仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第07話

 安政二年(1855年七月二日)

 シャンゼリゼ

 「広よ、お主、やりたいことはないか」

 「あっしは、このまま万丈達、塩飽衆の一員として働いていければいいと思っていました」

 「では、質問をかえよう。万丈達はやりたいことはないのか?」

 「いつかこの仲間で交易に携われたらいいなと話し合ってました」

 「その方向でいかぬか。洋船を操れるようになり幕府御用たつという看板があれば海外と日本を行き来するだけでその話が実現しよう。後は、旦那を抱えて信用を積むことだが、長崎海軍伝習所を修了することがその第一歩か」

 「そういっていただけますと、地面に足がついた気がいたします。何やら、仏蘭西人が全て怪しい人間に見えてしまいまして」

 「富くじにあたったようなものだからな。普段通りにふるまえれば一人前さ」

 「迎えに来る船が到着するまで、銀行に金を預けておけばいいさ」

 「そうさせていただきます」

 

 

 七月十五日

 カフェ モンブラン

 「北斎を落札した人物がわかったって?」

 「なんと、亜米利加人だ。亜米利加第一号美術館を開く目玉にしたいから、ジョン

 ジョストンなる人物が買い付けてしまったようだ」

 「それは、残念だ。芸術の都パリが振興国家亜米利加に出し抜かれてしまった」

 「ということは、パリに残った北斎は万博にある三十六枚限りか」

 「ジャポン展を預かる責任者はその三十六枚をどうすると思う」

 「非売品といっていたが、版画であるからジャポンから送ってくる船に何枚か富嶽三十六景がまだあるだろう」

 「となれば、その価値が高いのはその船が到着するまでの話だ」

 「仏蘭西の美術館なり、仏蘭西政府に寄贈するのが賢いやり方だろう」

 「「うん、うん」」

 

 

 八月十五日

 シャンゼリゼ

 「最近話しかけられるのは、もっぱら万博が終了した後、この富嶽三十六景をどうするというものにかわりました」

 「広はどうしたい」

 「郷に入れば郷に従え。仏蘭西人の意見に従うのがいいかと」

 「ルーブル美術館に寄付すべきだという声やこの万博を開催した仏蘭西政府に寄付せよというものの他、民族博物館こそこの価値が高まると意見がある」

 「美術館と仏蘭西政府はわかりますがどうして民族博物館なんでしょう」

 「庶民の生活が描かれた美術というものは、西洋にはないそうだ。これだけ、庶民の生活をいきいきと表現している作品を後世に伝えるためには、その時代を考証する民族博物館がふさわしいという考えかだ」

 「そんなもんですかね。世間の笑い話があったり、北斎漫画のように生活に密着していたりと消耗品とおもいやすが」

 「これを講釈してくれた学者に言わせれば、日本で浮世絵を収集している美術館はあるのかと問うた」

 「当然そんな物は思い浮かばないから、ノンと答えるしかない」

 「そのとおりです」

 「だったら、今度ジャポンから来る船便が目録をつくれる最後の機会かもしれないと言われた。実際、北斎は故人だし、広重も高齢だからな」

 「確かにその通りです。一枚一枚、写真でも撮るんですか?」

 「こんなことをしても金にはならないから日本の情勢が許さないだろうが、ここ仏蘭西で目録をつくった後、西洋にお目見得をした後、複数あるものを除いて一点ものであれば水戸かパリで浮世絵美術館を開くという手もある」

 「夢のような話でやんすね。それで客が来てくれればやっていけますが、パリなら可能かもしれないですね。客が来るとしたら」

 「だから、ここパリにこの富嶽三十六景を飾る美術館を用意いたしますと返事できたら『江戸っ子や』と自己満足できるんだがな」

 「それを成功させるには、日本に丘蒸気を走らせると確約させれれば、若様は納得するかもしれませんが」

 「だな、どこかで代償がいるよな。それに船に載ってる一点ものの数がどのくらいになるかわからないしな」

 「しかも万博が終わるまでに船は来そうにないですし」

 「とりあえず、こんな話をしてましたとパリの巷に『仮命名 富嶽三十六景美術館構想』なるものを流してみるか」

 ☆一フラン銀貨 銀含有量 3.8 g

 一洋銀(銀含有量 23.2 g) = 6.2 フラン

 

 

