仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第177話

 1910年(明治四十五年)九月二十二日

 独逸指令部

 「西班牙は、動かぬか」

 「はい。利で釣っても、脅迫しても梃子でも動きませぬ」

 「墺太利の分家とも言うべき、カール大公がスペイン国王に即位したのが、十六世紀。えーい、それを墺太利は動かせんか」

 「それを言われれば、独逸こそ墺太利が独逸連邦の盟主であることを否定したのです。墺太利が西班牙を動かせない理由を作ったのは、独逸が原因でもあります」

 「それに歴史を紐解くならば、西班牙は植民地を拡大していく帝国主義とは一線をひいております」

 「帝国主義のままであれば、亜米利加にキューバ、プエルトルコ等を手放したりしません。今、西班牙にとってこの戦争は産業革命を起こそうという資金を得るための戦いであって、オリーブオイルであろうとワインも戦時価格で売れるわけですから、中立国であることがおいしいのです」

 「確かにそれは助かっている。戦争開始一ヶ月間で、備蓄していた武器弾薬が文字通り蒸発してしまってから、その後は侵攻のために必要な弾薬がたまる状況が作り出せるのも、中立国からもたらされる窒素と硫黄、燐のおかげだ」

 「我が国は、氷河期に大陸氷河の下に隠れてしまった国ですから、岩塩は豊富です」

 「そうだな、窒素、燐、カリウムのうち、岩塩で取れるカリウムは問題ない」

 「それは、普段市民が飲んでいる飲料水にもマグネシウムやカルシウムといった成分が豊富ですから、カリウムは肥料成分としてそれほど重視していません」

 「硫黄となれば、火薬と硫安との取り合いだ。戦争をするために火薬をつくらねばならないが、それに硫酸を用いようとすれば、硫安とし施肥する分が不足し、小麦生産が落ちこむ」

 「硫化鉄並びに、硫化銅のフル生産が続いていますからね」

 「それだけじゃない。温泉地まで出かけて、硫黄化合物を掘らせているわ」

 「しかし、硫黄は国内並びに墺太利でなんとかなる。問題は、やはり窒素だな」

 「窒素は、チリ硝石といわれるほど、一国で独占ですからね」

 「そのチリ硝石だが、フル生産で年間二百万トン」

 「それを同盟国側と仏蘭西、露西亜等の連合国側とで取り合っておるのだから、戦争だといって供給量が増えるわけでなし」

 「おかげで、肥料生産に回せるチリ硝石が足りない」

 「それを中立国である亜米利加が大豆かすなるものを売り込んできた」

 「和食のブームから大豆を植える地方が増え、大豆は植物油としてもつかわれるようになり、その残りかすを醤油に使うそうだが、窒素分が多いからといって肥料として独逸に売り込んできた」

 「チリ硝石の硝酸ナトリウムは、計算上、窒素分/分子量が14/85で16%」

 「大豆かすは、タンパク質が36%で、窒素分はその六分の一だから6%」

 「火薬には、硝酸というのが便利でいいのだが、肥料として使う分には、むしろ様々なタンパク質やミネラルを含んでいる大豆かすの方が植物の成長がいい」

 「もちろん、化学肥料のように速攻で効くのではなく、土壌中にしばらく窒素分が滞在するのがいい」

 「大豆に関しては、植物だからチリ硝石のように枯渇の心配する必要がないのがいいね」

 「それよりむしろ、戦争中の間は、窒素分補給のために大豆を栽培するほうがわざわざ亜米利加なぞから輸入する必要もなく、経済的だろ」

 「それがなあ。亜米利加の農家は規模が独逸のざっと十倍あって、大豆かすに限れば輸入した方が経済的かな。そもそも大豆油も植物油として使用すれば割が合うかもしれないけど、規模の利益で亜米利加からの方がお得かもしれない」

 「少なくとも栽培経験がある亜米利加に大豆生産を任せ、独逸本国では穀物生産に邁進した方がいい」

 「で、この大豆を持ち込んだ亜米利加人って信用できるのか」

 「来年から供給が止まる懸念をしているのか。大丈夫だろ、本人、ケネディーファミリというのだけど、どうやら、亜米利加の禁酒法が適用されていた期間に密造酒で大儲けを狙っていたそうだが、当初見込みの半分しか利益があがらなかったという話だ」

 「ああ、オタク市長のせいか」

 「で、ファミリは信用できないかもしれないが、対価を払っている間、通常の貿易として安心できるだろう」

 「亜米利加や英吉利には軍事物資の原料を発注する場合も多く、世界中は好景気に沸いているそうだ」

 「それはよござんすね。戦争当事国は、勝ったら天国。負けたら地獄さ」

 「とはいっても、戦争膠着状況になっている間、様々な外交手段が用いられたな」

 「連合国側がイスタンブールを攻略したおかげで、連合国側にたってギリシアがトルコに宣戦布告をしたのも痛いな」

 「露西亜は、イスタンブールしかオスマントルコ領で興味を示さなかったが、ギリシアは、イスタンブール港からトルコ盆地を丸々いただこうとして陸地深くまで侵攻してきたな」

 「しかし、オスマントルコとギリシアとの根本的に違う点は、回教とギリシア教と相いれない点だな」

 「オスマントルコは、回教徒に染めていた国内民族であるクルド人に援軍要請を出して、ようやく、ギリシア軍の攻勢をはじき返すことができた」

 「これで、オスマントルコ内のクルド人発言権はより大ききなるね」

 「ギリシアも敵の敵は味方という理屈で、クルド人を連合国側にひき気もうとしたが、いかんせん、宗教がギリシア正教であるためにオスマントルコ領で普及した回教がクルド人に浸透しているせいで、ギリシアはオスマントルコとその傘下でクルド人陣地を抜くことがかなわず、徐々に押し込まれるようになっている」

 「ギリシアは、露西亜という虎の威を借りる狐だったな」

 「その肝心の露西亜は、トルコの高原地帯には興味を示さなかったが」

 

 

 

 

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