仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第207話

 1912年(大正元年)十月二十六日

 ロンドン ダウニング街

 「本日、露西亜からの回答で戦争当事国六カ国の返事がそろった」

 「ギリシアは、トルコに攻め入りましたが、早々講和を結んで対象外ですが」

 「それで、露西亜の返事は」

 「このまま戦争を継続してもよいが、我が国ばかり利する状況を考慮したうえで、英吉利の提案にのってもよいとの返事をいただきました」

 「惜しいかな。六カ国のうち五カ国が停戦に応じるといってきた地点で最後に残っている露西亜ぐらい、戦争継続の方針を堅持してくれてもよいのだが」

 「確かに、露西亜は勝ち逃げを狙ったところで停戦と一番の利益を欧州戦争で得た国です」

 「どうだ、実質独逸のアフリカ植民地三カ国を得た英吉利と露西亜とでは、得たものはどちらが大きいか」

 「領土面でいえば、文句なく露西亜の勝ちでしょう。ブタペスト以西を露西亜陸軍が占領しました。これは、墺太利にとっては、のど元につきつけられた刃のような戦略的な価値をもちます」

 「確かに、墺太利は英吉利と独逸の後ろ盾を失っては何もできない二流国となってしまうことを世界的に知らしめたような象徴、そのものですよ」

 「それに、戦艦を保有する大国六カ国のうち、最下位をあげるとすれば誰もが今現在であれば、墺太利をあげるでしょう。どうして、英吉利が世界の警察官を名乗るならば、亜米利加と日本を参加させずに、最下位の墺太利を欧州連盟の常任理事国としたのですかと、小学生にでも質問されそうなことだぞ」

 「それに対する答えは多々あるが、最大の理由は墺太利がつぶれてしまっては、最大の債権国家である英吉利の経済にとって非常にまずいことになるからだ」

 「英吉利は、独逸と墺太利を操つってこそ、仏露伊三国に対抗できるのです」

 「さらに、露西亜のすごい所は、陸軍のみならず海軍まで開国以来ともいわれる働きをした点です」

 「それは、イスタンブール陥落を示しているのだろうな」

 「はい、露西亜にとって悲願の不凍港であるだけでなく、自由に地中海への出口を押さえた点が今回の戦争で最大の功績かもしれません」

 「イスタンブールに露西亜海軍の本拠をおけば、墺太利海軍は蛇に睨まれた蛙のように萎縮することになるでしょう」

 「では、外交戦の勝利を含めてでも今回最大の勝利者は、露西亜に変わりないのか」

 「露西亜はさらに、独逸を封じ込める術を用意しています」

 「国際列車での独逸を追い出しか」

 「はい。かつてシベリア鉄道とオリエンタル鉄道は個別のモノでした。しかし、この戦争後、露西亜は独逸を仲間外れにして、江戸からパリまでの路線を整備することができるようになりました。このユーラシア大陸をそっくり横断する鉄道によって、露西亜は独逸の経済圏を封じ込めるようになるでしょう」

 「そして、独逸と墺太利の苦境か」

 「露西亜が素直に停戦に応じるはずだ」

 「しかし、独逸周辺の中立国があろう。それを取り込めば独逸の苦境はかなり中和さえるのではないか」

 「失礼します。アムステルダムで一つの市民運動が阿蘭陀政府に陳情するまでになったことをただいまつかみました」

 「ほう。それはこの場で話し合っていたその中立国筆頭阿蘭陀の話ではないか。詳しく説明してくれたまえ」

 「はい。アムステルダムは、今回の大戦で懲役逃れをする学生たちや労働者が留学や亡命という形で集まったわけですが、そこは親のすねをかじった連中もいましたが、亡命という形をとった連中にしろ、アムステルダムの大学等に留学という形をとった者にしろ、小遣いが欲しいのはかわりません」

 「まあ、逃げた連中だしな、暇を持て余しているだろ」

 「そこで彼らは、その地が六十年前に日本から根付が上陸した土地であることをヒントにセルロイドを使ってフィギアを製造し始めました」

 「なるほど、手先の器用な連中がいれば、その反対にフィギアを買いたいという連中もいるだろうし、需要と供給が一致しているな」

 「御存知のようにセルロイドの過半数は、台湾を領有する日本が供給しており、当初は映画俳優の三次元化という形で映画を補完するものでした」

 「日本は、映画の周辺分野を押さえるのがうまいね」

 「ええ、日本でも根付からフィギア産業が興行するきっかけをアムステルダムがつくったわけです」

 「そして、フィギア産業は成長したというつもりか」

 「ええ、中でも大当たりをしたのが此度の戦争で救国の英雄として祭り上げられた独逸第二師団師団長のマーチン師団長。こちらは男女を通じて人気があります」

 「そして、彼を購入すれば彼がなした事業も欲しいわな」

 「はい。タンクも迎撃機も彼が乗った騎馬もついつい手が出てきてしまい、師団長が売れればフィギアは五点売れるというほどの人気ぶりです」

 「英雄がいれば、ヒロインもいるんだろ」

 「はい、仏蘭西が独逸を国内から一掃するにあたって大いに貢献したアンナ中尉も彼に劣らぬ人気ぶりです。こちらは男が購入する割合が高いものの、彼女の成功物語に憧れる少女の心をわしづかみする熱狂ぶりを示しています。彼女一体が売れれば、彼女を支える差配、大砲部隊一式、さらには彼女が不時着したときに彼女を救出した部隊、さらに彼女が乗った偵察機は、機械でありながら売り上げの三位に位置するほどの人気ぶりです」

 「そうか、それほどまでに社会現象となったフィギアだ。当然、政治力を持つようになるな」

 「はい。オリエンタル急行の終着駅をパリではなくアムステルダムにまで延長すべしという運動が広く支持を集めています」

 「ほう。日本にしてみれば、セルロイドの原料である樟脳を買ってくれるお得意様がアムステルダムにいるわけだから、これは利害が一致しそうだな」

 「はい。もしこの陳情をオリエンタル急行を運用している会社にもってゆけば通るであろうと皆噂している模様です」

 「この運動、きっかけはどうであれ、オリエンタル急行の終着駅が阿蘭陀まで延長されるのです。ベネルクト三カ国は仏伊露に急接近するようになるでしょう」

 「どうやら、独逸の経済圏は中立国まで仏伊露に取り込まれ、一層の苦境が待っているようだな」

 「独逸の経常赤字は広がるばかりでしょう」

 「金が独逸から離れていきそうだな」

 「墺太利も同様でしょう。債務国家に転落しているのに、輸出先が見つからない不況が待っていそうだな」

 「ええ、残っている中立国の北欧は市場が小さく、独逸の生産力を満たせません」

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

誤字脱字・感想があれば掲示板へ

humanoz9 + @ + gmail.com

第206話
第207話
第208話