 九月五日

 カフェ モンブラン

 「ジャポン展を仕切っている責任者がパリの声を受けてこんな話題を提供している『ジャポンに浮世絵の美術館がないからパリに浮世絵美術館をつくってもよい』というものだ」

 「商売で浮世絵をジャポンから運んでくるのだろう。対価は何か?」

 「今度来る船に載っている浮世絵の全作品名をパリの美術館に提供する代わりにジャポンで鉄道を走らせるだけの資金が必要というものだ」

 「二点以上ある場合はどうなる?」

 「そのうちの一点だ」

 「金銭的にはもっともなことだ。しかし、それだけの価値は浮世絵にあるだろう」

 「世界で一枚、オークションに流れた北斎は、五万洋銀の値がついたからな。フランにしたら、三十万フランか」

 「だったら、ジャポンが納得する金額はいかほどか?」

 「複数枚あるものをのぞいたら、五千万フランか」

 「いっそのこと、株式をパリ中から集めるんなら全てを買わないか?」

 「だとしたら、目標金額は一億フランになるぞ」

 「よし合言葉を決めよう」

 「『観光丸を占拠せよ』」

 「それが目標だ」

 「俺は、代表人にジャン=バティストを口説いてくる」

 「俺は、オークションで亜米利加野郎に負けた資本家どもを回ってくる」

 「俺は、新聞社にこの話をもっていってみる」

 「美術学校の理事に話をもっていってみる」

 「よし合言葉は『観光丸を占拠せよ』」

 「ゾロゾロゾロ」

 男たちがカフェを飛び出していった

 

 

 九月六日 

 シャンゼリア

 「ジャン、日本人の振ってきた話をパリ市民で買おうと思う」

 「それはいい。私の作品を売ってでも一枚かみたい」

 「そこでジャンに、代表世話人を頼みたい」

 「ウイ、で、目標金額はどのくらいだ」

 「日本人が必要だという金は二点以上ある場合一点での場合、五千万フランで観光丸に載っている全種類を売ってくれるというものだが、どうせなら船に載っている浮世絵全てを買おうという話に進んでいる。そのため目標金額は一億フランだ」

 「それを市民から集めるというのか」

 「だとしたら、一万フラン以上出してくれた人もしくは団体にはその美術館の永久無料入場券を寄贈する話を入れたらいいだろう」

 「これから、渋沢のところに行って契約をいたそう」

 「これは、ジャン殿、いつものように富士を見に来られたのですか」

 「いや、今日は契約に来た。今度来る観光丸に掲載されている浮世絵全てをパリ市民で買いたいというものだ」

 「それはかまいませんが浮世絵全てですか。で、契約金額は?」

 「目標金額は一億フランだ」

 「洋銀で千六百万ですか。この場で契約いたしましょう」

 契約書

 買い手側が一億フランを用意した場合、観光丸に搭載されている浮世絵全てを売るものとする

 金額が五千万フランを超えた場合、複数枚ある作品の場合そのうち一点を買い手側に売るものとする。

 ただし、買い手側は港に到着した浮世絵を前もって確かめる権利を有するものとする

            売主代表 渋沢栄一 買い手側 ジャン=バティスト

 「シェイク、シェイク」

 「よし、次は新聞社に話をもってゆくぞ」

 

 

 九月七日

 フィガロ紙

 合言葉は 観光丸を占拠せよ

 今、パリ市民の関心を集めている『富嶽三十六景』の行き先だが、ジャポン側から次のような提案があった。浮世絵を展示する美術館はジャポンにない。只今、観光丸に搭載されている浮世絵全てをパリ市民が一億フランで買い取ってくれるものなら、同船に搭載されている浮世絵全てとパリ万博に展示されている『富嶽三十六景』をパリ市民に寄贈してもよいというものだ。五千万フランを上回る金額ならば、同船に載っている全ての種類の浮世絵

 複数枚ある場合そのうち一点

 をパリ市民に寄贈しようという契約が代表世話人ジャン=バティストと渋沢栄一との間に成立した。代表世話人は、一万フラン以上の寄付をした団体もしくは個人に仮名富嶽三十六景美術館に永久無料入場券を贈与する提案をされ、パリ市民の寄付を集める旨、発表された。ここ、フィガロも報道機関を代表して寄付金の集合場所として指名されるとともに、百万フランを寄付金として用意する旨を本日ここ紙上にて掲載する

 

 

 九月八日

 シャンゼリア

 フィガロ紙を広げる日本人二人

 「この新聞というものはすごいや。昨日の契約内容が事細かく掲載されていやす」

 「おかげで、富嶽三十六景美術館構想はパリ市民に広く広まった」

 「そこは隅々ではないんですか」

 「ジャンにきいたところ、仏蘭西の識字率、要するに読み書きそろばんができる割合は、二割だそうだ」

 「へー、うちの島では読み書きそろばんは必修でした」

 「江戸でも街中だとほぼ十割の割合で寺子屋に通っていたな」

 「日本も捨てたもんでないや」

 「識字率というものは、為政者が意識的に操作する場合がある。為政者がおこなっていることや言ってることを市民が理解できなければ為政者はどのような無理難題を実行しようと市民は理解できないからただうなずくのみになる。この代表例が中国だろう。政治と庶民の暮らしとがかけ離れてしまっている例だ。逆に識字率二割の仏蘭西でさえ、為政者、今の場合大統領だな、彼が無茶なことをすれば彼を罷免するだろう。また、百年ほど前の皇帝を首チョンしたのは仏蘭西の庶民だ」

