仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第11話

 安政四年(1857年七月三日)

 シャンゼリア

 「若様、仏蘭西政府の農水省より手紙が来ております」

 徳川慶喜殿

 仏蘭西政府は、貴殿の国からもたらされた生糸の品質を顧み、同品質が特に優れたものであると認識しておる。つきましては、日本から蚕のさなぎを導入したいので前向きな返事を期待する

    仏蘭西政府農水省養蚕課育苗担当官 ミッチェル=アンリ

 「渋沢、この手紙を読んでどうみる?」

 「さて、フィガロ紙を参考にしますとこうですな」

 徳川慶喜殿

 仏蘭西政府は、貴殿の国から持たされた生糸の品質を顧み、同品質が特に優れたものであると認識しておる。只今、ヨーロッパを微粒子病なる奇病が蔓延しており、国内外を問わずヨーロッパの養蚕業は壊滅寸前である。よって、一縷の望みをかけ日本国から微粒子病に強い蚕の種があれば導入したい

    仏蘭西政府農水大臣

 「なるほど、本質をうまく隠し弱みを見せぬが外交というものか。渋沢、蚕を輸出するのはやむをえんか。対価は何を求める」

 「仏蘭西政府にスエズ運河開通後、五年以内に若様が日本国で鉄道を建設いたした場合、全面的な支援と一割の出資を要請いたします」

 「ついに鉄道建設が文字になるのか。仏蘭西政府が飲むか?」

 「飲むでしょう。このまま放置しておけば仏蘭西の養蚕業は失業者であふれ、ヨーロッパ中の生糸生産に支障をきたしているのです。リヨンの絹織物も原料となる生糸がないと仕事にならないでしょうから」

 「では、返答をするかな」

 仏蘭西政府農水省養蚕課育苗担当官 ミッチェル=アンリ殿

 貴国の要請を受け検討したところ、条件付きながらも承認いたしたい。生きた蚕のさなぎを仏蘭西に輸出する代わりに、スエズ運河開通後、五年以内にジャポンで鉄道を建設いたした場合、全面的な支援と一割の出資を要請いたします

    徳川慶喜

 

 

 七月五日

 フランス大統領官邸

 「むむう。これは農水大臣でも取り扱いに困るぞ」

 「どうした、アンリ」

 「ヨーロッパで微粒子病が蔓延しているのは知ってるだろう」

 「ああ、養蚕業が壊滅寸前だとか」

 「ジャポンの生糸を見てみたら品質がいいんだ。ひょっとしたら、微粒子病に耐性がある種がジャポンにあるのではないかと期待して、少なくとも仏蘭西で育苗している種よりも高品質な種を導入できるのではないかと期待してな。浮世絵でパリ市民から一億フランをせしめた徳川慶喜なる人物にジャポンの蚕を譲ってくれと手紙で要請したんだ」

 「断られたか?」

 「断られたら、話は簡単だ。上の人間にジャポンは断りましたと報告するだけですむ」

 「承認したのか?」

 「対価を求められた」

 「馬でも欲しいと言われたか?」

 「馬ならこんなに悩まん。ジャポンに鉄道を走らせるとき、一割出資しろといってきた」

 「つまり、この手紙を受け取って鉄道への出資とまだ見ぬ蚕を天秤にかけ、どちらを優先するかを判断するとなると農水省の金を鉄道出資に費やすわけにはいかないから、農水大臣では不可。財務大臣か大統領か」

 「財務大臣か大統領へ話をもってゆくには、俺の地位は低すぎる。農水大臣に上奏するしかないか」

 「熱意で上司を口説くか、こんな条件はのめませんと報告するか二択だな」

 「そういうな。仏蘭西の養蚕業のみならず、絹織物の救世主となるやもしれぬ手紙だぞ」

 「徳川慶喜殿を口説くか?この手紙のあて先を財務大臣にしてくれますようにと」

 「いや、それは手紙を出した人物に失礼だ。上司を口説いてみる。この手紙にある取引を承認すれば、仏蘭西の養蚕業と絹織物が救えますといってな」

 「なあんだ、結論は最初に出てるではないか」

 「馬鹿を言え。品種改良は、金鉱を掘るようなものだ。外れたら、全部仏蘭西もちで大金を失うんだぞ」

 「俺は、鉄道に出資するのは儲かると思うぞ。仮に他の列強にこの話をもっていけば、対価を求めずにジャポンの鉄道に出資する気になる国はたくさんあるだろ。儲かる話が転がり込んできました。財務大臣様、是非この儲け話にのってください、さもないとこの話は英国に行ってしまいますとくどけ」

