仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第08話

 安政二年(1855年十二月十八日)

 アムステルダム港

 「若様、お待ちしておりました」

 「楠よ、半年ぶりよの」

 「こちらが渋沢殿より預かった手紙というものです」

 「若様、観光丸に載っている浮世絵は全てパリ市民が青田買いをしました。つきましては、港に到着したと同時にパリの私宛に連絡をください。代表者が船から降ろす前に積み荷を検査し、満足いただけた場合に売買契約が成立する運びとなっております。契約額は千六百万洋銀となっております」

 「あい、了承した。楠よ、我は小判とともにパリで皇帝とスエズ運河に関する交渉をすることになっておるから、お主にこの船を監視してもらわねばならない。この船から荷物の積み降ろしは渋沢が来るまで延期じゃ。渋沢が到着次第、検品してもらうように」

 「了解しました」

 「なに、明日には来るだろう。さ、いってくるか」

 「いってらっしゃいませ」

 

 

 十二月十九日

 シャンゼリゼ

 「若様、半年ぶりです」

 「渋沢、浮世絵がもう売れているとは話が早いな」

 「広よ、アムステルダムでもお主の話で持ちきりだったぞ」

 「おかげで、明るい道しか歩けなくなりました」

 「渋沢、すぐさま売買契約に基づき、ジャン=バティストを観光丸に搭乗させねばならないが、渋沢は大統領官邸にいかねばならない。広よ、ジャンの案内を頼めるか?」

 「はっ」

 「では、渋沢と私はこのまま大統領官邸にいく。広は付き添ってくれた満とともに観光丸に向かってくれ」

 「はっ」

 「若様、思わぬ金ができましたがどうされますか」

 「もちろん、丘蒸気を走らせる」

 「若様、スエズ運河と丘蒸気のどちらを優先させますか」

 「同時進行で構わぬのではないか」

 「若様が将軍であれば問題ございません。しかし、若様は幕府から十万石を受け取っている将軍の身内でございます。よって幕府が一橋家を取りつぶすと言われれば逆らえません。ですから、若様が苦労して作りました大金もこれはもともと幕府が出したものである。よって、一橋家を取りつぶし、丘蒸気も幕府のものといたすといわれれば逆らえませぬ。このような事態に対処するすべをお持ちですか」

 「そうか、殿様が言っておった丘蒸気の件を急ぐなというのはこのような事態も想定しての上か」

 「若様、スエズ運河が開通するもしくは中断するまで丘蒸気の件はお忘れいただけませぬか」

 「渋沢、スエズ運河が開通いたせば丘蒸気を走らせてよいのじゃな」

 「それまでには、若様が機関士として研修に連れてきた候補生もものになっているでしょう」

 「長い研修機関でなければよいのだが」

 「それは大丈夫でしょう。最初の半年は、我々が習った家庭教師について仏蘭西語の研修からやってもらいます。その後、座学、実技講習となれば少なくとも二年となります。その後、機関士見習いとして石炭を釜にくべる助手となれば合計三年はかかるでしょう。問題ありません」

 「そうか、今すぐ丘蒸気にかかるのではなくいろいろな準備があるのだな」

 「もちろん若様にもその準備があります」

 「いってみよ、できるだけのことはしよう」

 「若様にも仏蘭西語を習っていただきます」

 「それはまことか?」

 「真でございます」

 「なぜじゃ」

 「若様は外交を担う外国奉行というべき立場にございます。仏蘭西では外交官になるには二カ国語が話せるのは当然。五カ国語を話せる者もいるとききます。これも若様が日本に不可欠な人材となるためにやむなきことです」

 「わかった。連れてきた連中と肩を並べ、仏蘭西語を習うことにしよう」

 「では若様には、修了試験といたしましてアレクサンドル=デゥマが書きました三銃士を日本語訳していただきます」

 「やむを得ん。スエズ運河開通までには終わらせよう」

 「それと浮世絵を売って出来た金からほぼ半分をスエズ運河に出資してください」

 「そちの言うとおりにしよう」

 大統領官邸

 「これは、パリ市民から一億フランをせしめた慶喜殿ではないですか」

 「大統領、ジャポンから一万人の人夫と金二トンを調達してまいりました」

 「フランにすると、五百万フランですか」

 「それと今回、パリ市民の購入した浮世絵の代金からも出資して、合計五千万フランをスエズ運河に投資します」

 「では、こちらから返答をいたします。出資金の分でスエズ運河会社の株式を十万株。人夫の分で三万株。合計32.5%の株式を受け取る権利を有するものとします」

 「では、サインをさせていただきます」

 「シェイク、シェイク」

 「後の事務的手続きは、後ろにいる渋沢が担当させていただきます」

 

