仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第15話

 安政五年 (1858)二月十三日

 水戸藩江戸屋敷

 「お初にかかる、西郷善兵衛と申す。此度は、用地買収の命令を受けここに参りました」

 「徳川斉昭である。西郷殿、御苦労である。これより二年後、日本橋と小田原間に丘蒸気を走らせるために幅三十三尺の土地をこの地図に沿って用地買収したい。金は、水戸藩の御用商人梅千屋に用意させたのでそこから金を出させればよい」

 「見事に薩摩藩江戸上屋敷がありますな。最初は、薩摩藩江戸上屋敷の一部を提供することでしょうか」

 「二年間はそのままでよい。二年後に更地になっておれば問題ない」

 「わかり申した。まず殿を説得いたしましょう」

 「そうよの、薩摩藩江戸上屋敷を中心に品川と新橋までを用地買収してくれればよい。時間はある故、くれぐれも丁寧に話をもちかけてくれ」

 「それで、用地買収に応じぬ者がいたらどうします」

 「一年は無視をして、その前後を買収し更地にしておく。薩摩で駄目なら今度は水戸藩から用地買収を仕掛ける」

 「わかり申した。殿の説得いかんでこの仕事のはかどり具合がわかるでしょう」

 

 

 二月十四日

 薩摩藩江戸屋敷

 「西郷、この江戸屋敷の一部を丘蒸気のために売れというのか」

 「御意。薩摩藩が模範を示せば諸藩も薩摩藩に習うでしょう」

 「わかった、ついでに本気であることを示すために我はこの後用地買収に専念いたす。隠居して、薩摩藩まで参勤交代で帰国するのもやめじゃ」

 「殿、申し訳ありません」

 「なに、何も変わらぬ。ただし、これ以降わしは殿様ではないゆえ気をつけよ」

 

 

 三月三日

 鹿児島城のとある一室

 「本当に隠居いたし、藩政に口を出さなくなったか」

 「少なくとも藩の外交方針には手を出さなくなりました」

 「よい、五十万両と江戸上屋敷の一分売却ですむならば安いものよ」

 「ただし、西郷を用地買収に専念させています」

 「思えば昨年の徳川家十四代目披露は薩摩藩の危機であった。いつでも兵隊を出撃させる準備をさせようとされた斉彬公は、当時にあって危険人物。薩摩に帰国次第、藩の外に出ていこうとした地点で暗殺する手配がされておった」

 「御意。幕府が無事、隠居願を受理されまして此度の参勤交代でも帰国されぬとのことです」

 「いっそ、水戸藩江戸屋敷に隠居住まいをつくってもらうか」

 「それは幕府のいらぬ疑心暗鬼を買いますゆえ、なにとぞ」

 「ふむ、言ってみたかっただけだがある意味、大物同士話がはずむかもしれぬが」

 

 

 三月十五日

 水戸藩江戸屋敷

 「殿、工夫二千人とともにいってまいります」

 「慶喜、国元の家老も喜んでおったぞ『殿さまは金の卵を産みなさりましたな。こちらからは、用地買収に関してなんら干渉するつもりはございません』ビール職人五名を二つ返事で用意しおった」

 「そうでございましたか」

 「わしも斉彬公に習うことにした。元々、国元にはほとんど帰らぬ身であったが、わしも隠居よ」

 「殿、これからは何と呼べばよろしいのでしょうか」

 「父上と呼べばよい」

 「父上、いってまいります」

 

 

 三月二十五日

 とある大名江戸屋敷

 「そちならばいかがいたす。この大名屋敷の一部を売れという要請に対して」

 「殿様が南紀派に属しているというなら南紀派に義理を果たし、土地は売らないといえばいいでしょう」

 「彦根藩に紀州藩、信濃上田藩、高松藩、会津藩か。見事に東海道沿いにないのう」

 「後は、幅三十三尺のみを売れという戦略ですかねえ」

 「ここは売っておけ。庶民の敵になるのはごめんじゃ。南紀派も東海道沿いになければ我藩の土地は売らないと言ったところで、大名屋敷だけであれば隣を通過させられるだけじゃ」

「ははっ」

 

 

