仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第138話

 1897年(明治三十二年)八月十四日

 江戸城 台湾奉行所

 「昨日は、セルロイドの件で失礼した。実はセルロイドというものは、仏蘭西からも注文があり、スエズ運河航路とシベリア鉄道経由で、試験運送したことがあるんだ」

 「結果は、両者で異なりましたか」

 「スエズ運河経由だとマラッカ海峡で赤道をまたがるわけで、運搬途中のフィルムからの自然発火が相次いでね。こりゃ、冷凍船ででも運ばないと積み荷に火が移ってしまう現象を招きかねないと冷凍船以外での運搬を最初に禁止したよ」

 「では、パリへはシベリア鉄道経由ですか」

 「そうなるね。仏蘭西からの情報では、セルロイド製のフィルムは、保存に向かないのもその理由の一つだね。できるだけ早く映画会社に納品しないと、先方からフィルムが曇っているという苦情が来た際、船便だと元が悪かったのか、運搬途中に不備があったのか原因追究にも一苦労させられるという結論でね」

 「では、日本はフィルムの供給地となるつもりですか」

 「仏蘭西向けはそうなるだろうね。それと君が期待しているのは日本で映画を撮影しないかということかね」

 「ええ、そうなればこちらとしては願ったりですが」

 「マイケル殿、まだ商業段階に達していない映画をどうこうするのは時期尚早というのが日本の立場でね。映画が産業として成り立つのは、来世紀のことだというのが一致した見解だ」

 「では、日本は浮世絵をそれまで重視されるので」

 「それも違うかな。原作を重視する立場に立つといえばいいのか。要するに優れた作品に敬意を払う」

 「それは、浮世絵で源氏物語が完結したことを踏まえたうえでの見解ですか」

 「そうだ。その後を継ぐ原作があればいいが、どうも世界中の顧客をわしづかみにする作品というものはそうそうない。目下、それに一番近い作品はシャーロック=ホームズの作品だね」

 「では、日本の映画作品はホームズが第一候補ですか」

 「英吉利が映画化を強硬に主張した場合、日本は引き下がるしかない弱点を抱えているかね。コナン=ドイル氏自身は、親日家で結構なのだが、お国自慢が入ってしまえば国をあげての反対運動にもなりえる。日本から見た英吉利観だ」

 「では、前書きはそのくらいいたしますが、本日、ニューヨークから参りましたのは、同市市長候補であるシバ=リーより、江戸とニューヨーク並びにパリとを結んで相互に姉妹都市縁組をされる用意があるかをお聞きに参りました」

 「市長とはどのような立場に立っている人物ですか」

 「一言でいえば、その都市の顔です。その都市でのみ通用する法律の適用をする立場にあり、その都市内での公務に従事する職員を任命並びに指揮する立場の人物ですが」

 「検討する余地はあるかと。返事は明日でよろしいですかな」

 「はい、良い返事を期待しています」

 「では、出直してきましょう」

 

 

 

 江戸城 三の丸

 「姉妹都市縁組は、良い。パリと今まで以上緊密になれるのに反対する者はいまい」

 「ここに集まった者の総意かと」

 「で、市長の立場に立つ者に返事をいただきたいか」

 「問題はそこよ。江戸に市長たる人物は想定していなかった」

 「徳川家では駄目なのか」

 「それが相手の立場を考慮していただくとそれは駄目かと。よろしいですか、こちらは仏蘭西でいう大統領一族を相手の都市の派遣いたします。ですが、先方が出てくるのは、藩でいえば、代官のような立場に立つ者、双方が気まずい雰囲気に包まれてしまいます」

 「つまり、先方が地方の代表というのならば、送り出すこちらも地方の代表とすべきと」

 「そうよ。パリにある富嶽三十六景美術館に関することであれば、先方は大統領が率先して対処にあたり、こちらも徳川一族を派遣するだけですんだ。それが亜米利加相手ではそれが通じぬ」

