仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第09話

 安政三年(1856年四月一日)

 下田港 観光丸

 「第一陣は、江戸近郊で招集された人夫三千人を引き連れてのスエズ行きだ」

 「第二陣は、大坂近郊で招集された者たち、第三陣は日本海側、第四陣は残りの者どもだ」

 「スエズまで片道一月かかるから、四往復するだけで八か月がかりの民族大移動だな」

 「此度の積み荷は、水戸藩から調達できるだけ梅干を買い込み、焼酎に緑茶を載せた」

 「とりあえず、生水を飲むな。飲むなら緑茶を飲め。食器は使用する前に緑茶に浸せときたか」

 「砂漠ゆえ、食間には必ず梅干を出すようにせよときたか」

 「のどの渇き対策にもなるだろう」

 

 ヤン号

 「勝殿、こたび、スエズについたら仏蘭西語を使うとか、いかがいたそう」

 「どうしようもないださ。ただし、この船は阿蘭陀籍だから一月は大丈夫だ」

 「そうはいうが、蘭語はごく狭い地域でしか通用しないとか」

 「仕方ない。仏蘭西語を習うほかあるまい。そうそう蘭語を話す仏蘭西人に出会えるはずもない」

 「坂本殿、江戸修行が終わると今度は外国に派遣となりましたね」

 「おう、やることは土佐でさんざんやった土掘りだとさ」

 「いや、高知の城下町でさんざん悪いことをやっていたメンツがごっそりといるわ。厄介払いと取るか、広く世間を見てこいということか」

 「両方でないでしょうか。あそこにいる信は、土木工事の修行でいくのでしょうし」

 

 

 江戸城 芙蓉間

 「慶喜から上がってきた報告によれば、仏蘭西の将軍に謁見し、アフリカにて運河建設の工事を請け負ったとある」

 「昔の老中は良かったですなあ。あれこれ江戸城の改修となれば外様大名に命じるだけですみましたが、此度は、日本国全体で土木工事をせねばならないとは」

 「しかし、この工事をせぬわけにはいかまい。しなければ、亜米利加の突き上げを食らい通商条約の締結を再び持ちかけられるでしょう」

 「そうよ。二十万両で仏蘭西を利用すればよいだけのこと」

 「ついでに総監督は、十四代目候補が引き受けてくれましたし」

 

 

 四月二十三日

 ボンベイ

 「今夜が文明とおさらばする日になるそうだ。各自、思い思いにボンベイを満喫せよ」

 「印度で三千人の一斉放免か」

 「日本人のいいところは、上陸で逃げ出すやつがいないことだ」

 「そりゃそうだ。言葉はわからない。風習は通じない。だったら、仲間がいる船に戻った方がいい」

 

 

 五月三日

 スエズ

 「ありゃま、砂と岩しかないところに来ちまったな」

 「これから徒歩で地中海に御挨拶だとさ」

 「ありゃ、あの瘤のある動物はなんだ」

 「砂漠の馬で、ラクダというものだ」

 「しかし、日中は休み夜に移動か、つくづく日本の常識が通用しない」

 

 

 五月七日

 ポートサイド

 「待っていたよ、慶喜殿。工事が進展しない」

 「難問でも?」

 「ベドウィンに工夫が襲われている。このままであれば、ラクダの鳴き声を聞いただけで工事が止まることになりそうだ」

 「太守から兵士を都合してもらえないのですか」

 「そんな余裕はないというのが返事だ」

 「ベドウィンの装備は?」

 「ラクダにライフルか銃。それとシミタ―といった刀だ」

 「襲撃部隊の規模は?」

 「千人ほどだ」

 「我々が護衛にまわりましょう」

 「必要なものは?」

 「刀はある。ライフル銃に弾、それと弓をつくりたいので弓があればそれを。なければ弓材となるものと矢の材料を」

 「弓はいくつ必要か?」

 「十もあればいい。襲撃を受けた時に、偵察兵が合図に使いたいのだから精度は気にしなくてもよい」

 「ライフルは百丁しか在庫がない」

 「とりあえずはそれでいきましょう。ただし、ベドウィンにも凄腕の狙撃手はいませんよね」

 「あーあ、それは大丈夫だ、一発撃ったら接近してシミタ―で一撃というのが徴募したエジプト人が狙われる方法だ」

 「なら、最初だけ大事を見込んで三千人の侍で敵対してみましょう。その後は、ライフルの習得に向かうもの。偵察に向かうもの。守衛に向かうものと分けてみましょう」

 

