仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第164話

 1908年(明治四十三年)一月十一日

 ロンドン クラブ バンドン

 「オリエンタル特急とスエズ運河の完成。世界は狭くなったね」

 「僕の友人は、世界一周の新記録が生まれるチャンスだといってたよ」

 「今の記録は、およそ百日だったか」

 「だとしたら、新記録は九十日前後か」

 「君達、僕なら八十日間で世界一周を成し遂げてみせる」

 「おおみえを切ったね、フォッグ。では君はその成功に何を賭ける」

 「私の全財産の半分を。二万ポンド」

 「よかろう。君がこのロンドン、リフォームクラブをこの日の午後七時に出発し、世界一周を八十日間で達成したのならば、我々四人は喜んで君に各人から五千ポンドを進呈しよう」

 「ただし、失敗に終われば君の掛け金は我々のものだ」

 「賭けは成立だ」

 「君の成功を祈るよ」

 「カット」

 「よし、次のシーンであるフォッグ邸での出発に取りかかるぞ」

 「イエッサー」

 「監督、今回、台詞を重視されていますが、ムービーに音声はついてこないのではないのですか」

 「それがだな、ニューヨーク市長との話し合いでムービーをもう一段魅力的にしようという話になってだな」

 「では、台詞が出るようになったのですか」

 「まだ、そのような新発明は成功していないよ。使うのは、肉声だ」

 「え、台詞をそのまま声に出して発音させるのですか」

 「主演俳優一人だがね。今回取る八十日間世界一周は、主演であるフォッグの声を各映画館に配置してみようということになった」

 「それは、もしかして亜米利加が世界初の試みですか」

 「それが、このスタイルが完成している国がすでにあるそうだ」

 「へー、映画先進国アメリカを差し置いてそんな魅力的な提案をする国は、仏蘭西ですか」

 「そうではない、確かにスクリーンに映像を映写するスタイルを発明したのは仏蘭西であり、特許も仏蘭西が抱えている者が多い。だがな、モノクロ映像に飽き足らなくなったのは、日本が最初だ」

 「ムービーに満足できないなんて、そんなにすごい娯楽が日本にはあるのですか」

 「いい方が悪かったか。ムービーに満足できないのは世界中にいる。そいつらが映画館でしていることを、お前知っているか」

 「いえ、知りません」

 「では回答の前にモノクロ映像に彼らが感じている感想というものがある。それはカラフルな浮世絵作品の後に、モノクロ映像の世界に入ってゆくと、色彩豊かな庭園から白黒の墓地に迷い込んだような気がするばかりであまり楽しくないというものだ」

 「なるほど、そう言われればモノクロ映像にして喪失感があると言われれば納得できますね」

 「だからこそ、あのくらい映画館で浮世絵の原作がある場合は、そのカラー原作を、なければ浮世絵のカラーパンフレットをみながら、モノクロの寂しさを紛らわせているのさ」

 「はあ、なるほど、映画が隆盛をみるようになっても浮世絵の勢いが落ちないのは、カラーパンフレットの力でしたか」

 「ま、なんだ。一作品につき、カラーの浮世絵パンフレットが売れるのは浮世絵にとっても映画産業にとっても喜ばしいことだが」

 「で、そんなに深く映画を愛している人たちのために声の配給ですか」

 「そうだ、この制度を日本に習って弁士スタイルといってだな。これが大当たりをしているそうだ」

 「ものすごく映画が魅力的にみえてきました」

 「で、この効果が最大になる場面がある。いいか、ワンカットだが、世界各国に配信されている先行映像がある。今から言うぞ。立つのよ、クララ。無理よ、ハイジ。大丈夫、クララならできるわ。でも。‥‥‥。クララが立った。クララが立った」

 「えーと、この場面、主演俳優の声だけなら、ハイジの声だけですよね」

 「そうなるな」

 「監督、今のキャストで我々も撮りませんか」

 「気持ちはわかるが。いいか、この場面、世界で三カ国が競っているんだぞ」

 「そうでした。仏蘭西版と伊太利版と独逸版でしたか」

 「そうだ。伊太利がこの場面を先行配信したところ、次に独逸が最後に仏蘭西がそれ以上のクオリティーで配信してくる」

 「ということは、伊太利版はもしかしてもう一度撮り直しなんてことには」

 「甘い。それぞれの版が三順目に入っている」

 「よかった。ライバルのいない八十日間世界一周で」

 「そうだな。我々は、特許料の支払いができないといってシカゴを抜けだし、ニューヨークを頼って落ちていったのがほんの二か月前だとはな」

 「市長はすぐさま、対応できないといって海外ロケで時間を稼ぐことにしてくれました」

 「あの時、我々に浮かんだのは特許料が払えないのに海外ロケは出来ませんというものだったが」

 「市長はスポンサーとして、ニューヨークに集結した酒造会社が出資してくれることになりました」

 「もちろん、先方といては二度と禁酒法という愚策が生まれないように我々にキャンペーン活動をしろっていう暗黙の了解でしたが」

 「そして、海外ロケとして、カリブ海を選択する者がいれば、八十日世界一周を撮影しようと文字通り世界一周している連中もいるわけでして」

 「ニューヨークに帰ってから、どんなマジックを市長はみせるのか」

 「禁酒法から酒造会社を救った手腕。その再現ができれば、ニューヨークに映画産業が集結することになるだろう」

 「できなければ、シカゴから逃げ出した我々は元々ニューヨークに本拠を構えていた映画会社とともに逃げ出すしかないが」

 