 「では、こちらの代表としてふさわしい職にある者は、二人に絞られるかと」

 「激務ゆえ、司法職に限定したのだが江戸の顔と言われればやはり市囲の者も納得する者は、やはり二人しかいまい」

 「仏蘭西語あるいは英語に堪能な方はどちらじゃ」

 「南ではないかと」

 「では、江戸市長職として此度は南町奉行をその職として選出する」

 「では、そのように」

 

 

 

 八月十九日

 ハバロフスク駅近郊

 「江戸では、樟脳の買い付けもうまくいった。シバがニューヨーク市長になったあかつきには、パリとニューヨークとで相互姉妹都市縁組を結ぶ覚書もしてくれた。さて、後はシバを悔しがらせるために紙の道を旅してみるか。パリに用事があるせいだが」

 「おっちゃんは、どっちだい。食堂車で食べるんかい。それとも人気の展望車での食事をお望みかい」

 「展望車で」

 「なら、相席でいいかい」

 「どうぞ」

 「今日は天麩羅らしいね」

 「ほう、日本食の代表ですね」

 「それがな。主食はシタビラメの天麩羅となっている」

 「シタビラメは、洋食ではムニエルでしょう。大きなシタビラメほど、価値はあるはず。それを国際列車で天麩羅とは、大胆不敵ですね」

 「それでは、本日展望車での食事を希望されましたお客様には、本日使用される食材を前もって見分していただきます」

 「あのう、大きいシタビラメもありますが、値段のつかないような小さなシタビラメも出してきましたが、あれで食事代を取るのでしょうか」

 「批判は、食べてからにしましょう。食べる前に文句を言った旅行客が食後に代金と同額のチップを払ったという話は良くこの列車では起こり得ます」

 「では、その言葉を信じましょう」

 「ジュワー、ジュワー」

 「豪快な料理ですね。天麩羅というものは」

 「なんでもできたてを食べるのがこの料理のひけつとのことです。冷めた天麩羅は、犬も食わぬという言葉があるそうです」

 「では早速いただきましょうか。しかし、小さいのや大きいシタビラメと玉石混合ですね」

 「しかし、衣のない天麩羅は初めてですね。しかし、この酸っぱいにおいはつけ汁からですか」

 「こ、これはいけます。シタビラメ単体ではどこにでもある料理ですが、このつけ汁がこの料理の肝ですね」

 「甘いような、それでいて酸っぱいような、コクがあるような」

 「小さいシタビラメの入っている理由も簡潔です。このまま一匹丸ごとお食べくださいというシェフの言葉です」

 「大きいシタビラメは、残念ながら骨が硬くて一匹丸ごと食べるわけにはいきませんが、肉厚が厚く、身を食べろということですな」

 「しかし、このつけ汁の正体はなんでしょうか。一つは酸っぱいのが酢でしょうね」

 「もうひとつは、日本食の調味料といえばやはり醤油でしょうな、においは隠すことはできません」

 「しかし、最後のコクがわかりません。甘くてそれでいて何年も寝かせたような時間を超越した味がします」

 「残念ながらお手上げで。では、給仕に訊いてみましょう」

 「お主、このつけ汁は何でできているのじゃ。酢と醤油まではあてがあるが、最後の一品にどうしても心当たりがない」

 「これは三倍酢と申しまして、お客様の指摘通り、酢と醤油とそれにみりんという料理酒を三等分で混ぜ合わせたものです。みりんは、昔は清酒に代わられる前はとっておきなお酒でしたが。今は米と麹と米からできた焼酎という酒とを六十日ほど熟成したものをさしてそういいます」

 「ほう、お主の言葉ではみりんそのものを飲むということができるとの話だが」

 「では、一杯お出しいたしましょう」

 「ほう、これは極上の甘口だ。いいものをいただいた」

 

 

 

 

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