仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第25話
元治二年(1865)四月五日
源氏物語『桐壷』を浮世絵化
日本橋 料亭梶
「これは、当たると思うか」
「純文学の最高峰である故、世界に誇ってもいいはず」
「この文中にある和歌をどう仏蘭西語訳したのだ?」
「訳者も相当悩んだようで、単語数で五七五七七を割り当てたようだ」
「ごくろうなこった。韻までは踏めなかったか」
四月九日
亜米利加で南北戦争が終わる
慶応元年五月八日
水道橋駅
「渋沢、此度、仏蘭西政府より微粒子病の解明に貢献したのでその対策について詳細が送られてきたのだが、ちっともわからん」
「会長がわからないのも無理ないかと、蘭学を学ぶ医学者を呼んでこれを見てもらったところ、五人目でようやく解説してもらえました」
「さて、今後増えるであろう学術関係の仕事をどうさばくか」
「いっそ、専門家を雇えばよいのではないでしょうか」
「あれか、研究所というやつか。どの分野の専門家が必要か」
「思いつくままに、此度の微粒子病でしたら、実学で農学、生物学。鉄工所を立ち上げるのでしたら、工学に化学。文系でしたら、翻訳業務も必要ですから文学、経済学、経営学、今度建設しますオテルのために建築学に宗教学、それに機関手と料理人や執事のための師範学校といったところですね」
「ほとんどすべてではないか」
「あ、我が国の重要文化である浮世絵を忘れてました。美術学も必須です」
「とりあえず、総合研究所だな」
「いっそ、大学にしますか。沿線に造れば通学客も確保できますよ」
「どのくらいの規模まで許容範囲か?」
「会長のもう一つの財布から出すとすれば、教授陣が二百人、学生が八百人の規模で良いのではないかと」
「スエズ運河の配当か。やむを得ん。このままでは未知の分野に進出するたびに失敗が付きまといそうだ」
「各分野の研究者五十人に声を掛けておこう。我が国にない分野は三年間、仏蘭西の大学へ留学だな」
日本橋駅
告示
三年後の十月より、一橋大学と及びその予備専科を設けます。寺子屋を出た人々を対象に大学生とその予備専科生の募集を来年の七月に行います。合格された学生及び予備専科生につきましては同年十月より新宿にできます一般教養棟にて教養を学んでもらいます。専門課程は仏蘭西に留学した教授が帰国次第暫時、開始となります。なお、入試科目は、得意科目を総点の半分、後の科目を半分とします。試験科目は、和算、国語、歴史地理、理科の四科目を予定しております。以下に考えられる学科を予定しております。募集人数は、大学生八百人と予備専科生二百人です。大学の設置場所は、建設中の新宿駅から徒歩五分の敷地を予定しております
文学部 漢文、仏蘭西語をはじめとする外国語の研鑽
経済学部 商人や相場を対象とした学部
芸術学部 浮世絵や水彩画のみならず琴やピアノなどの音楽を扱う学部
理工学部 建築物、鉄道や蒸気船などの仕組みを解明するほか、生物などの自然現象を対象とする学部
師範学部 機関手や料理人を教えることを目的とした学部
農学部 農林水産業を取り扱う学部
日本橋 料亭梶
「そもそも大学って何だ」
「知をもって社会に貢献する教育機関といえばいいのか」
「得意科目の点数を半分としたように、一芸に秀でた人物がほしいようだ」
「教えるものがいないからそれぞれの頂点にいる連中に仏蘭西に無理やり留学してもらっている最中で、まずは教育機関をつくりだすところから始めるようだ」
「仮にそこを卒業できたとしてなにかいいことがあるのか」
「東海道鉄道株式会社として理工学部と経済学部及び師範学校を出た学生を確保したいだろう」
「なるほど優秀な人材が欲しいと」
「それもあるが、建築学部を出たなら駅舎の設計に携える。蒸気機関車の修理から始めてゆくゆくは製造に乗り出す気かな」
「なるほど、全ては国内ではない物ねだりだ。幕府にあるのは昌平坂学問所で能吏を産みだすものだからな」
「後、この中にないのは適塾に代表されるような医者の養成が欠けてるな」
「鉄道会社には関係ないものだからな」
「しかし、浮世絵強し。医学部を押しのけて芸術学部として入ったな」
「それな、教授陣が留学中ばかりではまずいので国産で対応できる職業を入れたらしいぞ」
「そうか、ここだけ漫画専攻の教授がいるって噂だぞ」
「それだけは、日本人ですむからだろ」
七月一日
名古屋駅
「名古屋発柘植行き一番列車が発車いたします」