 

 

 二月二十日

 ニューヨーク市庁舎

 「交通課の者たちを招集してくれたまえ」

 「はい」

 「市長、お呼びだということ参上いたしました」

 「もう知っていることだろうが、シカゴから大半の映画会社が逃げ出してきた」

 「ええ、大手でない、いいかえると映画に関する特許を持っていない会社は、特許料の支払いができず、ニューヨークに逃げてきたとか」

 「であるから、これからはロケをする機会も増えるだろう。そこで二十四時間体制で地下鉄を稼働させ、彼らを支援する」

 「眠らぬ都市ですが、となりますとメンテナンスを考えますと、複線化することで市長の要望はかなえることができます」

 「確かに、複線化することでメンテナンスする路線が上下一路線できる。しかし、それでは快速をさばくことは出来ない」

 「では、環状化ですか」

 「今ある複線路線の隣に、新たに複々線を敷く」

 「それだと、三線化となります」

 「そうだ。二路線で快速と普通列車をこなし、残りの一線路をメンテナンスにあて万全を敷く」

 「わかりました。早速、図面を描かせていただきます」

 「いそがなくてもよい。全ては、ムービーカンパニーに勝ってからのことだ。それまでは机上の空論だ」

 「では、失礼します」

 

 

 

 1915年(大正四年)五月二十五日

 ミネアポリス市庁舎前

 「市長、我々は市長選に対する投票権を要求する」

 「「「そうだそうだ」」」

 「警察署長、あの先頭に立つ女を逮捕するんだ」

 「逮捕容疑がみつかりません」

 「逮捕容疑はあの後、家宅捜索をすれば、麻薬だろうと名誉棄損容疑だろうと出てくる」

 「しかし、彼女は街の唯一の活動弁士でして」

 「それがどうした」

 「いわゆる職業婦人というやつで」

 「問題ない。今すぐ、行動に移れ」

 「わかりました。おい、あのディアナを逮捕してこい」

 「し、しかし、逮捕容疑は」

 「私有地への不法侵入といっておけ」

 「りょ、了解しました」

 「ディアナ、君を不法侵入容疑で逮捕する」

 「逮捕状は?」

 「現行犯逮捕ゆえ、必要ない」

 「うそだ。そんな違法がまかり通るはずがない」

 「しょうがないわね。ついてゆくわ」

 「そうしてくれ。我々としても手錠をかけるようなことはしたくない」

 「皆さん、今晩一晩警察署にご厄介になってきます」

 「う、うっそよ」

 「ふー、静かになった。御苦労、警察署長」

 「はい、それでは警察署に戻ります」

 「御苦労。もうこのような厄介が起こらなければいいのだがな」

 

 

 

 五月二十六日

 同市内映画館

 「今日から、ディアナがいないだって」

 「彼女は、今堀の中」

 「弁士のいない映画なんて、気の抜けた炭酸のようなものだ」

 「こうしてはいられない。町一番のアイドル、ディアナのピンチに映画なんか見ていられるか」

 「「「そうだそうだ」」」

 「俺は、婦人参政権なんぞ、これぽっちも興味はなかったが、ディアナの夢はかなえてやるべきだ」

 「「「そうだ」」」

 「警察署の前で俺たちの声をディアナに届けるぞ」

 「「「おお」」」

 

 

 同警察署

 「我々の要求は一つ。ディアナの解放である」

 「容疑を明白にせよ。我々は、ここに弁護士を連れてきた。っすぐさま、彼女に会わせよ」

 「署長、どうしますか」

 「無視だ。無視だ。全ての責任は市長にあることにせよ。私だってこんな無茶が通るはずがないのはわかっている」

 「ではなぜ」

 「市長に責任をとってもらうのが一番早い。不当逮捕とそれに伴うリコールと婦人参政権を認める条例を通す方が最善だからだ」

 「わかりました。彼らの代表とディアナとの面会を認めましょう」

 「ああ、よろしく頼む」

 

  

 同市長公邸

 「ああ、市長だが」

 「市長、州知事より電話が入っています。おつなげしてもよろしいですか」

 「かまわんよ、つなげてくれたまえ」

 「ワシだ」

 「これは、州知事。ご用件は」

 「君は知らないのか。全米で弁士ディアナの即刻釈放要求が盛り上がっているのを」

 「いえ、合法な逮捕ゆえ、即刻釈放なぞ出来ません」

 「では、なぜ、全米で話題になっているのかね」

 「さあ、婦人参政権を認める認めないの論点の見解に関してですかな」

 「君は弁士の力を甘く見ている。君のおかげで、宗教票とオタク票が一つになった」

 「なぜでしょう。今まで、オタクは宗教団体と違って婦人参政権なんかに興味を示しませんでしたが」

 「弁士を逮捕したからだよ。しかも、町一番の弁士ときた。全米で弁士が無制限ストを構えた」

 「もしかして、ディアナの釈放を要求してのことでしょうか」

 「ああ、弁士のいない映画なぞ、映画なんかじゃないといって映画収入は激減。映画館主、映画会社、全てが君におかんむりだ」

 「あの、わたしはどうすればよいのでしょう」

 「即刻、釈放しまえ。それと、国会で婦人参政権を法案として通すことが決定事項だよ」

 「わ、わかりました」

 

 

 映画黎明期とトーキーをつなぐ時代、それは弁士の時代と映画史に刻まれる

 

 

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