仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第10話

 安政三年(1856年五月二十三日)

 シャンゼリア

 「若様、お帰りなさい」

 「喜望峰回りの観光丸はまだか?」

 「まだ着いていません」

 「スエズから陸路で地中海に出る方が早いのか。それで渋沢、お主が頼んでいた浮世絵技師と琴の免許皆伝持ちをそれぞれ一名ずつ観光丸に乗船させたから六月半ばにはパリに到着するだろう。観光丸には、パリ芸術大学の学生も乗っている」

 「途中で語学学習はお休みですか」

 「陸路を取ると肉筆画が気になって駄目だと言われてな。学生は喜望峰回りだ」

 「それとスエズ運河建設中に大英帝国の依頼と思われるベドウィンによる襲撃があった」

 「大英帝国は、ケープタウンに既存の権益がありますからそれが侵されると思ったのでしょう。若様がここに無事着いたということは、その襲撃が沈下したとみてよろしいのでしょうか」

 「エジプトから徴募した工夫だけなら襲撃が続いていたかもしれない。農民上がりの工夫にライフルを撃たせるわけにはいかないからね。ライフルをもたせると工夫が反乱を誘発するようなものだからね」

 「では、侍にライフルをもたせたというわけですね」

 「三日やそこらでものになるわけではないがね。それは、測量の講習に来ていた連中もそうだったよ。経緯儀をみながらあーでもないこーでもないとやってたよ」

 「それはぜひともがんばってもらわねば。線路をひくときも必要なことですから」

 

 

 六月二十日

 パリ芸術大学

 「チャン、チャララン。チャンチャンチャチャ」

 「待っていたよ。やっと『琴をひく江戸の華』そのものをモデルにして油絵を描ける」

 「いえ、錦の晴れ着を着て絹糸を張った琴を演奏する。これ以上の販促はありません」

 「今は、物事を正確に写し取る写実時代の終わりを告げ、新しい時代が幕を開ける時だ」

 「浮世絵のモデルを描けば新しい時代のきっかけともなろう」

 「新しいものを作り出すのは、絵画でも難しそうですねえ」

 「これが多色刷りの版画の下書きか。木製版画なのになぜそれほどの精度で描けるのか」

 「そりゃ、あっしにはわかりません。ただ、渋沢殿の依頼でパリ市民を二十人、パリの衛兵と元貴族に皇帝をそれぞれ実演して浮世絵にしろという依頼でさ。しかも終わったら、『富嶽三十六景美術館』の展示をするために浮世絵を分類せよと言われてまして忙しすぎますよ」

 「それも十二月の美術館開館までの話だ。締め切りまでには終わらせてくれ」

 「二区のオペラ街は隣の区画ですからシャンゼリゼから遠くないのは助かります。しかし、浮世絵二百年の歴史を教えてくれと言われても、歌川派以外のことまではよくわからねえといいたいところだがそれは許してくれねえ」

 「二百年の歴史をもつ浮世絵だが庶民のための芸術ということで日本には浮世絵を体系的に教えるものがいない。それを残しておきたいからここパリを選んだ。何とか協力してやってくれ」

 「へえ、それはもちろんでっせ。元はと言えば、遠近法は西洋から浮世絵に取り入れられたもの。それをまた西洋のためにできるなんて二度とないでしょ。できるだけのことはやらしていただきやす」

 「あの、渋沢様。演奏代とは別に心づけをいただきましたが、こんなにいただいてよろしいのでしょうか」

 「西洋では、食事をした後その食事に満足したとき食事代の一割ほどを代金とは別に渡す風習がある。今日は、君の演奏に満足した人からいただいたと思ってくれればいい」

 「そうでやすか。では次回ももらえるような演奏をさせていただきます」

 「ここは芸術の都だから。演奏をする機会は、ひっきりなしに舞い込むかもしれないがね」

 

 

 七月十日

 シャンゼリア

 フィガロ紙 フランス人から見た清

 アヘン戦争以降、清は大英帝国との間に不平等条約を結ぶ。この中には最恵国条項なるものがあり、他の国が清に対し有利な条約を結んだ場合、この条項を自動的に有利な条項を入れることができる

 関税自主権の放棄により清に舶来製品があふれ、生活必需品が国外にでてゆきそれを止める手段をもたない

 治外法権により、在留外国人が清で起こした事件を裁くことができない

 アヘンの流入と銀の流出により、清で銀の高騰を招き庶民の納税額が増大する

 一方的な譲歩を強いられた中国官僚の抵抗

 民衆を巻き込み、外国人を街に入れないようにする

 締結した条約を清にとって有利な解釈をし、一方的に放棄する

 中国人が外国人に暴力を働いた場合、これをできるだけ放置する

 これに対する大帝国の交渉術

 清の遅延行為に対して恫喝をし、これをしてもらちがあかなければシンガポールに駐留している海軍による武力手段に訴えると、清は一方的に譲歩する

 「このへんを読んでいると、大英帝国版のハリス領事がいるねえ。ハリスの元祖は大英帝国にいたのか。というか、ハリスは関税自主権について日本に全く知らせなかったのか。もし、あの時通商条約を結んでいれば、大英帝国、亜米利加、仏蘭西、阿蘭陀、露西亜等と最恵国条項を結んで、関税自主権放棄と治外法権を飲まされたに違いない」

