仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第197話
1912年(明治四十七年)七月二十九日
アンナケスタ 仏蘭西後方陣地
「アンナ少尉は、独逸の捕虜となり、女性偵察の全滅か」
「ハイカラが親衛隊を残して旅立つのか」
「残された俺たちはどうすればいいんだろ」
「待て待て、残された時間はどれくらいだ」
「燃料満タンで、時速百五十キロ。航続距離は七十五キロメートル。ということは、残り半時間か」
「敵はいつ気がつくと思うか」
「もう少し余裕があると思う。こちらは、偵察ルートを知っているが、敵にしてみれば昨日奪ったばかりの独逸陣地を偵察している風にしか見えないだろう」
「昨日、独逸は大攻勢を空からもかけた。迎撃機の出撃も幾分遅れるだろう」
「それに、迎撃機を昨日めいいっぱい使ったから、整備不良でとべない迎撃機も多いかな」
「では、独逸迎撃機の出撃は仏蘭西空軍の護衛でなんとかなるか」
「そうだな。後十五分は、緊急発進を回避できるかと」
「では、その前提で我々がすべきことは」
「一人の兵を見捨てて、問題ないのなら軍は当然そうする」
「それを見捨ててよいのは、一般兵とその上官」
「アンナ少尉を守るべき親衛隊が取るべき手段かといわれると疑問符がつく」
「親衛隊の忠誠は、その忠誠を捧ぐ相手が死地にたった時、その人を救うためにある」
「いうなれば、大将を守って、親衛隊が全滅してもそれはそれで成功である」
「しかし、ライフル銃の射線に我が身をさらす人物が親衛隊にはいるか」
「いると思いたい」
「それを個人単位でやってしまうと軍として形を成さないが」
「しかし、その先陣を切る人間になりたい」
「両者の葛藤はどちらに傾くか」
「ブーン、ブーン、ブーン」
「残り後十四分。それまでに救出をすべきならば、行動に移さねばなるまい」
「ああ、後二分思考を放置すれば、結果は見捨てたのと変わりはしない」
「誰か、先陣を切れ。俺はその後に続いてやる」
「その第一歩が難しいんだ」
「おい、先陣が現れた」
「独逸の射線にさらすまで前進したのは、音楽隊」
「つきあいの長さだろうな。同じ、慰安部隊の中で付き合いも長い」
「それでも残り、九十五メートル。独逸陣地は遠いな」
後に、この場に立ち会った日本人中尉長野幸一は語る。それは、思考を放置した頭の中で繰り返される羅列の連続であった。
坊さんが屁をこいた
第一部隊、無言で音楽部隊の前に出た
残り、九十メートル
坊さんが屁をこいた
第二部隊、無言で第一部隊の前に出た
残り、八十五メートル
坊さんが屁をこいた
第三部隊、無言で第二部隊の前に出た
残り、八十メートル
坊さんが屁をこいた
音楽隊、演奏を続けながら第一部隊の前に出た
残り、七十五メートル
ここまで、三分を消費
坊さんが屁をこいた
第一部隊が無言で音楽隊の前に出た
残り、七十メートル
坊さんが屁をこいた
第二部隊が無言で第二部隊の前に出た
残り、六十五メートル
坊さんが屁をこいた
第三部隊が無言で第二部隊の前に出た
残り六十メートル
坊さんが屁をこいた
第一部隊が無言で第三部隊の前に出た。音楽隊は、残り七十五メートルの地点で足音を消し、祝典が続いていることをよそおうために演奏を続けていた
残り、五十五メートル
さあ、これ以上近付けば、ライフル銃の的になるために進むだけだ。今なら、独逸は気がついていないようだ。引き返せるぞ。第二部隊、もう十分親衛隊としての行動をなした。前に出なくてもいい。引き返せ。
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