仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第180話
1911年(明治四十六年)一月五日
ベルリン 秘密情報部部長宅
「奥様、袴でお待ちということは‥‥‥」
「決まっています。私はこの話を西班牙在住で私のいとこに当たるマリエからきいた時、どんなに悔しかったことか」
「残念ながら、連合国内でのことゆえ、緘口令が敷かれていまして」
「『戦国ハイカラ姫』を鑑賞する手段はないの?」
「申し訳ございません。上映されているのは、連合国三国に今やほぼ限定されつつあります」
「独逸周辺国家でも上映しているという話でしょ」
「あくまで秘密上映会です。秘密裏に上映された後、フィルムを回収し、もはやその地域に用はないとして、姿を消します」
「では、周辺国に行っても上映会に出会うことはかなわぬと」
「はい、かなり難しいかと。なにせ、その地で浮世絵の上客にのみ、招待状が送られます。独逸人がその上映会に参加するには、その招待状の連れとなるしかありません」
「つまり、その連れとなるには相当の運と最初に上映会に参加するはずだった人物に事故でもなくば、無理だとおっしゃりたいのね」
「そうなります。少なくとも、婦女子が戦争のさなかに中立国に出向く行為は地位ある立場ではさらに険しくなります」
「人の目がありますからね」
「はい」
「では、その貴重な上映会に参加いたしたそなたに上映会の様子を語っていただきましょう」
「了解しました。映画は、長篠城に婚約者を見定めるために赴いた亀姫を不審に思った警備隊長が亀姫一行を誰何いたした所から始まります。‥‥‥」
「そなたは、弁士としての才能をお持ちですね。道理で、私のところまでそなたの弁舌をきいた方がよいという話をもってきてくれる方々がたくさんいた理由はわかりました。どうでしょう、我が家には市内に映画館を所有しています。そこで弁士をなさらないので」
「いえ、某は、現在の任務に満足しています。そのような配慮は御無用で」
「そうですか。それは残念です。ですが今日のことは、私の友人に広く宣伝いたしましょう」
「そのような御配慮は必要ございません」
「そうですか、遠慮は無用ですよ」
「いえ、忙しい身ですので失礼します」
秘密情報部
「部長、ただ今戻りました」
「ごくろう」
「それですが、これ以上、奥様方へのいわゆる『弁士』活動はもうしたくありません。これ以上は拒否させてください。第一なんですか、女浮世絵、あれこそ、今回の騒動の根本原因、我が国で何とかならないのですか」
「それは、最初に私の妻に言ったんだが」
「奥様は何と」
「かみつかれたよ。それができれば私はすぐさま応援いたします。しかし、日本以外、そのような奇蹟をなした国はないのです」
「はて、奥様がそのようなことを」
「で、妻がいう理由を聞いたのだが大まかにいってだな、対処不能だ」
「私が今現在被っています現状を考えりますに、私にはそれをきく権利があると思います」
「そうだな、そなたにいい知恵があれば問題は解決だ。まず第一に、女浮世絵を我が国で育成できれば問題は即解決だ」
「補助金を出版業界に与えれば育つのではないですか。種をこちらがまいてやれば成長するでしょう」
「妻が言うには、それは知り合いがすでにやったというのだ。結果は芳しくなかったそうだ」
「理由をお聞きしてもよろしいですか」
「まずは、業界を支えるピラミッド層が格段に違う。妻が言うには、浮世絵の中に占める女浮世絵の比率は、対比となる男のものと比べて、半分以下」
「つまり、そのすそ野が大きい日本だからこそ、女浮世絵が存在できるというのですか」
「それもあるが、最大の理由を教えてくれた。浮世絵師とは、その体力、知力、ストレス耐性の全てに秀でていなければ、なれないそうだ」
「では、独逸人では無理だといわれるので」
「男は何とかなる。それは歴史が証明しているし、ここ最近、ニューヨークでもその方面で産業が大きくなり始めている」
「しかし、女浮世絵は駄目なのですか」
「日本以外、育たないというのが正しい。別段、誰も妨害なぞしていないのだがね」
「恐るべし、大和撫子」
「そうだ。大和撫子以外、浮世絵師に必要な忍耐、才能、体力が持たないというのが真相かな。ただ、その大和撫子をもってしても多大なストレス、睡眠不足、運動不足にあって、大半の者は早死にときく」
「それで、部長の奥様は戦国ハイカラ姫に傾倒されてますか」
「で、もう、弁士活動をしたくないといってきた君に新たな仕事を選択する権利を与える。一つは、オレアニンの乙女の弁士ができるよう潜入活動にいそしむというもの」
「他にもあるのですか?」
「そうだ、日本行きの課題となろう。オレアニンの乙女ででてくる黄金の生糸の信ぴょう性を確かめてくることだ。情報部の推測では、黄金の生糸とは、野生種にみられる黄色の生糸の突然変異もしくは、光沢ある黄色の生糸の品種改良という意見が出てきている。それを確かめてくることだが、君はどちらを選択する」
「黄金の生糸の調査に赴きます」
「そうか、妻には吉報とならなかったか。日本でゆっくりしてくるといい」
「はい」
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