仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第132話
1896年(明治三十一年) 五月十四日
パリ 富嶽三十六景美術館
「ロシア正教の名のもとに、本日、府主教が露西亜皇帝たるニコライ二世と皇后アレクサンドラの結婚式をこの美術館で行う」
「ロシア正教のトップによる戴冠式も兼ねていますか」
「それにしても出席の面子はまたすごい」
「大国ということもあるが、ヨーロッパの皇室は親戚ばかりだからな」
「ええっと、皇后が英吉利の女王だったビクトリアの孫で」
「陛下も阿蘭陀からやってこられた母上の生まれで、独逸皇帝と陛下はいとこ?」
「なんだかそうなるようだな」
「と、ヨーロッパの皇室は親戚ばかりだから、戴冠式にも本人もしくはその代理人が押し寄せるのさ」
「日本からきた幕府代表である我々の方が少数派か」
「そうですね、血縁関係のない我々はむしろ珍しい方に入ります」
「しかし、面前で仏露友好の演出か」
「結婚式には、誰も文句はつけようがございませんから」
「冠婚葬祭には、出席を求められた場合、出席しないほうが野暮ってなものだからな」
「しかし、我々には重大な任務があります」
「皇后さまの美人画を画いてくれと御依頼がありましたから、頼まれればやるしかないでしょう」
「我々もここに来るまで十五日で到着した。今回は日本も出資しているシベリア鉄道の乗り心地を出資者である大奥に報告するのが主要な任務だが」
「日本もこの路線があれば、仏蘭西がヨーロッパで戦争に巻き込まれた際、援軍を鉄道で送り届けるようになるのかね」
「それは難しゅうございます。仏蘭西の戦争相手となるのは、その筆頭が独逸、次に伊太利でしょうか」
「伊太利には仏蘭西は勝てそうだしな」
「となりますと、仮想相手国の筆頭である独逸と仏蘭西間で戦争となりますと、日本は仏蘭西領に到着することなく、露西亜領のサンクトペテルブルグに足止めを食らうことになるでしょう」
「そうか、日本はアジアより先に兵を進めなくても済むのだな。それは懸念事項が一つ減った」
「しかし、大奥は源氏物語の完結後、どう世界を渡っていくのでしょうか」
「そうだな。試行錯誤を繰り返している最中だとしかいえまい。カラー印刷という武器も大方西洋諸国に追いかけられてしまっている」
「はい、印刷の色を六色まで増やしていますので、何とか三色印刷の追い上げをかわせる状況ですが」
「というわけで、もう一度浮世絵を唯一物にするために日々研究の日々だな」
「何年かかるのでしょうね」
「浮世絵四百年の歴史を紐解くまでもなく、十年ではすむまい」
八月十日
信州松本路地畑
「それではここに集まった皆さま方に、シベリア鉄道経由で食された野菜をこの地でも栽培できるようになりましたので、試食いただき感想等を食後に述べていただきます」
「一つ聞きたいのだが、ここにある料理は全てその感想を言うためにあるのか」
「はい、漬物に関しては浅漬けとして試食していただきます。鍋ものに関しては準備を含めますと、二時間前から」
「これを売り物にするために今日は集まったのかね」
「それは問題ありません。シベリア鉄道で食された方々は、その上品な味わい方に称賛を集められ、ぜひとも国内で食べたいと要望がたくさん集まっております」
「では、今日、ここに我々が集まった理由を食する前に訊こう」
「実は、この野菜は開国以来幾度となく、我が国に種が持ち込まれ各地で産地化を目指して品種登録されるために試験場での試験栽培が繰り返されてきました」
「ふむ、それではその試みが幾度となく挫折した理由を聞いておきたい」
「実は、この野菜、アブラナ科に属しています。アブラナ科の食物は、近種交雑というものをするとごく最近、仏蘭西からの知識でわかりまして、交雑育種ためにこれまで種として安定していませんでした。そのため隔離栽培をして初めて種というものを維持できるようになりました」
「モンシロチョウがアブラナ科の植物に幅広く種を産みつけることができるのもそのせいかね」
「残念ながら、そちらは専門外でありますが、モンシロチョウも育種の最中、交雑の折、悪い方に活躍してくれた昆虫でしたのでしょう」
「前書きはこのくらいにして、いただくとしようか、お勧めはあるのかな」
「むしろ、外れを探す方が難しいかと、この地で夏に栽培できたという実績を我々は欲しています」
「ではいただこうか」
「まずは、浅漬けからかな。ほうこのシャキシャキ感。新鮮だね」
「薄い味付けでも十分です。むしろ濃い味付けだと敬遠されるかもしれません」
「では、わしは定番かもしれんが、すき焼きをいただこう。ほう、牛肉のうまみを葉芯にしみ込ませた逸品を食べること。これ、牛肉より美味なり」
「箸休めとしても秀作ですよ。次の料理に取りかかるまでに、きれいさっぱり前の味が消されています」
「そうだな、間中に浅漬けを挟むことで口の中がきれいさっぱりする」
「個人的には、この味を楽しむ方法が二つあるといいきる。葉芯の白い部分をめでるか。野菜の色である葉端の緑の部分に焦点を当てるか」
「わしは、シベリア鉄道でも人気というシチューに入っているものをいただこう。ほう、これは牛乳にも合うわい。牛乳のコクのある味わいがそのまま舌に入ってくる。例えるならば、どんな主演男優にも合わせられる稀代の踊り子というものか」
「左様ですね、野菜の女王という称号を与えてもかまわないのではないか」
「実にけしからん、シベリア鉄道に乗車している者は、我々が食する前にこのようなうまいものを食べていたとは」
「いやいや、日本でこの食材の普及に貢献していただいたのですから、お礼を言わねばならないでしょう」
「そうです。この野菜こそ、和食に欠けていた部分を埋めてくれた貴重な一品です。どうか、我々にこの食材の名前を教えていただけぬか」
「そうそう、先入観なしに感想を述べるために名前を伏せていましたが、この野菜は日本人に大当たりでしょう。市場に出回る前にぜひともその名を教えていただきましょう」
「この食材は、中国原産であり、中国語では漢字で『白菜』といいます」
「ほう、ごまかしがきかない名前ですな」
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