。彼がそのような事態にならないと言っているのだから、我としても戦争回避をする交渉を仏蘭西とすることに変化はないと答える。それでもなお、亜米利加は戦争をしてでも我が国を開国させたいのでしょうかな?」
日本だけなら戦争をすることになりましたと本国に連絡してもよい。しかし、仏蘭西が日本側につくとなると私の交渉範囲では返答できかねる。今現在、前言をひっくり返して関税自主権を日本が手をして、国内産業を守ればよいといっても、徳川慶喜は亜米利加を信頼しないであろう。困った事態になった。
「‥‥‥」
「沈黙は肯定とみなします。このまま、貴国が戦争を仕掛けてきた場合、我々は仏蘭西にその回避策と万が一の同盟協定を求めるだけである。よって、今後貴国との間で通商交渉はおこなわない」
「‥‥‥」
二人は、どうにか握手をしてその場を後にした
「ハリス領事、この後どうされますか」
「仏蘭西が話に出てきた地点でかなりまずいとは思っていた。今まで、島国根性の小心者を脅しておれば話はすんだ。しかし、国外を見てきたというだけで互角の話し合いを強いられた。今後、脅迫では通商条約の締結には仏蘭西が消滅でもしない限り、難しいであろう。本国には誠意を見せる者が、仏蘭西との通商条約後に必要であると報告しておく」
「承りました。では、大統領あてにあずかりました、北斎作の裏富士十枚はどうされますか?」
「次の便に載せて大統領に送れ、その際、報告書も同封しておく」
「では、梱包作業に入らせていただきます」
水戸藩江戸屋敷
「殿、亜米利加との通商交渉は無期延期となりました」
「うむ、でかした。で、後ろにいる人物はどなたじゃ」
「ははっ、此度の通訳を務めましたジョン万次郎と申します」
「私は、パリに残った渋沢殿にかわり臨時会計係を務めています塩飽万丈と申します」
「噂はかねがね聞いておる。現在、旗本であったか」
「その通りでございます」
「万丈殿はひとがよいのう。幕府の用事を押し付けられ、さらに一橋家の家臣代わりをさせられているとは」
「いえいえ、西洋船を唯一知る人物であるジョン殿との会話はこれからも役に立ちます。それに我々塩飽衆は、九月には観光丸に乗って再び阿蘭陀に旅たつ身ですゆえ」
「ジョンと私は、日本人として丘蒸気に乗った第一号と第二号という関係です」
「そりゃ、奇妙な縁じゃな」
「私はハリスとの交渉において全権大使に任命されました。つきましては、ジョンが納得してもらえれば、このまま長崎海軍伝習所に赴任してもらい、英語と造船の講師として働いてもらいたい所存であります」
「ふむ、ジョン殿に問おう。お主、長崎にいく気はあるか」
「こちらこそ、喜んでお引き受けいたします」
「では、立場はどうするかな。旗本の身分のまま、もし万が一またしても幕府が切るようなことがあれば、一橋家の御用人となるがいい」
「ははっ」
「さて、ジョン殿にききたいのだが、アメリカではどんな職についておったのだ」
「捕鯨船に拾われた自分は、捕鯨を最初に習ったほか、金が見つかったところで金採掘もしました。亜米利加のすごいところは、建前ですが平民であろうと日本で言う将軍、仏蘭西で言う大統領になれますし、男女平等の考えが進んだ国であり、先進的なところはすばらしい国でした」
「では、捕鯨についてききたいのだが亜米利加式はどんな捕鯨なのだ?」
「亜米利加では、夜も煌々と昼間のように明るく油を燃やしています。その油の原料が鯨から取れるのであり、鯨油を求めて日本近海までやってきます」
「ジョン殿、もし、八丈島で亜米利加人が採った鯨を日本が受け取り代わりにその鯨から取れる鯨油を亜米利加人に渡すようになれば、亜米利加人は八丈島にやってくるか?」
「喜んでくるようになるでしょう、鯨油以外亜米利加人は捨てていますから、手間暇かかる鯨皮しぼりを日本人がやってくれるなら、鯨も手渡してくれるでしょう」
「では、日本人が沿岸捕鯨で採った鯨油も買い取るかな?」
「もちろんでございます」
「慶喜、お主は明日下田にもう一度でむいてこい。外交というものは相手をたてるすべがあるならたててやらねばなるまい。わしが言いたいことはわかったか?」
「はっ、亜米利加に鯨油の売り込みと八丈島での鯨油と鯨肉との交換交渉をしてきます」
「ジョン殿、明日もよろしく頼む」
「はっ」
七月十六日
下田 亜米利加領事館
「これは、慶喜殿、本日はどのようなご用件ですかな」
「貴国と我が国で交換したいものができたのでその交渉に参ったのだ」
「はて、我が国に求めるものは何でござろう」
「その前におたずねするが、もし、八丈島に日本の沿岸捕鯨で採れた鯨油を持参するとする。この場合、亜米利加人は八丈島に買い付けに参るか?」
「もちろん手間暇が省けて買います」
「では、八丈島でこちらは亜米利加が採った鯨を受け取る。亜米利加は日本人が採った鯨油を買い取り、亜米利加は鯨そのものを日本人に手渡し、鯨皮からの鯨油採取を日本人が行うという分業は成り立つか?」
「成り立つはずです。少なくとも八丈島に上陸できるのであれば、船員は喜んで上陸するでしょうし、補給も受けたい。さすれば日本人に鯨皮しぼりの仕事をさせるでしょう。しかし、日本のメリットはなんであるか説明をお願いできますか」
「日本人は、鯨の部位をすべて利用する。鯨一頭を受け取れば、食用にも工芸品にも骨の部位さえも使う。鯨油以外の部位があればありがたくいただく」
「いや、亜米利加にはない発想ですなあ」
