仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第113話
1892年(明治二十七年)五月二十一日
ピロビジャン西方二百キロメートル(ハバロフスク西方四百キロメートル)
「五月の最高気温は、十八℃で、最低気温は七℃。まさに鉄道埋設日和」
「おいおい、俺たちは世界最深のバイカル湖を見にきたわけでもないぞ」
「とはいうが、オビ川、エニセイ川、レナ川の三大河川を越えてきたんだから、湖はついでだよついで」
「言いたいことはわかっている。俺たちは山師。シベリアで有力な鉱山を探索するのが第二の仕事」
「魅力的な鉱山を探索できれば、それだけシベリア鉄道の価値はあがるからね」
「第一の目的のために、食料確保にいそしんでいては駄目かね」
「お、鹿発見」
「パンっ」
「お見事」
「これを鉄道埋設箇所に持っていけば、いい金になる」
「冬だったら、生血まで売れるのだが、夏だから血抜きをしないとな」
「シベリアの開発は昔から、商人が先行していたからね。毛皮を求めて、東へ東へ商圏を広げていった商人の後を露西亜政府が後追いしたのだが」
「しかし、シベリアの地図が完成してくると、北極圏の航路を開拓したい英吉利と阿蘭陀との三つ巴。極東からは、清と日本が北方開拓団を展開してくるようになると、商人の方も露西亜の後ろ盾があった方がいいと、現地民であるモンゴロイドを部族ごとに露西亜に勧誘していった」
「ま、住んでいるだけである意味、すごいともいえるが」
「冬が来れば、零下五十度はざらだからね」
「俺たちもそれまでには、極東の港から亜米利加行きの船に乗らなければならないが」
「九月には、日本橋で一服しなければ気候が厳しいんだが」
「八月に雪が降るとは。冬将軍は、待ってくれないからね」
「俺たちは、シベリアを越えてベーリング海峡を越えていった先人のまねはできないね」
「そういえば、アラスカが亜米利加領になったのが67年か。現皇太子がその時いたら、亜米利加に売っていたか?」
「ポンと六億ルーブルを集めたんだから、ベーリング海峡をはさんで、鉄道を走らせることを企画しないか」
「そうだな。アラスカがまだ露西亜領ならば、その時はまた資金集めに奔走しそうだな。世界一周は三十日で達成されるとか」
「単純に、北緯六十度で世界一周をすると、赤道半径の半分(r cos 60° = 0.5 r)
だから、世界一周が二万キロと、それを含めるともっといけるさ」
「そんときは、アラスカで山師をしてるかもね」
「そんな誘惑は、清露戦争のかたがついてからの話だね」
「目下、俺たちは食料調達係と言われても否定できない」
「日銭を稼ぐために、シベリア鉄道建設現場と地元民との間を行ったり来たり」
「部族には、物々交換で食料を供出させるのが現在の主たる仕事。これが一番効率的」
「金属器たる鍋と岩塩が最重要物資だね。これさえあれば、かなりの食料が確保できる。もっと鍋に加工できる金属を後方は送ってこい。そうすれば、わざわざシベリアまで食料を輸送する手間が省けるぞ」
「まあ、三万人が食料を消費しているんだから、どうしても食料消費の方が早いんだか」
「とはいっても、年越しまでの食料は確保できそうだな」
「ああ、コサックが来るまでは工事が進行しそうだ」
「あ、あれだ。交易品の中に『四つの署名』は受けが良かった」
「ああ、児童向けに犬耳のやつが食いつきもいい」
「ここでも、英吉利人は犬耳でなくてはな」
六月七日
赤い城
「極東指令部(東経135 °4 ′)
からの連絡が参っております。極東指令部の食料は、年越しまで見通しがついたとのことです」
「よし、清に先手を取られたが、秋には、コサック兵の編成を終えて、モンゴルで反撃といこうではないか」
「東進しているシベリア鉄道で現在いけるのは、ノヴォニコラエフスク(現ノヴォシビルスク、東経82 °56
′)
東方にあるクラスノヤルスク( 東経93 °4 ′) までだ」
「ノヴォニコラエフスクから極東指令部まで直線距離で、770キロ。馬で一日四十キロなら二十日がかりだ」
「だから、ノヴォニコラエフスクからウランバートル( 東経106 °55 ′)近郊で騎馬戦を挑むのだろう」
「ああ、そこならほぼ同経度で集合に適したイルクーツク( 東経104 °16 ′)がある。といっても、そこからウランバートルまで五百キロあるが」
「イルクーツクの前線基地から戦場まで一カ月かけてモンゴル入りか」
「コサック兵二十万人の騎馬隊を維持するためにどれほど苦労すると思う」
「輜重部隊だけで一万人が必要だな」
「それを馬車で運ぶ苦労をわかりやがれ」
「つくづく、シベリア鉄道が外資でよかったよ。さもなければ、戦争を継続させるだけの経費、おもに食料だが、輜重だけで露西亜経済がへとへとになるところだったぞ」
「その外資を食わせるために、シベリア中の部族にあてて、食料調達を訴える手紙を書いた文官へのいたわりもよろしくお願いします」
「ともあれ、戦争準備の点で大きく清に後れを取ったな」
「清に赴任している独逸将校にしてみれば、勝機はここしかないと思ったのでしょう。そのために清の八旗軍を鍛えていたそうですから」
「敵は、戦争準備を怠らず、わが軍は、総延長七千キロの補給編成にも苦労をしているか」
「シベリア鉄道が完成していれば、前線まで兵を輸送するのに苦労しないですんだのですが」
「少なくとも、完成する前に極東が清の手に落ちているのは間違えない」
「ええ、95年ならば、完成予定を見込んだ、もしくは線路埋設がシベリア中央付近で、極東が落とされても、こちらはその後反撃する手段が取れるのですが、残念です」
七月二十日
ハバロフスク近郊 清陸軍司令部
「最近の動きはどうだ」
「海上部で臨検しているウラジオストクは、変わりない。ハバロフスクから出ていく資材も変わりないが、線路埋設箇所に出てゆく食料が減ったな」
「ほう、では、籠城する部隊が根をあげるのも近いか」
「それがな。線路を埋設している所に偵察を出してきたんだが、食事状況はむしろ改善していると報告があった」
「どこからか、差し入れがあったとみていいか」
「工夫の中に狩猟が得意なものがいて、獲物をしとめているのかもしれん」
「工夫三万人はとてもではないが支えきれないだろ」
「それはそうだが、線路を埋設している土地はシベリアで、現地民が少数だがいるわけで、その者たちと食料をやり取りしているとみるのが自然な流れかね」
「ということは、籠城に使う食料が少しばかり長持ちするときたか」
「うかうかしていると、シベリアを横断してきた騎馬隊と衝突という想定は、やはり避けられないだろう」
「籠城というものは、援軍がいてこそ成り立つわけで、やはり野戦をしなければ、講和への道は開けぬか」
「ああ、どちらも世論を納得させねば講和への道が閉ざされてしまうだろう。野戦で勝敗がつくのが最もわかりやすい」
「となれば、ウランバートル近郊に張り巡らせた有線網を生かして勝つという初期設定が重要か」
「モンゴルにおける地の利で勝負する方法に異論はない」
「敵は、バイカル湖から五百キロ。ウラル山脈からでは更に千キロを移動してこなければならない。補給線の伸び切った地点なり、輜重部隊を押さえるなりして退場いただこう」
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