 

 五月十日

 ポートサイド

 「ピー―――」

 「襲撃は東からだ。五人組であたれ」

 「おい、今日は護衛がいるようだ」

 「護衛は無視しろ。仕事は工事の中断だ。それが依頼だ」

 「パン。パパン」

 「予想通りだ。ラクダ兵にかなう機動力もちはいない。蹂躙して退却だ」

 「それ引け」

 「ドタ、バタ」

 「ラクダが縄に引っ掛かったぞ。それしとめろ。それができなければラクダとベドウィンを引き離せ」

 「くっ、一人に対し衛兵が三人でかかってくる。捕まったやつを助けにいくな。引き揚げろ」

 「若様、うまくいきましたな」

 「なんとか、砂に隠した縄にラクダが引っ掛かってくれた。しかし、人数で上回っているから対処できたことで、同数ならラクダ騎馬に振り回されたことだろう」

 「今回は、うまくいきました。次回からはライフル銃による遠距離射撃で勝負したいですな」

 「遮蔽物がないのだ。ライフル銃であてれれば、接近しようと思わないだろう」

 「二回目の船がやってきましたら、我々も運河建設に加わりたいですな」

 「ライフル射撃の名手はそのまま衛兵にしておこう。二便からは本来の仕事に参加させる。二便は、大坂周辺にいた連中だ。一便の方が徳川親藩の比率が高い。味方を増やすのはいいが、敵にライフルの実践をさせるつもりはない」

 「ははっ」

 

 

 アレクサンドリア

 「話がかわった。工夫だけなら襲撃してもよい。しかし、反りのある刀をもった連中が衛兵をしている限り襲撃はしない」

 「了承した。それで衛兵の規模はわかるか」

 「二千人以上だろ」

 「ありがとう。これは今までの礼金と口止め料だ」

 「ありがたくもらっておく。これであんたとは他人だ」

 「バタン」

 「反りのある刀をもった連中ですか」

 「ジャパニーズだろう。連中はスエズ運河の株を三分の一持っている。極東から工事に参加させるために連れてきた連中だろう」

 「二千人強なら別な連中を雇いますか?」

 「やめておこう。二千人が連中の全部とは限らない。増援があったらベドウィンたちがこちらに牙をむいて、報復に鉄道を爆破しないとも限らない。第一、衛兵がいるという情報があっては襲撃に参加する連中は集められないさ」

 「では、本国にベドウィンを襲撃させるも強力な衛兵がついたことでとん挫したと報告しておきます」

 

 

 ポートサイド

 「レセップ殿、主犯はわかりましたか?」

 「口を割った連中たちは、アレクサンドリアで雇われた連中だということだ」

 「主犯の格好は?」

 「西洋人でアラビア語を話した四人組だそうだ。恰好だけは、ソーブを着ていたそうだ。ほい、これが依頼金だ」

 「ポン」

 「金貨ですか」

 「ソブリン金貨だ」

 「どこのものですか」

 「世界一流通している大英帝国のものだ」

 「なるほど、二度目の襲撃がなければいいですが、少なくともライフル銃は練習させておきます」

 「おお、今日のように頼む」

 

 

 五月十六日

 ポートサイド とある一テント

 「明日、慶喜が船で仏蘭西に向かうそうだ。どうだ、やれるか」

 「手段は?」

 「ここにあるライフル銃で一撃だ」

 「きくがこれを俺が撃ったという証拠がついてきた場合、どうする」

 「そんなものがあるのか?」

 「ライフルの弾には、施条痕が残りどのライフルから弾が出たのか一目でわかるそうだ。つまり、暗殺に成功しようが失敗しようが犯行に使われた弾が見つかった場合、そのライフルを所有していた藩は、お取りつぶしとなるだろうよ。盗まれたといっても管理不届きという理由さ」

 「つまりこの砂漠で犯行に及んだ場合、自力で船に乗り日本に逃げ帰った場合でさえ、自分たちがいた藩はないというのだな」

 「それはまだいい。慶喜が死んだら我々はこの砂漠で見捨てられるやもしれん。証拠を隠すためか慶喜を救えなかったという理由にしろ、国外追放処分をここにいる連中は受けるだろうさ」