「では、八丈島に下田出所をつくろうと思う。その島で補給品目の中に鯨油を入れておくというのでよろしいでしょうか」
「シェイク、シェイク」
「今日は、喜ばしい握手ですな」
「ええ、今日は来てよかった」
七月十八日 江戸城
「全権大使一橋慶喜殿より報告書があがってきています」
「うむ、御苦労。そちは下がってよい」
「パラパラパラ」
「む、むむぬう」
「堀田殿、このような策があったとはあのハリスの前にたつと、体を小さくして卑屈にしていた我々はなんだったんでしょうか」
「それはもうよい。とりあえず責任回避はできた」
「しかし、十四代目に慶喜を登用せよという声が一段と大きくなりそうですなあ」
「それはそれ。別問題である。慶喜は外交のみを担当させればよい。さすれば国外にいる時間も長かろう。その間に十四代目を決定しておけばよい」
「は、では慶喜を推す一橋派に対抗するには、血筋で押すのですね。十三代に最も近い者の登用をはかると」
「そのためにも、慶喜を国外に押しやるために必要な金の集まり具合はどうか?」
「方々の株仲間に『十年の猶予』か『売上高一割の税』かとこちらが迫りましたところ、全ての株仲間でスエズ運河に対する出資金という形で納得してもらいました。今の政治形態並びに世の中の仕組みがかわるのを商人どもは望んでいない模様でした」
「では、各藩に呼びかけた人夫の集まり具合はどうか?」
「各藩は二つ返事で了承をいただきました。割り当てた人数に自主的に参加する者が足りなければ、藩から藩令という形で厄介者の国外労働をさせるといってきました」
「さすれば、慶喜に期日までに金ができたと連絡せよ。人夫もそちが望んだ一万人を用意すると書いておけ。そのうち、西洋にいくあいさつに参るであろう」
「では、さっそくそのようにとりはかります」
七月二十日 水戸藩江戸屋敷
「はて、機関士はどういった連中を仏蘭西に遣るか、難問よの。ジョン殿にでも聞いてみるか」
「ジョン殿、捕鯨船の場合で構わないのですが、機関士になる人物はどういった特徴があるのでしょう」
「機械の数字を見ながら時には修理工の代わりをしなければなりません。修理工であれば油まみれになるのは当然です。そして石炭でほこりまみれになるのですから、どちらにしても服装からして黒くなります。特徴としては、体が煤まみれになろうと機械をいじることが好きなことでしょうか。後は、四則演算ができないとまずいのですが寺子屋に通っていたのなら大丈夫でしょうし、私の場合のように、大きくなってから学んでも問題はありません」
「いいことを聞いた。実は丘蒸気を走らせるために機関士を仏蘭西に学ばせつもりだ。十五人派遣するつもりなのだが、どういった人物を送るか迷っていた。単純に機械好きな人間を送ることにしよう」
「そうですねえ。後は、駅舎をつくる際、仏蘭西人ならファイアブリックという瀬戸物を使うでしょう。パリにいかれた若様ならパリの駅がどのような建築物でできていたかご存知のはずです」
「あーあ、あれか、赤い色で長方形の形をしていたものか。あれは瀬戸物だったか」
「今度、仏蘭西にいかれるのでしたら駅舎を建てる場合に使う建築材料に必要な物の情報収集とファイアブリックの見本を日本に持ち帰るとよいでしょう。案外、瀬戸物を製造する窯で簡単にできるものかもしれません」
「さすがわ、丘蒸気に乗った第一号だ。話が早くて助かる。水戸の城下町から機械好きな職人の弟子を募集することにしよう」
八月一日 水戸藩江戸屋敷
「慶喜、老中より書状がまいっておるぞ」
「九月末までに、二十万両の小判をスエズ運河建設資金として商人より出資させるものとする。人員は仏蘭西の要請があり次第、スエズに送る準備ができておるということですか」
「殿様、慶喜は十月一日をもって再び仏蘭西に行ってまいります。スエズ運河建設の詳細を詰めてきます。こちらが仏蘭西に出資すれば出資国に不利益を及ぼすような手立てを防いでくれるでしょう。また、丘蒸気を走らせる機関士候補十五名を引き連れて仏蘭西で学ばせてまいります」
「ふむ、無事に帰ってまいれ。丘蒸気の件は急ぐな。お主ばかりが注目を集める必要はないぞ」
九月八日 白い家
「大統領、ハリス総領事より報告があがってきております」
「通商条約締結に失敗するも、八丈島にて日本沿岸捕鯨で採れた鯨油の買い付け契約にこぎつけたというものか。ただでは転ばぬ男よのう。はて、同封された額はなんじゃ。こ、これは、北斎の裏富士ではないか。先月、ジョン=ジョンストンにこれよみよがしに見せつけられた北斎ではないか、あ奴は一枚。こちらは十枚。もらった」
「これを大統領からメトロポリタン美術館への寄贈品といたせ。まだ、開館前で収集中とのことだがこれを寄付すれば『さすがは大統領、目玉といえるような作品を惜しげもなく先頭を切って寄付された』という声が聞こえてきそうだ。うまいタイミングで転がり込んできたものだ」
「早速、手続きに入ります」
「慶喜もハリスもやり手やのう」
九月二十日 水戸藩江戸屋敷
「若様、江戸と大坂にある浮世絵を買えるだけ買い込んで観光船に載せました。目録をつくるだけで苦労しましたが」
「御苦労であった。後、他に載せたものは何か」
「こちらがその目録です」
「生糸に縮緬。有田焼に仏像、日本刀、それに根付か」
「若様はお持ちでございませんか。葵の御紋の入った印篭を」
「一応、一橋家も葵の御紋じゃ。もってはおる」
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