仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第171話
1910年(明治四十五年)三月二十六日
パリ カフェ モンブラン
「号外、号外。独逸版のアルプスの少女、殺害される」
「へ、仏蘭西版、伊太利版と並んで製作され、確かそれぞれの言語圏で公開されていたはずだったが、どこで主役女優は殺されたんだ」
「墺太利領のトリエステだ」
「そりゃ、伊太利王国のすぐ隣じゃないか」
「墺太利にとっては、大事な地中海にある海運都市だ。墺太利南部鉄道はウィーンとトリエステ間で直通運転されているくらいだから」
「ああ、犯人は熱狂的な伊太利版アルプスの少女ファンで、ラテン人が武骨なゲルマン人のつくったアルプスの少女に負けるのがどうしても受け入れられなかったようだ」
「それは単に、第一言語にしている人口比で決まるんじゃないか。独逸語版とて、動員人数は、仏蘭西語版に及ばないのだから」
「それはそれ。芸術の都に負けるのは許せるらしい。けれど、芸術気質のない独逸人に負けるのは、許せなかったとある」
「それは、芸術の都であるウィーンにもケンカを売ってるな」
「問題は、独逸と墺太利が同調してしまったことだな」
「それに、伊太利と墺太利間の領土問題が絡む」
「伊太利側からは、未回収の伊太利だな。ヴェネティアを伊太利王国が獲得したのが、普墺戦争の際だから、四十四年前の話だな」
「旧ヴェネティア共和国を継承したとする伊太利王国にしてみれば、トリエステは伊太利王国のもの」
「普墺戦争に負けた墺太利にしてみれば、その時伊太利にとられたヴェネティアは、当然神聖ローマ帝国の後継者である墺太利のモノ」
「これに、独逸が加勢するとなれば、墺太利は勢いづくね」
「独墺連盟となれば、伊太利一国では対処できまい」
「かといって、墺太利のつきつけてくる要求はのめるような生ぬるいものでもあるまい」
「血をみなければおさまらないか」
「伊太利と墺太利は陸続きで、アドリア海を隔てた地中海の覇権争いでもある」
「はてさて、平和を探求する努力は水泡に帰すか」
四月一日
ウィーン ハプスブルグ宮殿
「独逸は、我がハプスブルグ家が伊太利に攻め込んだ時、仏蘭西の押さえとなることを承認いたしました」
「もはや、対伊太利戦争の障壁となるものはありません」
「仏露同盟が発動すればどうする」
「墺太利が露西亜と対決することになります」
「では、開戦の理由となる対伊太利戦争ができないではないか」
「伊太利には、対戦相手を用意しております。オスマン帝国であるであるトルコをぶつけます」
「ほう、オスマン帝国も昔の栄光が忘れられぬゆえにな」
「はい。トルコは、アフリカ大陸の北部を植民地化した仏蘭西と常に緊張関係にあり、砂漠をそのままスエズ運河の権益を横取りしようといたすでしょう」
「ほう。スエズ封鎖か。どれほど、仏蘭西があわてるかのう」
「では、伊太利が我が国のつきつけた最後通告を満足できないものとして、開戦してもよろしいでしょうか」
「よろしい。わが王朝は、はるか昔、ローマ王朝の正当なる後継者にして、ローマの正しき所有者としての権利を行使するものとする」
四月九日
イスタンブール オスマン宮殿
「わがオスマンは、独墺連盟と同調し、実利を追求する。その第一歩は、スエズの奪回である」
「これは聖戦である。回教徒がキリスト教徒に仕掛ける戦いとなる」
四月二十日
パリ カフェ モンブラン
「スエズ運河封鎖か」
「ああ、仏蘭西軍は、スエズ運河を挟んでトルコ軍と開戦中」
「天然の要塞である運河を挟んでにらみ合いか」
「仏蘭西は、海外領土から兵をひきぬき、本国並びにスエズに兵を集めている」
「そこは、普仏戦争の時と変わりないな。植民地防衛は、ジャポンに任せるとして」
「しかし、南のスエズ運河が封鎖され、シベリア鉄道は間に独逸と墺太利を抱えているので、サンクトペテルブルグで貨車が停滞しているだろう。海上封鎖を受けてるようなものか、仏蘭西が」
「シベリア鉄道は大きな露西亜の利権となっていた。シベリアや貴族領で採れた物をシベリア鉄道を介してヨーロッパで売る手段があるからこそ、露西亜は潤っていたからな」
「ああ、それにサンクトペテルブルグに行けば標準軌と広軌の積み替え作業を大量に抱えていたからこそ、露西亜は貧困層が現政権を支持していたからな」
「さて、仏蘭西は独逸の相手をするだけで精いっぱい。このままでは、現状をかえる力を仏蘭西はもちえていない」
「海の道と陸の道をもがれた仏蘭西は、本国に兵力を集中させる手段に乏しい」
四月二十八日
サンクトペテルブルグ 宮殿
「ここに集まった将校たちは、領地に帰れば貴族としての役割を果たす者たちだ。それが独逸並びに墺太利と交戦に入ったために、サンクトペテルブルグには、パリ行きの貨車が行き場を失って置き場がなくなりつつある。今後の方針を決める場で発言をする者はあるか」
「現在、露西亜の繁栄はシベリア鉄道並びに露西亜とパリを結ぶ鉄道路線によって多大なる市場を獲得でき、我が国に外貨をもたらしました。その危機に提案することは一つ。線路がなければ、奪えばよろしい」
「どこを奪うというのだ」
「この戦争は、トリエステで起こった銃撃事件がきっかけです。この地を巡って墺太利と伊太利が衝突しております。仏露連合が勝利のあかつきには、トリエステは伊太利にくれてやればよろしい」
「なるほど、トリエステとウィーン間は直通列車が走っている。これの略奪ですか」
「いえ、これは敵国領を通るゆえ、ウクライナからルーマニア、セルビアをへて、墺太利から奪ったクロアチアの土地を通し、伊太利経由でパリにつなげる路線を最終的な目標といたすものです」
「なるほど、二十世紀のオリエンタル急行とシベリア鉄道を連結するというものだな」
「はい。それは戦後処理のたまものです。ですから、戦争中に使う道は、海の道です。バクーより海上経路を通して、ローマに海上荷物を下ろします」
「なるほど、伊太利に利権を分け与えるのだな」
「はい。こうすることで、アドリア海の制海権を露西亜と伊太利で墺太利とトルコから奪い去ります」
「では、露伊連合による地中海制覇を最初の目的とする」
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