仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第124話
1894年(明治二十九年) 八月二十二日
パリ 大統領府
「仏蘭西から提示された条件ですが、このままでは西班牙がキューバ、フィリピン及びプエルトルコを亜米利加に譲渡する代わりに、百億フランを費やしたパナマ運河の株券のうち、六割を対象とした三分の一でありますから、二十億フラン相当を手にすることになります。我々、亜米利加政府といたしましては、そこまで西班牙に支払うつもりはございません」
「事情は、よくわかっております、リー外交官。スペインの植民地であるキューバ並びにフィリピンでは、ここ十年ほど独立戦争が継続しているとか。そのため、植民地からの税収を西班牙はほとんど手にできないばかりか、部隊の派遣もままならない状態だと」
「だからこそ、亜米利加が西班牙から植民地を譲り受ける契約が成立するというものです。不良債権と化した植民地だからこそ、西班牙も手放すのですが、その対価が二十億ドルというのは納得できません」
「では、いかほどに」
「十四億ドルほど削りましょう。それと西班牙に支払うのは、来年以降亜米利加から六年分割で六億ドルを亜米利加ドルとしましょう」
「では、西班牙が得るものは現金のみですか」
「もちろん、西班牙政府が市場を通じて株式を購入するのは何ら問題ありません」
「そして、亜米利加は、パナマ運河株式会社の株式を過半数必要としております。ですから、亜米利加政府といたしましては、亜米利加政府が購入する優先株が普通株式に転換さる条件として、次の二点を追加していただきたい
一、 西班牙政府は来年より六年間にわたり、亜米利加政府より計六億ドルを分割して受け取るものとする。その間、キューバ、フィリピン並びにプエルトルコは西米両政府の共同統治とする。指定された金額が支払われた時、上記の植民地は、統治権を亜米利加が有するものとする
二、 七年目以降、亜米利加は規定日時の市場価格の二割五分増しでパナマ運河株を一旦優先株として受け取るものとする。これ以降、四十四年間にわたってパナマ運河株を亜米利加は購入してゆくこととするが、亜米利加が過半数を獲得した地点で優先株は、普通株式に転換するものとし、これ以降実質、優先株と普通株とは同意義とされる。亜米利加が過半数を獲得した後、亜米利加はこれ以上買い増しが必要ないものと判断した場合、自主的にいかなる罰則なしに買い増しを中止してもよいものとする」
「なるほど、この場合、亜米利加が過半数を握った場合、買い増しをしない選択肢を追加したということですな」
「ええ、五十年後の亜米利加の判断はその時の大統領が判断すればいいことです。尤も、パナマ運河の交通量が順当に増大してゆけば、仏日両政府が握るパナマ運河株を亜米利加は購入するという選択肢をとると踏んでいます」
「では、仏米両政府間の折衝はこれで成立したと」
「ええ、シェイクシェイク」
「この後、日本に行かれるので」
「日本の日本橋にて幕府と折衝することになるでしょう」
「それでは、仏蘭西からは仏米両政府間での交渉を電信しておきましょう」
「できればお願いしてもらいたい。そうすれば、幕府との交渉が円滑にいくでしょう」
十月三日
オテル 日本橋
「リー外交官、ようこそ、日本へ」
「ええ、日本橋に来るのを楽しみにしていました」
「すでに、仏蘭西との話し合いを済ませてきたそうで、こちらとは細部を詰めることになるだけでしょう」
「では、細部を詰める前に一点、こちらから質問したいことがあります。当初、パナマ運河会社が集めた金額は、五十億フラン程度だったはず、これで完成するつもりではなかったのですか」
「初代パナマ運河社長のレセップス氏は、スエズ運河を完成に導いた手腕でパナマ運河の建設に着手いたしました。彼は、その時すでに七十代後半であり、完成見通しが立たないながらも引き受けざるを得ませんでした」
「名声ゆえですか」
「ええそうです。彼が悩まされたものはいくつかありますが、十億フランを越える遅延を伴ったのは、現地の風土病が最初です」
「マラリアと黄熱病でしたか」
「ええ、当初、予防法もわからない未知の病気でしたから、亜米利加横断鉄道に従事した清人さえ逃げ出したほどです」
「そのせいで、仏蘭西はパナマ運河という不良債権を抱え、日本に丸投げしたとか」