 「なるほど、儲け話の線でいくか。ジャポンへの出資は儲かるか、儲からないかで判断してもらおう。蚕はおまけですと」

 「よし、いってこい」

 

 

 七月六日

 仏蘭西経済・財務・産業省

 「失礼します、フォール財務大臣」

 「君かね、今日の予約を取ってきたアンリ君か」

 「その通りです。仏蘭西政府に出資を求めてきたジャポンへの返答をうかがいたく参上いたしました」

 「で、出資の中身は?」

 「ジャポンに鉄道を走らせる際、仏蘭西政府から一割の出資を要請いたしております」

 「その見返りは何かね」

 「株式会社にするゆえ、配当を期待できます。さらに、仏蘭西養蚕業を襲っている微粒子病の特効薬となるやもしれないジャポンの蚕を導入する同意をいただいています」

 「それは魅力的な提案だね。仏蘭西国内のみならず、伊太利、西班牙といったヨーロッパ主要養蚕国は、軒並み微粒子病のために養蚕家の廃業が相次いでおるときいている。ついでに質の良い生糸を求めるリヨンの絹織物業は、生糸の確保に北馬南船しても供給に余裕が見られないとね」

 「では、仏蘭西政府からジャポンへ鉄道出資の保証を確約してもよろしいでしょうか」

 「それでは、相手の言いなりで面白くない。こちらからも仏蘭西の流儀を通しても問題ないだろう」

 「それはもちろん、只今、仏日で交渉中でありますからこちらの要望を伝えてもよいかと」

 「よろしい、こちらからの要望を伝えよう。ジャポンに鉄道を走らせるにはもちろん採算がとれるという前提で話をもってきたはずだ。仏蘭西経済・財務・産業省の出資に値するだけの収支予測を出してもらおう」

 「わかりました。ただちにシャンゼリアの慶喜殿を訪ねて仏蘭西政府が納得するだけの収支予測を出してもらいます」

 「それと、アンリ君。君はその専属とする」

 「そ、そうなりますか」

 「それはそうだろ。ジャポンから私を納得させるだけの収支予測を出せば、君には蚕の品種が手に入るのだからうってつけだろう」

 「はっ、いってまいります」

 「さて、私のところにはこの出資話はスエズ運河開通後の話ときいている。君がジャポンに蚕の品種を取り寄せてもらった後、収支予測を出してもらってもこちらとしては全然問題ないからね」

 「必然的にそうなると思われます。それでは最善を尽くしてきます」

 

 

 七月七日

 シャンゼリア

 「ミッチェル=アンリです」

 「はじめまして徳川慶喜だ」

 「それでは、仏蘭西に鉄道出資の要請をされた件について返答をさせていただきます。基本的に財務大臣の認可を得たことになっております」

 「では、仏蘭西から出資を得られるというのですか」

 「もちろんといいたいところですが、出資は支出に見合うだけの見返りが必要です。鉄道計画が黒字になる必要があります。黒字の収支予測を出していただきたい」

 「どういったものを用意すればよろしいのでしょうか」

 「まず、予算から」

 「渋沢、頼む」

 「では、私が会計を預かる渋沢です。以下の質問には私が答えさせていただきます。仏蘭西の出資を受け入れない地点で九割の予算規模は、四千五百万フラン。これに仏蘭西政府の出資を加えますと五千万フランを予定しております」

