仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第245話
1922年(大正十一年)二月一日
パリ郊外 シャブール小学校
「今は、八時四十分か。来賓到着まで十分。最終点検です」
「はい。毎日が戦争のような日々です」
「ああ、今日も校長先生と教頭先生は忙しそうねえ」
「児童達の落ち着きが我々教師には嬉しい限りですが、周りに与える反響が大きすぎましたか」
「校区の父兄が感動してくれたおかげで、必要な資材と食材の調達に困らなくなったのは大いに助かることなのですが」
「次に、周辺地区の教育委員会からの視察が相次ぐようになったあたりから、あるべき小学校のモデルケースにすべしという気運がずいぶんと高まりました」
「どこも児童の落ち着きのなさに嘆いてらっしゃったようです」
「その解決策は、シャブールにありといわれるようになりました」
「小学校の授業構成だけではなく、この体制を中学校にまで持続する体制づくりを地区の教育委員会が検討中だとかで」
「今までわが校に導入してきた忍者修行の時間を周辺小学校へのとりいれ指針並びに中学校への導入指針を報告書にしなければならないとか」
「どう考えても、報告書百枚ほどになりそうですねえ」
「おかげでそのモデル学級に指定されたダン先生の苦労も管理職の奮闘ぶりに劣らないものになりそうです」
「時々、ダン先生の児童から『ダン先生少し落ち着いてよ、蕪の桂むきが切れたら先生のせいにしちゃうから』と言われるほど、受け持ちの児童にいわれるほどだとか」
「いえいえ、中学校に導入されるにあたって、誰かがこれは教科にすべきだと言い出したのが原因だとか」
「朝の十分間でなく、授業一コマに昇格させるんですか」
「料理の一コマとして、週二時間連続授業にしてはどうかと提案があったそうで、そのカリキュラムを作るのにてんてこ舞いだとか」
「確かに児童のやる気は大いに上がるでしょうが、朝の十分間はどうなるんでしょう」
「もちろん継続でしょう。継続ほど、桂むきに必要なものはありません」
「ええ、上級の人参を手にするようになった児童もちらほら現れ出しましたしね」
「ええ、クラスで二三人ほどですが、蕪では満足できなくなった児童がついに人参に挑むようになりました」
「ただ、人参は難しいです。蕪では二メートル以上に一筋の巻物を作れる中級者が五センチでプチっと切り落としていますし」
「そうでなければ、分厚いリンゴの皮よりも厚くもいでしまい、継続できないほどでこぼこにしてしまうかの二択です」
「私たちも一年ほど練習しましたが、いきなり人参で桂むきをするのは無理がありました」
「はい。初級の大根、中級の蕪でみっちりと練習しておかなければ、人参は相手をしてくれませんでした」
「硬度は一番硬くて、一番口径が小さいために、難易度は格段に跳ね上がりますし」
「蕪ならば、多少速度をあげてむけるようになった中級者も一気にノロノロ運転をしながら剥くしかない難敵でした」
「しかし、教師もその時培った集中力をもってしても今度は、教科の名前をつけるのに苦労しているようですよ」
「あ、確かにそれらしい教科名となれば歴史に名を残しますし、管理職の悩みは続くのでしょうねえ」
「で、どんな候補があがっているのですか」
「料理、裁縫、衣食住を教えるとなれば、第一候補は生活科だとか」
「いえいえ、私は家事全般を取り扱うのですから家庭科だとお伺いしましたが」
「え、忍者修行の時間だったのですから、忍者科という意見はないのですか」
「上の考えだと、なんでも女性解放運動との絡みが混じっているのだとか」
「ああ、なるほど、男性優位論者であれば生活科なぞ、男が習う授業ではないと言い張るでしょう」
「その場合、女子が生活科、男子が格技となるのですか」
「ええ、最大公約的に声をまとめますとそうなるようですが、過半数を押さえるまでには至らないとか」
「あれ、どんな反対意見があるのですか」
「男子の格技ですか、それは学校が荒れた場合、どう対処されるのですかと」
「わかります。学校が荒れれば本末転倒です」
「格技を習えば、そのスポーツ精神をみならい、生徒は落ち着くという意見を押し付けているようで」
「それはなんだか無理があるような気がします。第一、シェフは男がなるものでしょう。桂むきを取り上げられるシェフ希望の男子児童の声はどうなるのでしょう」
「ええ、だから紛糾しているのです。仏蘭西は、女性参政権を認める欧州でも最先端をおしすすめる女性解放路線にお国柄ですから。家庭科といういかにも家庭に縛る意見が二番手に押しとどめられている要因はそこにあるわけです」
「つまり、男性優位論をはく連中と女性解放路線とがこんがらがってわが校の管理職の双肩に重くのっかっているということですか」
「はい、あちらを立てればこちらが立たずの状態で報告書が進まないという悩みにつながっているようで」
「ああ、報告書作成から外れて万々歳だな」
「ええ、静かに授業に集中したいもんのです」
「ダン先生頼みますよ。僕らの防波堤になって下さい」
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