 三月二十日

 日本橋 料亭梶

 「ナポレオン戦記で初めて国会なるものがでてきたな」

 「ナポレオン一世を日本で例えると誰だ」

 「砲兵科卒業で大砲の使い方がうまい。いうなれば新兵器を使いこなした人物か」

 「新兵器といえば信長の鉄砲かのう」

 「三度にわたる仏蘭西包囲網をかいくぐったことを考慮すると信長包囲網を二度にわたり破ったのと重ねることができる」

 「絶頂期には、ヨーロッパ大陸から敵を一掃させたのも本能寺に遊んでいた信長とよく似ておる」

 「世界は、日本が鎖国している間に兵器がすごい勢いで進化しているなあ」

 「しかもナポレオン一世の時代は、五十年以上前の話ときく」

 「日本は遅れているねえ」

 

 

 四月十八日

 スエズ

 「今回の目的地は、スエズとポートサイドの中間点となるイスマイリアまでだ」

 「運河建設に伴いできた街だから、新しい街だな」

 「カイロとポートサイドの中間点にもなっているから交通の要衝ともいえるな」

 

 

 四月二十日

 イスマイリア

 「レセップ殿、交代要員二千人を連れてまいりました」

 「現場の人間は現金でしたよ。後半年いとわかっていたものはさらに働きものになってくれたね。しかし、日本人は働き者だね。日本で休みはいつあるのかと勝殿にきいたら、正月に夏季休業の二回だけといわれ、キリスト教の世界では考えられない世界だったよ。しかし、工事ははかどったけどね」

 「仏蘭西に生活していると日曜日の買い物に困りますねえ。あ、休日だから商店が開いていないのをついうっかりしますよ」

 「それと仏蘭西政府から運河開通の時期の問い合わせが来ていたよ」

 「どうやら、清だけでなくインドシナも植民地政策が始まるようだ」

 「二か所に争点を設定できる国は大国ですねえ」

 「ここに本拠を構えたら、工事に専念できるのが利点だね。仏蘭西からの雑音は気にしなくてすむ」

 「では、これは雑音ですかね。ナポレオン戦記が浮世絵になりましたのでもってきたのですが」

 「それはたくさん置いていってもらいます。日仏エジプトの垣根がない珍しいものだからね」

 

 

 四月二十三日

 「勝殿、このナポレオン戦記は華があってよろしいですなあ」

 「陸軍で軍艦に対抗するのであれば大砲が必要というのも参考になりますねえ」

 「ナポレオンが世に出たトゥーロン攻囲戦は、手順よく要衝の地を大砲で押さえていく戦法が光ります。日本人ではなかなかできないことでしょう」

 

 

 五月三日

 シャンゼリア

 「若様、お客様がお待ちです」

 「どなたかな」

 「それがし、幕臣で中村喜助と申します。今年一月に英仏連合軍が広州を落とした件で、全権大使に連絡を取り、幕府の方針を聞いてまいるため日本から参りました」

 「今年一月二十日に日本に帰国した折、幕府からは何もいってこなかったのでその件はすんだことになるであろう」

 「そ、そうでございますか。実は某、もうひとつ用件を受けたまわっております。三銃士の翻訳が進んでおれば某が日本橋の奥村屋に届ける役目を承りたく思います」

 「一月に奥村屋に立ち寄った故、今は渡せるだけの量がない」

 「そうでございますか。仕方ございません。日本に帰ることにします」

 「お待ちください、中村様。お話を聞いていますと三銃士の続編を入手すれば御役目を全うできるのでは」

 「確かにその通りです」

 「では、若様が次の章を翻訳するまで待ってはいかがでしょう」

 「しかし、船を待たせたまま、数か月も遊んでいては駄目でござろう」

 「確かに遊んでいては駄目でございますが、中村様は幕府のどの役場にお勤めされてますでしょうか」

 「通詞方です」

 「では、蘭語はできると。では、最初の御役目を申しつけられたら、やりなさいますか」

 「私にできることでしたら」

 「では、仏蘭西政府に会いに行きますので若様の護衛をお願いできますか」

 「仏蘭西語ができない私でも問題ないのでしょうか?」

 「それは若様に任せておけば大丈夫です」

 

 

