仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第101話

 1888年(明治二十二年)十一月二十日

 松本駅

 「さて、松本駅についたら、駅弁を調達して新潟行きに乗れか。おや、降りた乗客が次の列車を待つのではなく、駅の改札口をくぐってゆく。なんかわからんが、ついてゆくか。次の列車までしばらくあるしな」

 「お客さん、切符をみせてください」

 「おお、すまん、この旅券でいいか」

 「はい、期日を確認しましたのでご自由にお通りください」

 「駅の出入り口に向かう者もいるが、大半はあっちにいっているな。拙者もついてゆくか」

 「ここは、駅の敷地内か。でも暖かいな。ストーブの暖気が心地よい。つい、うとうとおしてしまう」

 「お、次の列車がついたようだ。新潟行きに乗るべ」

 「あ、おいてかれちゃいかん。新潟行きの急行に乗らねば」

 「その前に駅弁を調達してゆけか。うーん、どれにするか。売り子さん、地鶏飯とお茶をくれ」

 「はい、どうぞ」

 「さあ、新潟行きに乗りこめ」

 「ふう、これで一安心だ」

 「にいちゃん、どこまでゆくんか」

 「新発田まで行きます」

 「ほう、新発田か。では、新潟まで御一緒だな。で、一等列車に乗ってるということはどっかのボンボンか」

 「いえ、新発田まで行く用事は、仕事で同僚となったやつが死んでしまいまして、そのお墓に参りに行くんで。一等に乗っているのはたまたまです。墓参りに行くとなった仕事場でくれたんで」

 「ほう、祝捷なこった」

 「あの、お一つおききしてよろしいですか」

 「おお、何でも聞いてくれ」

 「松本駅で降車した皆さん、一旦改札口をくぐって休憩所みたいなところで暖を取ってましたね。あれ、なんですか」

 「おお、にいちゃんとこは南国やな」

 「南国といわれると確かに常夏のところに今までいましたが」

 「でっかい会社に勤めてるんやね。鉄道会社か」

 「いえ、身分は、藩士ですが、次男坊なので外国へ出向させられてました」

 「そうか、それなら雪国の常識をしらんでも仕方ないな。あれは文字通り暖をとってたんだ。駅のホームで次の列車も待つ常識が通じるのは、そこが温暖地だからだ。信州でそんなことをしてみろ、十一月だからまだ我慢できるが、真冬にそんな酔狂なことをしてみろ、風邪になるか凍傷になる」

 「ああ、だから皆さん、次の列車を待つ間、ストーブの前に集合されるんで」

 「ああ、そのために改札口を出ても戻ってくるとわかっているわけだから、駅員も切符をみるだけだ」

 「へえー、初めて知りました。後、一つ、今日電球なるものを初めて見たんですが、塩尻駅以北ではまだないようなのですが、それはどうして」

 「それは、日本橋から遠くなったからだ。電球は電線で電気を利用しているわけだが、高価なものだ」

 「そのようですね。お日様が照っているようでしたから」

 「そうすると、文化は江戸に近いほうからのびてくる。今は、塩尻が信越線の電球がある北限かな。来年ぐらいには、この駅も電球がつくだろ」

 「なるほど、だんだん便利になるんですね」

 「なるさ、日本は小判が増えている国さ。金が増えているんなら、世の中はだんだんと便利になってゆくさ。で、にいちゃん、墓参りが終わったら日本橋に戻るんか」

 「それが、国元が讃岐なので、次は国に帰る予定です」

 「では、京と大坂経由か」

 「親不知はみてゆけと言われましたが」

 「親不知をみてゆけと言われたのなら、富山経由か。北陸線を西か、それとも高山線経由か」

 「あのどちらがいいのでしょうか」

 「急ぐなら北陸線だ。日本アルプスに選ばれたこともある飛騨山脈をみてゆくのなら高山線かね」

 「では、北陸線でしょうか」

 「北陸線経由か。なら、琵琶湖はみたか」

 「いえ、日本を発つときは、東海道線を走りましたからみたことはありません」

 「だったら、長浜で降りて琵琶湖湖岸を歩くといい。で、にいちゃん、讃岐ということは砂浜を歩いたことはあるか」

 「もちろんあります。でなければ、船にのって本州に渡れません」

 「だったら、海水浴の経験は?」

 「海水浴はしたことはありませんが、よく瀬戸内海で泳いでました」

 「では、砂浜の感触はわかるか」

 「素足であるくと気持ちよかったです」

 「ほかほか、なら琵琶湖湖岸で水泳場とよばれるところにいってみるといい」

 「なんですか、海水浴場でないんですか」

 「そりゃ、琵琶湖は淡水だからだ。海水ではないからそりゃ、使えない言葉だ」

 「ごもっとも」

 

 