 「俺も自分の身が可愛い。しかも藩を道連れにしようとは上の連中も思わないさ、忠告に感謝する」

 「あい」

 日本橋のとある商家

 「阿蘭陀帰りにチューリップなる球根をもらい育てたら花が咲いた後、白い草花が咲いた。どうやら、種が球根についてきたようだ。綺麗な花を咲かせたから種を取ってみるか。うまくいけば来年も花を咲かせるかもしれん」

 

 

 六月十日

 ポートサイド

 「勝殿、日本人がこちらについて一月になりますが、脱落者が日本人には少ないですなあ」

 「ひとつはこの事業が祖国防衛に役だっているという考えを連れてきた連中に話してあります」

 「それは、どういったわけで」

 「尊王攘夷にしろ、開国派にしろ、昨年は亜米利加からさんざん開国を迫られました。交渉という名前は良いのですが黒船の大砲を背景に開国を迫られるという脅されまくりの年でした。そこで、亜米利加に脅迫させられるのでしたら、国外の国、この場合仏蘭西に助けを求めたわけです。そこで仏蘭西皇帝はスエズ運河建設に参加しないかと提案されました。これを日本は飲みました。少なくとも亜米利加の横やりが入った場合でも、通商条約を仏蘭西と交渉中であるといえますし、戦争をしかけようにも仏蘭西の助けが入るのを織り込まなくならなくなりました。つまり、この運河を建設している最中は日本の背後に仏蘭西を抱えていられるわけです。だから、祖国防衛のために一致一丸せよと言ってあります」

 「なるほど、そんな動機がありましたか」

 「二番目は、生水を飲むな。飲むなら緑茶にしろと言ってあります。日本で旅をするものは沸騰されてない水を飲みません。飲むなら沸騰させた緑茶にしています。また食事前の食器は湯ざましの緑茶にさらしてから盛り付けています」

 「紅茶ではそんなことをしませんよね」

 「日本人は紅茶を飲みません。緑茶は発酵する前の紅茶というべきものですが健康には緑茶というのが日本人の考え方です」

 「ほうほう、それは面白い考え方ですなあ。エジプト人にも試してみましょう」

 「えーえ、緑茶を分けてあげましょう。当方としてもその結果を知らせてもらえれば結構です」

 「三番目は、休憩時に梅の実を塩漬けにした梅干というものを出しています。酸っぱいものですが、休憩が近付くと酸っぱいものを連想して口中に唾液が出てきます。のどの渇きをいやす働きをしますし、塩分補給にも役に立つ一石二鳥の食間食です」

 「それはすばらしい。これも試してよろしいですか」

 「ええ、どうぞ。この梅というものは、古代中国の曹操という武将がこの先に梅畑があるぞ。それまで炎天下我慢せよと言ったところ、梅でもいいこの先に希望がある。梅を思い出せば唾液が出てきて遠征の足も速まるといった昔からあるものですから」

 「なるほど、これからエジプト人の脱落者が減れば工事も進みますぞ」

 

 

 七月三日

 アレクサンドリア

 「報告では、日本人が加わってから順調にスエズ運河建設が進んでいるということだ」

 「このままでは、五年で完成してしまうのか?」

 「だろうな。今回の工事で工事の落後者が多いので大英帝国としてはこの工事は奴隷工事であると非をならしたいところであるが、思いのほか落後者が少ない」

 「日本人が働きものであるせいか?」

 「それもあるだろう。報告では、亜米利加にせっつかれて始めた工事だが愛国者にはこの工事をしている間は亜米利加の干渉を排除できると言って工事を鼓舞しているということだ」

 「それは小国に一致団結されてしまい、手が出しにくくなるではないか」

 「で、ここで新しい情報が入った。日本は後回しにして中国をせっつくというものだ」

 「これ以上は監視にとどめ、手出しは無用というものだ」

 「それは高度な外交政策を用いて中国を追い込むというものか」

 「だろうな、政府は仏蘭西を巻き込み清に戦争を仕掛けたいらしい」

 「なるほど、これ以上スエズ運河で仏蘭西のご機嫌を損ねるなということか」

 「それもあるが、工事が順調ならスエズ運河開通後のことを政府は考えている。スエズ運河は株式会社が権利をもっている。なら仏蘭西の権利は売りに出ないだろうがエジプトからの株式購入を画策しているようだ」

 「株式会社なら株式が多いほうが権利を主張できる」

 「しかし、『スエズ運河株式会社』はすでに株価が上昇し始めている。大英帝国以外にも手をあげる国があるかもしれないとそのあたりを探る気に政府は方針転換している」

 

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