仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第230話

 1916年(大正五年)六月二十日

 ベルリン ロベルト=コッホ細菌研究所

 「寒天培地にて、新しい細菌を発見することがノーベル賞への近道だ。その中で私は、低温培養法に活路を求めた」

 「教授、摂氏百度で寒天水溶液を沸騰させています」

 「よろしい。寒天が凝固性を獲得する温度は、摂氏九十六度。つまり、寒天水溶液を沸騰させることがその大事な証明である。では、五十℃の恒温水槽に移し、五十℃を保ちなさい」

 「はい教授。たった今、ビーカ内の温度が五十℃で安定いたしました」

 「よろしい。では、温度計を確認しながら君の活躍の出番だ」

 「はい教授、助手であるアインスバウムがガラス棒を用いて撹拌することで、三十℃まで凝固を防ぎます」

 「そうだ。実験の要点はその一点にかかっている。通常、シャーレにて細菌を培養させるには、寒天培地をシャーレに移す五十℃にさらさなければならない。しかし、それでは高温過ぎて細菌は死滅してしまうものがいる」

 「はい。だからこそ、私の出番です。寒天培地をガラス棒で撹拌することで、凝固温度を三十℃にまで下げ、低温でしか生きられない細菌を発見するために頑張って毎日ガラス棒を撹拌することが私の仕事です」

 「そうだ。我が研究室の存在意義は君にかかっているといっても過言ではない」

 「はい、教授。でもこの仕事ですけど、ガソリン機関で代用できませんか。そうですねえ、ガソリンエンジンを回し、その回転軸にガラス棒を取り付けておけば、二十五℃まで凝固しないですむかもしれませんよ」

 「なるほど、では君にその装置の開発を命じる」

 「了解しました」

 「教授、教授、たった今、重大発表が研究所内を駆け巡っています」

 「なんだね。そんなにあわてて。要点を述べなさい」

 「はい。納入業者が寒天培地の納入延期を通告いたしました」

 「なにーーーー。理由を述べよ」

 「はい、昨今のキャラ弁ブームにより、寒天需要が急上昇。よって、額並びに量とも学術部門が要請する分量を確保できなかったといってきました」

 「あ、あわてるな。こういう時こそ、所長に対策があるはずだ。所長に我が研究所の対応を一任したまえ。さて、我が研究室の皆、寒天培地在庫をすぐさま把握しろ。研究が停止する日を確認することが唯一我々にできることだ」

 「了解しました」

 

 

 

 九月一日 

 江戸城三の丸

 「諸君、外国奉行よりあがってきた案件だが、まずその案件を述べてくれたまえ」

 「はい、諸外国より十分な寒天の供給を要請されました」

 「ふむ。我々には、なじみのない物質だが、それほど大事なものかね」

 「はい。寒天なくして細菌学の進歩なしと言われております。寒天培地がなくては医学の進歩が止まるともいわれるほどです。ただ昨今、食べ物を寒天で葛粉の代わりに使用することで葛切りのように無色透明な食べ物が次々と生み出されています。需要ひっ迫は、医学需要に食品需要、さらにカラーハンターが寒天を奪い合っている結果です。なお、後者の二つは、ここ数年の需要を押し上げている要因となっております」

 「食品需要はわかるが、なんだそのカラーハンターというのは」

 「はい。世の中で食品に使われる新色を発見したのならば、それを世界に認めさせなければなりません。そのためその試料を世界中に供給するために二重寒天培地が使われています。要は、寒天培地を下に敷き、次に試料を挟み、その上にもう一度寒天培地を溶かします。こうすることで、輸送中に起こり得る変色等の劣化を最大限排除できるわけです。要は、手のひらと手のひらの間に梅干しを挟み空気を抜くことで、梅干しの時間を止めることと同じと思ってください」

 「となれば、対策は需要を賄うだけの供給を増やすか、どこかで需要に制限を掛けるしかあるまい」

 「外国奉行、増産のめどは?」

 「はい、この寒天は信州で限定生産されています。理由は冬季の低温が寒天に適しているからです。そういった理由で、増産に応じるのは来年春以降になります。増産量は、めいいっぱい二割と」

 「それ以上の増産は無理か」

 「はい、材料となる天草は海藻の一種でこれ以上は原材料が入手できないと言われました」

 「となると、全ての需要に応じるわけにはいかん。で、寒天が足りないといってきたのはどの者だ」

 「国内並びに亜米利加医学者の他、欧州連盟からは連盟名で医学需要に応じてくれといってきました」

 「医者には、勝てんわな」

 「はい。誰でも長生きをしたい」

 「となれば、食品需要かカラーハンター向けに供給を引き下げるほかあるまい」

 「両方とも国外向けには御禁制にするか」

 「お待ちください。カラーハンターですが、彼らは新しい食料を発見する食料開拓者の役割を担っています。さらに、食料候補が無毒であるかどうかを確かめてくれます。ですから、新しい色が発見された時に寒天を使う際は、各国に無害であることを証明する保証書の提出を義務づけることで今まで通りに流通を認めてやってください」

 「そういわれれば、認めないわけにはいかんな」

 「では、寒天を国外向け御禁制とする。例外として医学向けとカラーハンターとする。なお、カラーハンターは、寒天使用時に国に使用届を義務付けるものとする」

 

 

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