仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第236話
1918年(大正七年)四月二十日
ロンドン 外務省外事課
「で、九竜飯店一号店がパリ市民から総スカンを食らって、同市から撤退したそうだがそれに関する損害を計上したまえ」
「はい、予定ではパリを第一号店にして、その後、ミラノ、モスクワ、ウィーン及びベルリンまでの五号店を出店する予定でしたが、すべておじゃんになってしまいました」
「損害は、従業員教育にかかった費用も込みで一万ポンドかと」
「料理全ては、香港まかせだったからな。素直に見立て違いだったというべきか」
「その点ですが、広東料理のメインディシュであるフカヒレ料理を最初に出す奇抜さに我々は、度肝をぬかしていましたが。あれは、見方をかえると素材の味だけでほぼ料理のうまさを出すフカヒレ料理ですから、料理人の腕はたいしてことがなく、それ以降のコース料理をろくに料理できないレベルの料理人をかまされたのではないでしょうか」
「料理人のレベルをみぬけぬ英吉利人か。あわよくば、マジシャンを五人ほど囲い込い、一気に料理先進国に並ぶ人数になる予定が、パリジャンヌには通用しなかったか」
「タイヤガイドの御ひざ元で彼らの舌を出し抜くはずが出し抜かれたのは我々の方か」
「ただ、人的被害が最もひどい点が気になります」
「駐パリ英吉利大使館の面々か」
「はい、パリの面々を引っ張ってくるために、大使館員が九竜飯店に招待する形をとった方法が一番多かったものですから」
「実は、大使館員が一番、九竜飯店を利用したために味覚を失った半病人を出したのは英吉利人が最も多かったという皮肉な結果になりました」
「で、その半病人への処置はいかがした」
「どうにもこうにも、放置しかないのではないかと思っていたのですが、女性大使館員の中にではSEC(南ヨーロッパキャラクター食品)の食材を試してみたいという意見があがりまして、それに賛同した者が約半数で主食としてSECでの試食を許可し、残りの半数は今までの食事をするという形にしてこれまでの経過をとりました」
「世間のはやりかもしれんが、結果をきこう」
「今まで通り、大使館で出される食事をとった者は味覚が元通りになるまでほぼ一カ月かかりました」
「舌の感覚器がやられたのだ。ひどい場合だと一生モノだと覚悟していたが、それほどひどくはなかったか」
「残りの半分は、SECで出される食材を摂取したのですが、味覚回復まで一週間かかりました」
「ちょっと待て。今まで通りの英吉利料理の方が味覚治療速度が四分の一だとはどういうことだ」
「普通ならば、祖国の味を食べていれば懐かしい味であるから、味覚回復までの時間も短いのが普通ではないか」
「そう予想していたのですが、英吉利料理というのはSECで出される料理よりも味の濃いものが多いようで」
「では、SEC食材の特徴は」
「うま味の元となる食材をふんだんに使っているのが特徴で、薄味に整えられています」
「ちょっとまて、南欧の料理だろ。香辛料が多量に使われていないのか。それは舌の回復の妨げにならんか」
「適量を守れば、食塩の使用量を下げることが出来るようです」
「グルタミン酸ナトリウムの過剰摂取が今回の食事障害につながったわけだが、食塩の片割れであるナトリウムを過剰に摂取したことにもなるな」
「はい。薄味仕立てで舌への刺激を柔らかくし、味覚の回復を待つのが今回の処方箋だったと言えます」
「え、大使館員は平常勤務に戻ったか」
「戻ったような戻ってないような」
「何だ、歯切れが悪いな。大使館員に後遺症が残ったか」
「どれは問題ありませんでしたが、新たなブームが起こりました」
「なんだ、英吉利のために体を張ったのだから多少のことには目をつぶろう」
「はい、実はSEC食品をとっていた連中が、味覚が戻った後もSEC食品の購入を続けています」
「なんだ。それほど、英吉利の飯がまずいというのか」
「いえ、決してそのようなことは。大使館ででる料理ですよ。料理人も一流ならば、敷地の外で食べる食堂料理よりおいしいと自負しています」
「では、もしかしてSEC食品も依存症の気があるのか」
「それが世間からはつまはじきに遭うような理由ではないのですが」
「また。歯切れが悪いの。英吉利料理がそこまで悪いのか」
「その筆頭にたった女性大使館員がそっと教えてくれたのですが、お肌がつやつやしているからやめられないと」
「それは、障害ではない。皮膚の薬かSEC食品は」
「さらに食い下がって、教えを請うたところやっと教えてくれたのは、毎日のお通じが出るようになったというのです」
「パンにフィッシュアンドチップでは期待できないのか、それは」
「ひどい時は一週間も出なかったものが毎日来るようになったといいますから、彼女にとっては、お薬を飲んでいるのと同意義なのかもしれません。SEC食品というのは」
「くそ。なんだかはめられた気分だ」
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