 「しかし、条約を一方的に解釈して事実上無視をすると、大英帝国から大砲がとんでくる。これを繰り返す清も不思議な国だな」

 「若様、フィガロ紙はどうでした」

 「渋沢が浮世絵美術館構想を語るくだりを読んでいたんだが、一億フランを出したパリ市民はすごいぞ。その当時、清の一年間の歳入が五千万洋銀でフランにすると三億フランになる。パリ市民だけで清一国の三分の一を支えたことになる。いかに西洋がお金持ちで、東洋が貧しいかよくわかった。また、清に小判をもちこんで銀貨と交換するのはやめじゃ。銀が流出する国に銀を求めに行っても庶民が困るだけじゃ」

 「そうですねえ、銀で納税する清の庶民にしてみれば、銀の価格が二倍になりますと納税額も二倍になるそうで。若様が新聞を読めるようになりますと、三銃士の日本語訳をするのもまじかですなあ。渋沢としても長いような短いような我慢の日々でした」

 「しかし、渋沢。新聞は日本に導入できぬか?」

 「活版印刷機を導入すれば日本人も新聞をつくれるでしょう。しかし、個人的な考えですが、鎖国状態ですと新聞の中身は、国内の記事を書くことになります。鉄道網が発達していない状態で記事を拾ってこいといわれても大した記事が集まらない気がします。ですから、新聞を導入するには鉄有網の発達が必要と考えています」

 「優先順位の問題か。では、ポートサイドにワインとハムを差し入れしてこよう。日本の優先順位は、スエズ運河を第一とする」

 「仏蘭西語学習の息抜きは必要でしょう。いってらっしゃいませ」

 

 

 八月三日

 ポートサイド

 「勝殿、お疲れでござる」

 「若様もこのように我々のために白ワインとハムの差し入れをわざわざありがとうございます」

 「作業は順調か?」

 「ええ、エジプト人脱落者も随分少なくなりました。この炎天下、緑茶と梅干しを労働者にふるまうと心身に異常をきたすものが少なくて大いに助かっております。仏蘭西陸軍からも注目を集めております」

 「なんぞ、差し入れに要求はあるか?」

 「娯楽の少ない環境ゆえ、娯楽を提供していただければなによりです」

 「ふむ、今度日本からの便があるときに浮世絵を製作させよう。我も仏蘭西語をがんばってみるか。水滸伝を浮世絵にしたものがあったな。本文と水滸伝の錦絵も持ってくるか」

 

 

 十月八日

 広州

 清国官憲によるアロー号の拿捕と船長を海賊容疑で逮捕。英国籍の船を臨検したとして大英帝国が清に抗議するも清も譲らず

 

 

 十二月一日

 パリ オペラ界隈

 「ナポレオン三世による『富嶽三十六景美術館』のテープカットです」

 「しかし、若様。薄い浮世絵の背後に画用紙を張り、ガラスの入った額に入れますとなんとまあ、立派な美術作品でっせ」

 「うむ、背景を明るくするとプルシアンブルーといった絵具が一層引き立つよのう」

 「開館を待ち望んでいた市民の皆さんが今か今かと入場していきますよ」

 「渋沢、とりあえず『三銃士』だが、三人の銃士隊と決闘をするところまで翻訳したので、ここまでを浮世絵にしてみようとおもう。浮世絵の枚数は何枚になるかわからんが北斎漫画仕立てでいこうと思う」

 「御意。それで、刷る枚数は何枚にしますか」

 「そうよの、初版一万枚でどうだ」

 「若様、二桁足りませぬ」

 「百万枚か、ま、よい。金は不足しておらぬからな」

 「後、アレクサンドル=デゥマ氏の了承をこちらで取っておきましょう」

 

 

 安政四年二月一日

 マスコミ各位様

 昨年十二月一日をもちまして、パリのオペラ界隈に『富嶽三十六景美術館』が開園いたしました。何分にもジャポンとの距離が遠く、開園には間に合いませんでしたがこのたび入場されます方々に入園証とともに浮世絵の小品『間宮林蔵物語』を寄贈いたします。パリに立ち寄る機会がありましたら、是非当館にお立ち寄りください。先着百万名に寄贈いたします

    寄贈主 徳川慶喜

 