 「市民でさえ小額でも複数人の同意を集めれば、一億フランという日本の将軍でさえ集めれない金額をパリの市民として集めれるというわけさ」

 「へー、そんな便利な方法があるんですかい」

 「株式といって出した金の分だけ、権利を主張するというものだ。仮に広が一万両、私が四万両の金を出して交易を始めたとする。そうすれば、会社の方針に広は二割の権利を有するから、儲かったお金を二割受け取り、私が八割もらえるということだ」

 「てことは、万丈達が交易をしたいと言ったら、みんなで金を出し合って一つの会社をつくり、出資した金におうじて儲けた金が戻ってくるんですかい」

 「そうなる。ただし、会社の方針にも口を出せる。さっきの話だが、会社として広がクロノメーターを仕入れたいと主張する。しかし、私が反対した場合、どうなると思う」

 「確か、出した金の分だけ権利を主張するんですから、賛成二割、反対八割でクロノメーターを仕入れる話は流れるんでいいんですかい」

 「そうなる。仏蘭西では相手よりほんの僅かでもたくさんの権利をもっているものが声を大きくする。株式では五割一分を支配したら、実質その会社を動かすことになる」

 「そうなりやすね」

 「だから、会社に投資しようとするために市民は汗水流して働くという人が少なくない。少しでも多くの金をつぎ込んだ方がその会社を牛耳ることができるからだ」

 「なるほど」

 「ただし、その会社がつぶれたらその分だけ損害が大きくなる。出資した分が大きいと損害も大きくなるわけだ」

 「つぎ込んだ金が大きければ損得も大きいときた。よくできてますねえ」

 「さて、パリの市民はまだ見もしていない観光丸にいかほどの金をつぎ込みますかな」

 

 

 十月一日

 仏蘭西大統領官邸

 「大統領、最近巷の話題を御存知でしょうか」

 「スエズ運河会社の不人気と浮世絵美術館の開館準備が着々と進められていることか」

 「スエズ運河会社の出資は英吉利の妨害にあい、国外では出資する者がいません。おかげで仏蘭西政府から出す金と仏蘭西市民が出す金とエジプトが負担する金しか集まらん」

 「対してフィガロ紙が公表している数値によれば、浮世絵美術館に出資する金は六千万フランを超えたと出ています。つまり現地点で、パリに浮世絵美術館ができることは確定事項となっています」

 「後、四千万フランがあれば文字通り『観光丸を占拠せよ』が成立するな」

 「その金があれば、今すぐにでも運河の採掘を始めるんだが」

 「大統領、浮世絵をもってきたジャポンですが、彼へ出資に誘われた結果はどうですか」

 「シャンゼリアに残っている責任者に問い合わせても、往復に半年かかるので来年にならないと金と人足の量が確定しないというのだ」

 「つまり、今取りかかっても日本から来る金を見込んで事業を始めることはできないのですか」

 「ジャポンにしてみても一人で出せる金ではない。幕府を説得できなければ無駄足を踏んだと言われるかもしれぬ」

 「では、大統領から浮世絵美術館に対する出資はいかがいたしますか」

 「出す。できたらパリ万博の終了日に大統領からの出資金という形で大々的に手渡す」

 「ということは、大統領からの出資金をジャポンの代表者に手渡し、その見返りに大統領がパリ市民を代表して富嶽三十六景を受け取る方向でジャポンと交渉すればよろしいですか」

 「その通りで頼む。これも人気取り政策の一環だ。どこのだれかがわからんが亜米利加野郎に北斎を奪われなければこのような人気取りの必要はなかったかもしれんがな」

 「あれは、ゴシップでたたかれてしまいました。『芸術の都を名乗るも新興国に北斎一枚が奪われてゆくのを止められず』と出てしまいましたから」

 

 

 十一月十五日

 シャンゼリア

 「万博最終日のメダル授与に続きまして、大統領からジャポンへ浮世絵美術館への出資金として五百万フランを手渡されます」

 「これで、合計九千五百万フランか、観光丸を占拠するために後五百万フランか。集まりそうか?」

 「後一月あればいけるだろう。十二月は聖なる月だ。何とか五百万フラン集めて見せるさ」

 「後、代表人としては、到着した観光丸を見てがっかりしないことを祈るのみだ」

 「続きまして、この万博を大いに盛り上げてくれました富嶽三十六景を浮世絵美術館に大統領を通じて寄付されることになりましたので、万博最終日をもっていったん大統領に預けられます」

 「ここパリに浮世絵美術館が建つことをナポレオン三世が確約し、観光丸が到着するまで大統領官邸に展示するものとする」

 「パチパチパチ」

 

 

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