仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第102話

 1888年(明治二十二年)十一月二十三日

 高松城下遠藤鑑三宅

 「母上、只今、誠二がパナマより帰国いたしました」

 「よう戻ってきたな。とりあえず、仏前で御先祖様にご挨拶をしなさい。三年ぶりの仏壇でしょう」

 「では、早速」

 「チン、チン」

 「誠二、あんたは運がいいんじゃの」

 「たまたまですよ。パナマでのことなら生死の境目は、誰にもわかりませんでした」

 「何を言うてるんじゃ。隣の次郎さんも三つ向こうの幸三さんもパナマから死亡通知が来て、その際についてきたのは本人のちょんまげだけ」

 「ご近所では、その二人も死んでしまいましたか。寝るときは、藩ごとに一つのテントで寝るようにしてましたが、二人とも現地で風土病に罹患して我々とは隔離されてましたが、それっきりでしたね」

 「それって、薄情な会社じゃない」

 「現地で昨日まで元気な人間がコロッと高温を発症して病院に収容される。回復しないで死んだことを残りの者たちに知らせるのは、士気が維持できませんから、現地の人間には本土に復帰したというのが賢いやり方でしょう」

 「そんなにたくさんの人が死んだんか」

 「一期生が二万人の大所帯で仏蘭西が投げ出した仕事を引き受けましたが、毎月千人が死んでいったと帰りの船で教えてくれました」

 「そりゃ、誠二、計算が合わんよ。三年間、ずっと千人ずつ少なくなってゆけば、二年を待たずに全員が死ぬじゃない。途中で補充があったんかな」

 「半年後、蚊取り線香を焚き始めたら風土病がピタッとなりを潜めてしまってね。それからは快適な職場だったよ」

 「快適な職場って、暑苦しいって聞いたよ」

 「元々は、仏蘭西が亜米利加で契約した中国系をひきとめるために整えた環境だから、契約した中国系の脱走を防ぐために設備はいいものがそろっていたし、高松のうだるような夏よりも快適だね。日中は暑いけど、日本の夏の方がじめじめとして不快だし、夜になれば、涼しいから」

 「じゃ、なんだい。日本より働きやかったってことかい」

 「いいものを食っていたのも事実。向こうで食っていたもので保存がきくものをもって帰ったから食べてみれば」

 「ドサドサドサ」

 「えーと、棒鱈に身欠けニシン、それにらっきょ漬け、水戸の梅ぼし、京の蕪漬け。へー、いいもん食ってるじゃない」

 「それじゃない。重たいものは底にある。干し鮑に鮭缶、みかんの缶詰、スルメの干物に海栗の瓶詰」

 「誠二、みかんの缶詰なんていくらすんだと思ってんだい。一缶あれば、みかんの箱が一箱買える値段って果物屋で見かけるよ」

 「だから、パナマは戦場地扱いなの。軍需物資というものが日本からパナマに送られてきて、俺たちはそれを食ってただけ。日本からパナマまでの船便の最中でも変異しない保存食の形で送られてくるんだから。そりゃ、俺たちにしてみれば、生のみかんは食いたい。けれど、冷凍船でも就航させない限り、そんな話は土台無理。だから、缶詰を食ってるしかなかったの」

 「そりゃま、確かにその通りだね。で、これは何。下関フグの一夜干し。これも日本から送られてきた物資の中に入ってたのかい」

 「ああ、そりゃ、山陽線の列車の中で仲良くなったおじさんと下関まで乗りあわせて、ふぐをたらふく御馳走になったそのお土産に持たされた分だ」

 「あんた、高松に帰るのに下関まで遠回りしたんかい」

 「しかたがないといえばそうかな。同期の連中が三人帰らぬ人となってしまったから、越後の新発田に長州藩の萩、それに福岡藩の博多まで焼香にいってきたんだ」

 「そりゃ、祝捷なことで。お金が持つんかい?」

 「パナマでは金を使うところがなかったしな。三年の給金があったし、日本各地を回ってきたのは、幕府がくれた切符のせいだ。一月間、日本全国の鉄道の一等列車に乗れるやつを品川でくれたからな」