 大統領官邸

 「徳川慶喜と申す。農水省養蚕科育苗担当官のミッチェル=アンリ殿にお会いしたい」

 「こちらへどうぞ」

 「慶喜殿、ジャポンの蚕が届きましたか?」

 「我は、スエズ運河経由できたゆえ喜望峰経由で回航している船より先に仏蘭西についてしまった。後、二週間したら蚕の卵が仏蘭西につくであろう」

 「では、此度参った用件は、それを知らせに参ったのか」

 「貴国の要望を聞こうと思ってな。日本の蚕の卵をだれに渡すのか決めてもらおうと参上した」

 「ふむ、それに気付かなかったこちらのミスだ。明日、こちらから返答をいたしにシャンゼリアに参る」

 「承った」

 「渋沢、あの中村を買ってるようだが、理由があるか」

 「若様、彼がつけている根付を御存知ですか」

 「見た限り、中村家の家紋が入っていたようだが」

 「私が見ますところ、彼は彫刻家の指をしています。ということは、彼は根付職人ではないかと」

 「よし、明日になれば彼に御役目をいいわたそう」

 

 

 五月四日

 シャンゼリア

 「慶喜殿、蚕の卵を献上する相手は大統領と決まった」

 「では、こちらから献上役を指名したので、ミッチェル殿にも承認してもらいたい。昨日私に同行してくれた中村喜助殿だ」

 「それはかまわんが、では失礼する」

 「では中村殿、仏蘭西大統領に蚕の卵を献上する役目を引き受けていただきたい」

 「そのような御役目、私でよろしいのでしょうか」

 「中村殿を見込んでお願いしたい。実は、貴殿が携帯している根付の作者を御存知ですかな」

 「これは私の仕事ですが」

 「では、中村殿にはたくさん仕事ができました。まずは、献上する役目をこなす前に、根付の注文がはいっています。その注文主の要望をかなえていただきたい」

 「どなたでしょうか」

 「仏蘭西絵画の重鎮ジャン=バティスト殿だ」

 

 

 五月五日

 パリ芸術大学

 「ジャン=バティストだ」

 「中村喜助と申します」

 「ジャン殿、中村が携帯している根付は合格であろうか?」

 「いいできですなあ」

 「実は、この根付けは中村の作品です。ジャン殿、貴殿の要望にこたえるために参りました」

 「それはありがたい。事件は、次回の万国博覧会予定地のロンドンで起こった。私が仏蘭西を代表して次回の万国博覧会を話し合う会合に出掛けたところ、会合に三つの根付が集合した。一つは私だ。もうひとつはロンドン万国博覧会開催委員長のフィリップ殿下、最後は、阿蘭陀からやってきたカール通商代表顧問。彼ら二人を置き去りにするような根付がよい。三ヶ月後、同じメンツでまた会合がある。そこでライバル二人をあっと言わせる根付をつくっていただきたい」

 「ジャン殿にお聞きしたい。バティスト家に家紋はおありですか」

「もちろんある」

 「では、家紋の入ったものを見せてほしい。バティスト家の家紋を入れ、その後、根付の柄を考えたい」

 「つまり、世界で一つしかない家紋入りの根付けになるのですな。でしたら、家紋の入れやすい柄はどんなものがあるか」

 「鏡蓋根付でしょうか」

 「それにしようか。後は、我が家の家紋を用意いたせばよいのか」

 「はい」

 「中村殿、そなたに次なる使命を申しつける。通訳として仏蘭西語の習得をしてもらう」

 「ははっ」

 「勝殿は仏蘭西語の習得を独学のような形で達成なさいますが、こちら仏蘭西では、家庭教師について仏蘭西語を習得していただきます。また、街中での会話も全て仏蘭西語ですゆえ、日常生活に必要ゆえ、御覚悟なさいませ」

 

 

 五月十一日

 大統領官邸

 「中村喜助と申します。本日は船便が到着いたしましたので、日本から蚕の卵、御注文になられました百万部のナポレオン戦記を献上しにまいりました」

 「ふむ、御苦労である。蚕の卵はしかる研究機関に、ナポレオン戦記は各市町村に間違いなく配布いたす」

 「大統領はご機嫌だな」

 「蚕の卵の受け取りは職員でもいいんだが、此れも人気取りの一環さ。うまくいけば養蚕業の救世主ともなる蚕の新品種を導入するわけだし。ナポレオン戦記の浮世絵は、ナポレオン一世の御威光にすがろうという策だ」

 

 

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