「はい。その問題が解決しましたら、今度は、地球の背骨を掘ってる気がしてきました。これが建設費を増額した一番の要因です」
「なぜでしょう。それほど高い所はなかったと思いますが」
「コロンビアの北部から世界第二の屋根と言われるアンデス山脈が始まります。パナマ運河を掘っていた身といたしましては、アンデス山脈はパナマ運河建設地の所から海底深く盛り上がったとしか言えませんねえ。亜米利加の方なら、ロッキー山脈を思い浮かべていただけるといいでしょうか。山というものは、堅い所があるから高い所が残っているわけでして、例えるのなら、ロッキー山脈の高所を掘っていたと同意義でしょうか。パナマ運河掘りというのは」
「例えは悪いかもしれませんが、ロッキー山脈にある金山を掘っていたと」
「それが適当な例えかもしれません。とにかく堅い地盤を掘るために、毎日熱帯雨に阻まれたために作業効率が上がらなかったというしかありません」
「スエズ運河を開通させた日本人にそう言われるのでしたら、パナマ運河を掘るのは想像を絶する苦労だったのでしょうねえ」
「ええ、ですから、日本から提案させていただくことは、一点です」
一、 亜米利加は仏日双方に等分を支払うこととする
「となりますと、仏日で運河株を毎年等分受け取ることになりますが」
「はい、日本は仏蘭西政府から受け取ったパナマ運河会社を二十年間にわたって運用することになりました。そのため、仏日でそれぞれ三割の同株式を保有しています。亜米利加とは日本も末長く友好関係を維持していきたいと思いまして、日本に対する先払いという仕組みを取りやめにしてもらいました」
「ええ、亜米利加は支払いが続く限り、仏日と戦争を起こすわけにはいきません」
「そう、日本としては、四十年前、日米通商条約の時にさんざんハリス総領事にこのままでは、世界の列強から日本は戦争を吹っかけられると脅されたものです。それが亜米利加の方から和平交渉をもちかけられるとは。いやはや、日仏でうまくいってますな」
「それでは、交渉成立でよろしいですかな」
「では、日本からは近々発売予定となります『パナマ運河物語』をお渡しいたしましょう。帰りの船でも読まれるとよいでしょう」
「どのような内容なのでしょう」
「パナマ運河建設に伴う苦労話をまとめた浮世絵です」
「ありがとうございます」
十月四日
日本アルプス百景美術館本館
「うーーん。さすがに俵屋宗達が描いた雷神は迫力がある。見に来たかいがあった」
「なんや、背広を着たおっちゃん。これを見に日本に来たんか」
「はい、これをみるために早々と交渉を切りあげてきました」
「そうだな。浮世絵の源流をつたっていくといきつくところ、この雷神か、はたまた、京の高山寺に伝わる鳥獣人物戯画にいきつくって話だ」
「その絵はみられるのでしょうか」
「うーーん。近々国宝に指定されるはずのものだからどうかな、生半可なことでは無理だろう。なんせ、お寺としては、寺を開帳する際、目玉となるような品を普段から一般開放なぞしてないだろうしな」
「あの、開帳とはどういうことでしょう」
「元は、本尊とそれに付属する仏像などを納めている仏堂で扉を開いて拝観できるようにすることなんだが、京の有名寺ではそれを数十年に一度という頻度でしか開帳しない寺もある」
「どうしてそんなことをするんですか、浮世絵は世界の宝ですよ」
「そりゃ、その時にたくさんの拝観客を集めて、有料で金を取るためだ」
「それは、とっても残念な話です」
「でもよ、おっちゃんは日本まで旅行に来れるほど金持ちだろ。あんたは、浮世絵の一つも持っていないのか」
「もってます」
「ほう、それは一般の人も見ることができるのかな」
「残念ながら、友人にしか見せていません」
「なら、あんたも他人をどうこう言う資格はねえよ」
「でも、浮世絵の開祖ですよ。私は見る、いや見たい。また日本に来る機会があれば、今度は幕府を動かしてみせます」
「でもよう。まずは隗より始めよという格言もある。自分がそうしていないのに他人に押し付ける。それでは他人の心は動かせないぜ」
「そうですね。一つ勉強になりました」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
humanoz9 + @ + livedoor.com
第123話 |
第124話 |
第125話 |