「鈴鹿峠は、勾配を考えたうえで回避され、坂下宿から柘植駅に西寄りの経路を採用ですか」
「経路があればそれもよいでしょう。回避したのに東海道最大の難所御殿場線のようにならなくて結構です」
「それでも、御殿場線と同じ1/40の勾配となったそうで、一キロメートルのトンネルが一本というぶんだけ御殿場線よりましという程度ですが」
「今まで日本橋から伊勢参りをするには一月がかりの旅でしたが、最寄駅からは一日、往復四日あれば日本橋と伊勢神宮を往復できるようになりました」
「では、江戸の商人か参拝客が増える伊勢神宮から亀山と伊勢を結んでくれと要望があがりそうだな」
「あの、江戸の商人が伊勢まで路線を延ばしてほしいというのはなぜなんでしょう」
「伊勢神宮はなにの神か」
「へー、天照大神です」
「御利益は」
「国土安泰、開運、福徳、勝運といったところでしょうか」
「それらは、商人にとって必要なものか」
「へー、全て必要なものです」
「つまり、伊勢神宮に参ることは商人にとって必要なものを招くわけであり、使用人がこっそり無断欠勤をしても今までなら二月間はそやつの席を空けて帰ってくるのを待っていなければならないんだ。『主人にかわり伊勢神宮のお布施をもって帰りました』と言われれば、商人の神様である天照大神の参詣に行ってきた使用人を解雇できないという決まりがある」
「なるほど、商人にしてみれば伊勢まで路線を延ばせば、四日あれば伊勢参りにいってこれるだろ、だから一週間休んだお前は首といい渡すことができるのですね」
「ああ、使用人もその時になったら二日を遊んで二日で伊勢神宮のお札をもって帰ってくるか、金を出して友人にお布施を取りに行かせ四日間遊ぶこともできるが、今の給金ならそのような手段がとれるのは番頭並みの給金を必要とするがな」
「お蔭参りが大量発生すれば、百万人の乗降客を見込めますが」
「四日間での旅となればいつでも行けるものとなり、盛り上がりはなくなるでしょうが」
「でしょうね、六十年周期のおかげ年は次回、1890年となるが奉公を投げ出しても問題ないという風習は廃れるでしょう」
「ちなみに前回のおかげ年(1830)に伊勢神宮への参拝数は四百万人だったそうだ」
「それだけの客が鉄道会社に乗ってくれれば左うちわなのに」
水道橋駅
「会長、仏蘭西に留学中で調理士初期課程を修了し、専攻課程に突入したオテル研修生から書状が届いております」
前略、仏蘭西料理の初期課程を修了し、専門課程に入りました入江と申します。専門課程に入りまして仏蘭西料理の様々な食材に日々遭遇しております。此度、料理部門を総括すべき者たちを代表して書状を出させていただきました。日本で見かけずに仏蘭西料理で見かけた食材について調達法の検討をお願いしたくあります。まずは、牛や豚、鳥類といった食肉の調達方法について質問させていただきます。本来仏教徒である日本での食肉は、一羽二羽と数える食肉しか手に入りません。肉を使わないで仏蘭西料理をつくるのはもはや仏蘭西料理とは仏蘭西人は認めてくれないでしょう。牛乳しかり、バターやチーズもしかり、油脂につきましては鯨油しか私のつたない知識では浮かびません。麦酒とぶどう酒につきましては樺太麦酒が調達していただけるものと考えております。パスタにつきましては当分の間、欧州から輸入するしかないと思います。私どもがいちいち手作りしている暇はないですし、もし製造する場合であればデュラム小麦を輸入するのですから、乾麺での輸入でよいかと思われます。小麦に関しても日本の小麦では仏蘭西人が納得するパンを手にするには小麦ごと輸入するしかないかと。それと私ごとですが、今のところ日本は開国していませんので我々が働くオテルの客は日本人ばかりになると思われます。欧州に留学する人を除いて、最初から箸で食べていただくことを想定したいものです。また、留学される方々のためには食事マナーを学ぶ講師について食事をされますように取り計らっていただければ幸いです。
オテル研修生 入江守
東海道鉄道株式会社人事部御中
「いわれてみればその通りですねえ。肉を調達しようにもジビエ以外は牧場生産しなければ手に入りません。牛がいなければ牛乳も手に入りませんからバターとチーズも無理となります。どうやら、入江君は日本の小麦では納得できるパン=トラディスィヨネルができないものと踏んだのでしょう」
「最初は、日本人限定であるからマナーを学んでいただこう。また魚は手に入るから肉と魚の二大巨頭のうち半分で仏蘭西を学んでいただく。後は、一羽二羽と数えれる兎と鯨でやってもらうしかないな」