 二月十五日

 カフェ モンブラン

 「もう、『富嶽三十六景美術館』にはいってきたか?」

 「ああ、間宮林蔵物語をもらってきたぜ」

 「すごいよな。極東の端を決めた人間だ」

 「ああ、実にわかりやすい。今世紀の八年に樺太が島である証拠を見つけてきた人物で間宮海峡に名を残した人物だ」

 「男はこうでなくては」

 大英帝国外交部

 「この『間宮林蔵物語』であるが、西洋のマスコミにばらまいた結果、多くの新聞で樺太は日本の所有という認識がなされておる」

 「しかも、文字の読めない文盲であろうとわかりやすく解説がなされておる」

 「このプロパンガンダはすごいな。多色刷りの技法は日本が独占しておる。この方法で、日本は世論を味方に世界を渡って行くかもしれぬ」

 「敵に回したら厄介だ」

 

 

 シャンゼリア

 「若様、巷で言われている樺太は日本のものであるという話で持ちきりですが、これを狙ったものですか」

 「いや、ポートサイドで勝が言うには娯楽がないから、是非娯楽をもってきてくれと頼まれてたんだが、では日本の探検家に敬意を表して運河建設にもうひと踏ん張りしてもらおうと思って刷ってもらった。樺太云々はおまけだ。印刷枚数も二桁多かったな。どこに運べばいいか迷った」

 「おかげで若様、このような書状を大統領から受け取りました」

 徳川慶喜殿

 朕は、ナポレオン一世に対する敬愛の意を仏蘭西国民にもっと示してもらいたい。つきましては、『間宮林蔵物語』と同じような手法で『ナポレオン戦記』を浮世絵にしてもらいたい。印刷枚数は百万枚を発注する

    ナポレオン三世

 「やらねばなるまい。たとえ、不穏な空気を撒き散らしている大英帝国と仏蘭西であろうとこれは商売だ」

 「ナポレオン三世の人気取り政策の一環ですな」

 「渋沢、ナポレオン戦記の翻訳は任せた。こっちは、まだ三銃士の日本語訳で手いっぱいだ」

 「やむをえません。私の責任で日本語訳いたしましょう」

 

 

 江戸城芙蓉間

 「この『間宮林蔵物語』だが、世界に樺太は日本のものであると公言いたしたようなものだ」

 「また十四代目候補の画策ですか」

 「こうなってはやむをえぬ。伊賀守殿には樺太入居団の指揮をとってもらいたい」

 「やむをえませんな。露西亜に占拠される前に蝦夷開拓団を急きょ樺太入居団にさせます。ただし、幕府から援助せねばなりますまい。援助がなければ越冬は難しいでしょうから」

 「うむ。その開拓費を計上いたしておこう」

 

 

 日本橋

 「てんてこ舞いでっせ、『間宮林蔵物語』を仕上げたら、次は仏蘭西の三銃士を浮世絵にしろという注文だ。しかもこれは続編があるそうだ」

 「徳川宗家の慶喜殿が翻訳したという話だ。しかし、若様も用意がいいな。仏蘭西に送った浮世絵師にパリ市民、銃士隊、皇帝、貴族、西洋城の写生をさせ、しかも浮世絵にして送ってきておるぞ」

 「仏蘭西に送った人間は、美術館にかかりきりということで帰ってきませんがね」

 「いや、向こうで結構な人気だそうだ。暇があれば我も我も人物画を版画にしてくれと押しかけられるそうだ」

 「そんなに珍しいですかね。ここじゃ、石を投げりゃ、商人か浮世絵師か旅人にあたりやすがね」

 

 

 四月六日

 ポートサイド

 「勝殿、この『間宮林蔵物語』はいいですなあ、男のロマンがあふれております」

 「なにをいわれますか、レセップ殿。初めての仏蘭西語訳がこのような浮世絵になるとは予想もしておりませんでした」

 「なになに、私も予想しておりませんでしたよ。仏蘭西語訳した『間宮林蔵物語』をさらにアラビア語の脚注をつけるとは」

 「エジプト人にも喜んでなによりです」

 「ところで、勝殿。次に来る物語はなんでしょうか」

 「話にきいたところ、『三銃士』を北斎漫画方式で浮世絵にするようです」

 「ほうほう、それは楽しみにしていましょう。日本人の創る三銃士ですか。これはこれで楽しそうですな」

 「私としては、納豆を食べれるようになるほど日本びいきになったレセップ殿の方が心強いですが」

 

 

 六月十八日

 江戸城芙蓉間

 「老中の阿部殿が死去した」

 「では、懸案であった十四代目を決めましょうぞ」

 「阿部殿がいなくなれば、外国かぶれを推す老中はおりませぬな」

 「では、血筋を推すということでよろしいか」

 「それでは、紀州藩の徳川慶福殿に決まりましたと上様に上奏いたしましょう」

 

 

 七月一日

 江戸城大広間

 「十四代目に徳川慶福殿を推挙いたす」

 「ははっ」

 

 

 

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