 「まあ、生死の境を除いてきたんだ、そのくらい問題ないかねえ。それと誠二、ここに藩がよこした文がある。あんた宛だよ」

 「どれどれ、実家に顔を出したらその翌日、詰所に顔を出し、目付までパナマでの勤務状況を報告せよときましたか」

 「では、誠二、明日は登庁ね」

 「明日も浦島太郎の気分だな。すっかり詰所の顔触れも変わってるだろうし」

 

 

 十一月二十四日

 高松城

 「遠藤誠二、お達しにより参上仕りました」

 「パナマに派遣された者全員におこなっている聞き取り調査だ。気楽に答えてよいぞ。形式的なものだ」

 「はい」

 「貴公は、パナマに派遣された一期生であるが、同僚は何人帰国できなかったか」

 「十人のうち、三人帰国できませんでした」

 「パナマでの暮らしは快適だったか」

 「高松にいるより、上等な食事に快適な労働環境で満足できるものでした」

 「生死の境をさまよったときくが、それに関しては」

 「生きた心地がしなかったといえますが、それは最初の半年だけでしたので乗りきることができました」

 「では、もし仮に死亡率が当初のまま続いたとしたら、我慢できたのはどのくらいの期間か」

 「一年でしょうか。もしそうなった場合、死傷率が過半数を越えますので、仕事をほうりだしていたかと」

 「パナマでの労働で幕府に対する恨みややっかみはあるか」

 「蚊取り線香が最初からあれば言うことなしでした」

 「では、幕府に対する要望はあるか」

 「二期もしくは三期の募集があれば、もう一度パナマにいってみたくあります」

 「それはなぜか」

 「死んだ同期のためにも完成まで立ち会えるならば立ち会いたくあります。また、途中で仕事を放り出すことに未練を感じます」

 「では、次の任期は六年でよいのか」

 「いえ、三年したら今回のように日本全国を旅するつもりですので、任期三年を希望いたします」

 「パナマ運河への派遣であるが、貴殿が望むならできるだけの便宜を藩としてはかってやりたい。うまくいけば、二期の補充人員として登録しておく。それが無理ならば、三期派遣人員の中に入れておくことを約束しておこう」

 「ありがとうございます」

 「では、以上で聞き取りを終える」

 「では、失礼仕る」

 「パタン」

 

 

 高松城鷹の間

 「再び、パナマに行きたいという藩士の割合は?」

 「三割が再び希望いたしています」

 「それは、帰国した人員に対する比率か」

 「その通りです」

 「では、そのうち完成までの年季を希望したものと一期の年季を希望した者の比率は?」

 「完成まで働きたいというものが二割。一期を希望するものが八割です」

 「これは、幕府の懐柔策がうまくいっている証拠だな」

 「例の日本全国乗り放題切符のおかげだな」

 「確かに反響はすさまじいものがあります。平民が一期働きたといって大量に応募者が出ております」

 「全国乗り放題切符の効用はここにも出ているな。三年働ければ日本全国を回る旅ができる。」

 「どうやら、二期の補充募集はなさそうだな」

 「そして、三期目以降は平民が六割を超える比率で士族はお役御免となりそうだな」

 「一期目の命からがら帰ってきた者達がパナマに再びいきたいというのであれば、その者たちから幕府批判はなしとみてよいだろう。三年もパナマに追いやられるのであれば、世間はその者達の言葉を拾うことはできませんし」

 「そして、全国に散り散りとなった面子を訪ねて回れるとなれば、宿泊料のいらない全国一周旅行ができる」

 「そして、三期目の職場で、年季明けにできる旅が待っているとなると仕事にも張り合いが出てくる」

 「仕事もはかどるときたか」

 「幕府批判が臨界点を大幅に収まる所で終息するのであれば、討幕への原動力はみあたらない」

 「幕府にしてみれば安い買い物か」

 「で、お主は、どのくらいの士族が死んでいたら倒幕の流れができたと思うか」

 「十万人でしょう。そうなれば、さすがに幕府への批判はおさまりがつかないところまで沸騰したことでしょう」

 「妥当なところかのう。後は、パナマ運河が無事完成してくれれば、幕府は安泰だな」

 「では、失敗した場合はどうなるのでしょうか」

 「幕府は金のなる木をとり逃したのであるから、藩を三つほど取りつぶしせねば、幕府の保証した債権を払えないだろうな」

 

 

 

 

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