 

 十二月二十日

 アムステルダム港

 「いかがでしたか、ジャン殿」

 「渋沢殿、ひどいではござらんか」

 「それは浮世絵が気に入らなくて売買契約は成立しないといわれるのですか」

 「そうではない。この根付を知らせなかったことに抗議いたす」

 「それを聞いてほっといたしました。日本からスエズ運河にすでに五千万フランを出資すると契約してしまったのです。少なくとも浮世絵の件で問題がなければ大統領に嘘をつかずにすみます」

 「浮世絵に関しては、北斎のほか広重が二大巨頭というべきであるが、人物画も素晴らしい。今まで対象となる人物をただ写し出すのが百年古いもののようにしている。それに人物画もいい」

 「そういっていただければ売った方としても満足でございます」

 「時にきくが、この肉筆画というものは一点ものか?」

 「肉筆画は一点もので高価ですね。名人といえるのは、今から百年前以上前の浮世絵の開祖というべき師宣ですね」

 「それはさすがにないよな」

 「一点ものが売りに出されることはめったにございません。肉筆画は江戸の収集家が手放したりしないでしょうし」

 「なるほど。で、この船に載っていた作品数十八万点なのだが体系的に分類をしたいのだがどうにかならんか」

 「我々も素人ですから、今度の船便で浮世絵師を一人連れてきましょう」

 「それとな、ここに描かれている美人画だが一人本当にこのような格好をしているのか見てみたい。モデルということで仏蘭西に連れてこれないか?」

 「わかりました。絹の実演販売という形でこの作品に出てくる『琴をひく江戸の華』の格好で連れてきましょう」

 「うむ、楽しみにしておる」

 「で、根付はどのようにして売るのだ」

 「ここにある美術品は、阿蘭陀の日本館という形で店舗売りしようと思っています」

 「なぜ、阿蘭陀なのじゃ?」

 「我々は阿蘭陀にもお世話になっております。仏蘭西にはすでに一億フランのお買い上げをしてくれました。均衡をとるために阿蘭陀にも拠点を設けようと思っています」

 「やむを得んな。では、この『面根付』なのだが私が買うので売買済にしておいてくれ」

 「承りました」

 「失敗したな。観光丸に搭載されている美術品すべてをパリ市民が購入するとしておけばよかったか。いやいや、それでは個人所有できない。このような誰も買い手が付いていない状況で先に買い付けてこそというものだ。代表世話人もこのような役得がなければ」

 「阿蘭陀に残す美術品は、広に任せる。仏蘭西に運ぶ小判と浮世絵は、列車を壱台借りた。これに載せてパリに移動する。品物の引き渡しがすんだら、スエズ運河会社で打ち合わせをする」