 十一月二十一日

 新潟駅

 「じゃ、にいちゃん、ここでお別れだ」

 「道中、楽しく会話できました」

 「おう、こちとら浦島太郎と会話しているみたいだったぜ」

 「浦島太郎か。いい得て妙だな」

 新発田城下町

 「ごめん、こちらは長尾研三殿のご実家とお見受けするのだが」

 「さようで、そういう貴殿は」

 「拙者は、高松藩士遠藤誠二と申す。研三殿とは、パナマで同じ釜を食った仲だった。拙者にも焼香させていただけるでしょうか」

 「少々お待ちください」

 「御新造様、パナマで研三坊ちゃまと同じ職場だったという遠藤殿が参られました」

 「では、仏壇にご案内して」

 「では、失礼仕る」

 「仏ブツブツ」

 「粗茶ですが、どうぞこちらへ」

 「では、失礼仕る」

 「もしかして、遠藤殿は年季明けでしょうか」

 「はい、三年の年季が来ましたので一旦、実家に顔を出そうと思っております」

 「そうですか。では、研三が無事なら今日、顔を出していたのですね」

 「はい、拙者は運よく三年の月日に耐えることができました。ですが、同期の十人のうち三人が日本の土を踏むことはできませんでした」

 「では、研三はその不運な三人の中に入っていたということですね」

 「はい、現地の風土病にかかるかからないのは文字通り運任せでした。一期生は文字通り最初の半年は、生きた気はしなかったですね。半年後、現地で蚊取り線香が広範に焚かれるようになりますと、風土病で死ぬ人間はピタリと止まりましたが」

 「半年が命の境界線でしたのでしょうか」

 「半年、生き延びた人間はほとんど三年の年季を迎えることができました。ほんの数人が工事機械で死傷いたしましたが」

 「では、五カ月目で死んだ研三は、後一歩というところでしたのね」

 「はい、同期三人目の死亡者が研三殿でした。幸い四人目の死亡は出ませんでした」

 「神様は、不公平ですね。後二カ月早く蚊取り線香がパナマにたどり着いていれば研三は死なないですんだものを」

 「はい、一月に二千人が死ぬ状況でした。蚊取り線香が一月早ければ二千人が死なずにすんだことでしょう」

 「では、現地の研三はどのような状況でしたでしょうか」

 「研三殿と仲良くなったのは、拙者が現地で食当たりして職場を離れた時にも拙者を見舞ってくれました。あれは、現地に到着して一カ月目のことだったでしょうか。毎日、高熱に見舞われてバタバタと同僚が倒れてゆく日々の中、研三殿以外にそのような気遣いをしてくれた御仁はございませんでした」

 「あの子は、昔からそうでした。馬鹿正直にパナマ行きを承諾してしまいました。品川行きの列車に乗るのを駅まで見送りに行ったのが最後の別れとなってしまいました」

 「お気持ちを察しいたします。拙者これにて、国表に顔を出さねばなりません。失礼仕る」

 「何もお構いできなくて。遠藤殿、これからいかがなさるつもりですか」

 「日本に帰ってきてみて、発展してゆく土地をみていると、拙者らが海外で汗水流して働いたのは無駄ではなかったと思います。拙者はしがない次男坊。日本にいても臨時の職がなくなれば、ただの冷飯食らいにて国元に帰国報告をした後、できるとしたらもう一度パナマに行くかと」

 「それは貴殿の意思ですか」

 「後、九年パナマ運河が完成するまでにかかる日数です。予定でしかありませんが、完成を待たずに死んだ奴のためでもありますでしょうか。見届けたい気持ちがそこにいかせるのでしょう」

 「では、貴殿の健闘をお祈りいたしますわ」

 「では、拙者、ごめん」

 

 

 十一月二十二日

 長浜藩南浜水泳場

 「確かに海水浴場ではござらんな」

 「ザザザザザアア」

 「波は岸辺にうちつけている。だが、足元が根本的に違う。砂浜でなく、丸い卵大の上を歩くのが琵琶湖湖畔か。日本は広いな」

 長浜駅

 「よう、この寒い中、水泳場にいってきたんか」

 「はい、瀬戸内海とは大いに違ってました」

 「どう、ちがうんだ」

 「岸辺が石浜でした。讃岐の海水浴場は、砂浜ですね」

 「へー、そんなもんか。まあ、明治の時代になって海水浴や水浴場が普及し始めたのだから。おれ、海水浴場に行ったことはないんや」

 「はい。新潟までの道中で隣り合わせになった人が言うには、鉄道ができて砂浜がある土地まで簡単に行けるようになってから海水浴がはやり出したということです」

 「そうか。おれもそのうち日本海まで海水浴に行きたいんや」

 「海はいいですよ」

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

誤字脱字・感想があれば掲示板へ

humanoz9 + @ + livedoor.com

第100話
第101話
第102話