「パンも日本人が納得するパンにしてもらおう。少なくともあんな硬いパンは我々が認めない。我々が納得しないうちは平皿に白米を出してもらう。開国以前の国ゆえ、その辺は割り切ってもらう」
「では、オテル研修生が帰国するのに合わせて牧場見習いを樺太麦酒会社から派遣するものとする。牧場見習いが帰国しないうちは、乳製品は無理だな。植物油で代用してもらう」
「仏蘭西から軍用の種馬はいただきましたが乳牛と肉食牛の贈りものはいただけませんでしたから」
十二月三十日
仏蘭西 シャンデリア
「入江、日本からの手紙だぞ」
「おい、何とある」
「オテル見習いが日本に帰国するのと入れ替わりに牧場見習いを仏蘭西におくる。よって牧場見習いが帰国するまでは、肉料理は鯨肉か鳥と兎に限定してくれとのことだ」
「つまり、しばらくは乳製品と肉が手に入らないんだな」
「ああ、そうだ。それとパンを担当する関にはきつい一言が入っている。パン=トラディスィヨネルは、会長として堅すぎてパンとは認めない。当分の間、白米を平皿に出すとのおたっしだ。会長を納得させるパンを出しなさいとのことだ」
「そ、そんな難題ってありかよ」
「ありだ、開国してないから客は日本人だけだから問題ないと上が割り切った」
「しかたがない、これから俺はマリー=アントワネットを師匠にいだこう。後少ししかないのにあれを習得するしかないか」
「伊藤、パスタ担当のお前にはこうだ。植物油と日本の小麦は使ってもよい。動物性の油脂とデュラム小麦は日本産なら使用を認めるとある」
「要するに、和風なパスタを出せというのだな。俺もこれから厨房にかかりきりだ」
元治二年(1866)一月三日
梅田駅
「堺行き一番列車が発車いたします」
「中山道鉄道株式会社の路線延長は遅々として進みませんな」
「我々は、寄り合い所帯ゆえ結果を求められるゆえ配当を出さねばなりませんから」
「しかも堺より先、和歌山以外大きな街がない。和歌山乗り入れは二年後が最短ですな」
「東海道鉄道会社は、最初の路線長が二十里、我々はその半分。単純に考えると路線を延ばす原動力は、半分ですな」
「競合会社が毎年路線を延長するなら、我々は隔年で路線延長やね」
「しかも、東海鉄道株式会社が売上税導入にともなう値上げをしませんでしたから、うちらも対抗上値上げできなかったのは痛い」
「では、このままですとうちらとあっちとがすれ違う地点はどこになりはりますやろ」
「敵は、来年の夏に京の八条に乗りいれます。さ来年は大坂やろ。さ来年は、双方の路線が混じることがない最後の年となりますやろ」
「ほうほう、敵さんが大坂乗り入れするとき、うちらはようやく和歌山乗り入れですか」
「なんとか、我々をまたがないと西へはいけませんでと虚勢を張ることができますやろ」
「でしたら、我々が彦根に乗りいれるのは早くて四年後やろか」
「京と草津間で我々は二番手やろ、おいしいとこはありまへんやろ」
「大坂まで乗り入れた敵はんは水戸街道を進むやろ。当分の間、双方の線路が交わることはありまへんやろ」
「では、敵はんが大坂で乗り入れる地点はどこやろか」
「候補としては、梅田、天王寺、湊、片町、中島といったところやろか」
「西を目指すなら、梅田。大坂のど真ん中にするなら中島、南を押さえるなら湊でしゃろか」
「我々が彦根まで足を延ばしたおり、大老はんはお変わりありませんやろか」
「今の将軍は若い故、しばらくは大丈夫と違いまっか」
二月二十八日
パリ シャンゼリア
「なあ、去年の秋あたりから花嫁衣装がかわってきていないか」
「十二単のことか」
「ここ百年ほどは、ウエディングドレスといえば白だったんだが」
「少なくとも十二単では五枚重ねだから、一色は白。しかし後は赤とか紫とかだったりするよな」
「時代の最先端のつもりなのだろ」
「文自体は千年前の話だろ」
「それがじわじわとくるらしい」
「一生の一度の晴れ舞台で我がままを言いたいようだ」
「今年の源氏物語は、おとなしかったがこれからはでになるのか?」
「予備知識は全くない。それに、浮世絵師が二巻目は違うものが担当するようだ。服装まで違う筆遣いとなるだろう」
「微粒子病の猛威がおさまっていてよかったよ。三年前のままだと生地の確保にも苦労したよな」
「おお、たくさんの生地が必要となりそうだ」
「ま、確かに斬新だが」
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