 「「はっ」」

 スエズ運河会社

 「慶喜殿、待っておりました」

 「レセップ殿、これからの予定を教えていただきたい」

 「金が調達できましたので、来月より運河建設をエジプトのポートサイド側から始めたい」

 「日本人一万人を連れてくるつもりですが、どのような体制になりますか?」

 「日の出から正午まで日本人が担当し、正午から日没まで現地人が担当するものとしたい」

 「技術者に日本人の見習いをつけることは可能か?」

 「可能だが仏蘭西語はできるか?」

 「おいおい仏蘭西語を習得させるつもりだが、とりあえずは万博で日本展を案内していた通訳をこちらでつけましょう」

 「それなら問題ないでしょう」

 「工事期間の見込みはどうですか?」

 「五年を見込んでおる」

 「時に私も現地を監督することにしましょう」

 「砂漠ゆえ、現地の気候は厳しいと言わざるをえませんがそれを踏まえたうえで監督するのならお任せします」

 「レセップ殿にお聞きいたします。蒸気船が二隻しかない極東の島から一万人の人夫を連れてくる良い手段はないでしょうか?」

 「他の国から船を雇うしかないでしょう。阿蘭陀と親しいのであれば、ジャカルタに停泊している船を雇い、日本に行き人夫をのせるといいでしょう」

 「そうさせていただきましょう」

 「ところで日本人というのは、衣食住に関してはどうされますか」

 「日本から仏蘭西に向かう蒸気船もございます。基本は現地食ですが時々差し入れをしてやりたく思っています」

 「了解しました」

 シャンゼリア

 「スエズ運河会社との交渉もうまくいった。渋沢は、こちらで商売と機関士候補生の面倒を見てくれ」

 「観光丸に乗ってきた者は、船に乗って仏蘭西で買い付けたものを日本に運ぶ。広は、楠と合流してくれ。阿蘭陀に日本館を開く。半年で売れ残ってもかまわないから、今回載せてきた商品を店舗売りしてくれ」

 「「はっ」」

 「渋沢、仏蘭西語講習は、半年後になりそうだ」

 「いえいえ若様、このような事態も考えておりました。船上こそ勉学に最適の場。我が家の蔵にあります肉筆画を譲渡することを条件にパリ芸術大学から一名、若様と半年間の船旅をともにする学生を推薦することができました」

 「そ、そうか」

 

 

 一月四日

 アムステルダム港

 「渋沢、いってくる」

 「若様もご無事で」

 「ポー、ポー」

 「どれどれ、渋沢が買い付けた物の目録はどうだ」

 「仏蘭辞典、万年筆、鉛筆、筆記帳、‥‥‥」

 「若様思いの配下ですな」

 「チューリップ、薔薇、メークイン、パスタ、‥‥‥」

 「ワインがありません」

 「途中で飲むやつがいるかもしれないせいか?」

 「レンガ、クロノメーター、ライフル、ウール生地、‥‥‥」

 「このへんは、日本でもつくってみろという挑戦者魂かな」

 「渋沢殿は、これから駅舎の設計をする人を探すと言ってた」

 「売れっ子設計者でいいのでは?」

 「なるべく日本にある材料で駅舎をつくってくれる人を探すつもりらしい」

 「さて、浮世絵を売った大金でどこまで鉄道が延ばせるかな」

 「資金はスエズ運河の完成もしくは、失敗で距離が当然違うことになるようだ」

 「浮世絵を売って出来た金のみなら日本橋と大船を結ぶつもりだったらしい」

 「スエズ運河を開通させれば、距離が延びるのか?」

 「さらに金は増えるから、大船より西に伸びるだろうな」

 「熱海を合言葉に頑張るか」

 「アン、デゥ、トワ」

 「賭けの対象ならこっちかな、若様がいつ三銃士を日本語にできるか」

 「一年」

 「二年」

 「四年」

 「未完成」

 「では、それぞれ一分を賭けるものとする」

 「若様に追い抜かされないように頑張るかな」

 

 

 三月四日

 ジャカルタ

 「日本からエジプトのスエズまで一万人を運ぶ契約をしたい」

 「一度に運ぶ人数は三千人までなら契約できる」

 「やむを得ん。それで頼む」

 「では、お主らの船についていこう」

 

 

 三月十四日

 水戸藩江戸屋敷

 「殿様、ただいま帰りました」

 「御苦労であった。首尾はどうだ」

 「商人たちが用意してくれた分で権利の二分五厘。人夫一万人の貢献で七分五厘。私の出資いたしました百八十万両相当で二割二分五厘を出資いたしました」

 「合計、三割二分か?聞き間違いでなければそちは百八十万両相当を使ったことになるが、そのような金が一橋家にあったか?」

 「じつはその、浮世絵十八万点を仏蘭西に持っていったところ、四百万両相当でパリ市民が買い上げてくれました」

 「そのこと、誰かにしゃべったか?」

 「塩飽衆しか知りませぬ」

 「そ奴らにも口止めしとくがいい」

 「はっ。この金ですぐさま丘蒸気を走らせるつもりだと申し上げたら、渋沢にスエズ運河が片付くまでやめておけと言われました」

 「さすが渋沢よ。かの者を大事にせよ」

 「はっ。人夫一万人が集まり次第、スエズに向かいます」

 「いそぐなよ、慶喜」

 

 

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