 「鉄道設置距離は?」

 「予算の半額を投資に回す予定です。我々は鉄道に対してその範囲内で鉄道を敷きたく思います」

 「よろしい。その件については私がそれに詳しい人物にきいてこよう。ただその前提だが、標準軌か狭軌か?」

 「アンリ殿にお聞きします。パリ=アムステルダム間に使われているのはどちらでしょうか。それと同じ規格で敷きたい」

 「では、標準軌だな。つづいて、沿線人口を」

 「江戸は百万都市です。かの街と十万人規模の街をつなぎたく思います。日本総人口は、四千万ですからその一割四百万人が沿線住民です」

 「鉄道を敷く前提となるのは、平地であることが望ましい。鉄道をひく地形はどんなものだ」

 「東海道は海岸線です。基本的に平地です」

 「線路は、単線か複線か」

 「予算が許せば複線に」

 「将来的な目標は?」

 「日本を鉄道で結ぶために鉄道を二千キロにわたって建設すること」

 「鉄道を敷く技師に予定はあるか」

 「スエズ運河建設に従事している技師を」

 「機関手は?」

 「仏蘭西に機関手候補生を十五名連れてきております。今月より仏蘭西の鉄道で研修に入っています」

 「駅の設計をする建築家にあてはあるか?」

 「ジャン=バティスト殿に紹介してもらったカール=モルティエ殿です」

 「鉄道を運行するにあたって時刻表をつくらねばならない。この精緻な運航図表をつくれる人物に予定はあるか」

 「ありません」

 「今日の聞き取りはここまでにしておこう。それで、私からはこの取引がうまくいくという前提で蚕を仏蘭西に導入する案について承認を得たと思ってよろしいか?」

 「もちろんです」

 「では、なるべく早く生きた蚕を仏蘭西に連れてきていただきたい」

 「最善をつくしましょう」

 「明日も予定を開けておいてほしい。この続きの打ち合わせをしたい」

 「もちろんです」

 「バタン」

 「渋沢、株式会社を起こすにはいくつかの関門を乗り越えねばならないようだな」

 「忘れてました。現在の仏蘭西では、株式会社を起こすために万全の準備をして国から認可を得なければなりません」

 「つまり、起業した会社が黒字化にめどをつけていなければ認可が下りないというのか」

 「株式を集め、さあ資金ができたというのに国の認可が下りないために延々と事業内容を書き直す作業に陥る資本家もいるとききます」

 「踏ん張りどころだな」

 

 

 七月八日

 「同僚を捕まえて聞いたところ、海外仕様で駅、機関車等の設置費込みで単線の標準軌百キロを敷くために必要な資金は、五千万フランだそうだ」

 「運転資金の確保を考えますと三分の一は運転資金にまわす必要があります。若様、線路をひく距離に対し決定を求めます」

 「最大六十キロメートルか。日本橋から平塚まで、六十四キロ。途中の駅は、品川、川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚の五駅で、始点と終点を含めると七駅とする」

 「では、運賃は?」

 「三等で六フラン、二等と一等は、十二フランと十八フランで」

 「石炭にめどはついているか」

 「日本国内で出土いたします。仏蘭西の機関手に日本の石炭を見てもらいましたところ、問題はございませんでした」

 「鉄道の枕木はなにでつくる?」

 「仏蘭西ではどのようなものが使われてますか」

 「鉄か木だな」

 「木で」

 「用地買収は順調にいきそうか?」

 「徳川家の意向とあれば大丈夫かと」

 「仏蘭西より輸送するにあたって、線路、機関車十五両とその客車などで問題ないか?」

 「問題ありません」

 「ふむ、ではこの数字で収支予測を出してこよう」

 「お願いします」

 「あ、それとだな。仏蘭西に生糸の優先交渉権を出してもらえぬか」

 「それはどのようなものか」

 「ジャポンが生糸を輸出する場合、仏蘭西が他国に先駆けて取引をする権利を得るというものだ」

 「入札一番札を仏蘭西に与えると考えてよろしいですか?」

 「そのとおりだ。今、蚕を仏蘭西に連れてきたところで生糸の確保も急がねばならぬ。そのめどをジャポンにお願いしたい」

 「我々にどのような利点がありますか」

 「リヨンは世界一の絹織物産地だ。よって、世界で一番品質の良い生糸を用いる必要がある。その生糸に採用されたとなれば、ジャポンの生糸は世界一の品質という看板をあげることができる」

 「今度、来られた時までに返答をします」

 「うむ、バタン」

 

 

 七月九日

 「ジャポンの平均購買力。つまり、庶民の年間給与を教えてくれ。それがないと収支予測ができない」

 「年間十フラン」

 「バタン」

 

 

 七月十日

 「収支予測が出た。乗車人数一万人。年間収入五百万フラン。支出二百五十万フラン。これは乗客のみに対する数字だ。貨物に対する数字は除外した」

 「では、株式会社の認可がいただけるですか?」

 「問題ないだろう。代表に会長と社長の名前を入れれば」

 「会長に徳川慶喜、社長に渋沢栄一だ」

 「続きまして、生糸に対する優先交渉権の件はいかがか?」

 「一定の購入量割り当てと日本国内の消費が優先であれば契約いたしましょう」

 「それは問題ない。ではすぐさま契約しよう」

 

 

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