仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第258話
1923年(大正十二年)九月四日
八王子 とある印刷工場
「印刷機の習熟。これは一朝一夕ではいかんな」
「一日に発送する予定の浮世絵は燃えたから来週号は一回休みだ。となれば再来週号の締め切りは、九月八日」
「原作者や絵師と連絡がつかん事態は複数存在する。ただし、この非常時だ。穴埋めも出来ないから、再来週号はその分薄くなるが、今日までにできたことは、原版を完成させただけだ」
「もうすでに三色カラー印刷はあきらめた」
「しばらくは、モノクロ物で一年はすごさねければならんか」
「それはすでに、浮世絵印刷物とは言えないような。そんなわけで早急に単色カラー化、これだけは譲れないそうだ」
「しかし、現状、再来週号までに印刷機の動かし方もままならんぞ」
「無謀なことをしていますかね。今まで工場制手工業で半分手作業だったものを、工場製機械工業に進化させようとしてるのは」
「しかし、手作業の限界が見えていたのも事実だ。例え、カラー化に手間取っていたのは事実だとしても」
「本来は二年ほど、習得期間を持たせるものでしょう。それがいきなり印刷機を動かせとは無茶な要求をされますね」
「厳密にいえば、印刷技術に熟練した連中はいる。だがしかしその数が足りていないだけだがな」
「この工場に回された熟練が一人という地点で、かなり厳しいですよ」
「どうみても八日には間に合いそうにありません」
「しかたがない。原版ができていることをもって、地震災害時の対処としてよしとするか」
「はい。今回ばかりはそれでお願いします。なんとか、次回の締め切りまでには印刷機を動かせるようにしておきます」
「元々、地震による避難も考えると時間が足りなかったです」
九月八日
パリ ナタリ印刷工場
「諸君、ここにジャポンより届けられた浮世絵の原板がある。皆も知っていると思うが、本日発売予定の浮世絵今週号は、地震災害により焼失したため発売が中止された。だがしかし、二週連続して販売をやめることは出来ない。そのため仏日災害連携協定に基づき、次週発売予定の浮世絵をこの工場で印刷することになった。しばらくはモノクロ印刷だが、次第にカラー印刷の比率が上昇してゆくつもりだから、そのつもりでいてくれ」
「しかし、この協定が締結されたのはいつ頃のことだったのですか」
「Paris,Edo,New York これら三都市で姉妹都市縁組を結んだ時からだから、ざっと三十年前の話だね」
「つまり、三十年間発動の必要がなかったものを稼働させるのですか」
「災害の発生はそんなものだよ。むしろ、江戸のことを思うならば、永遠に発動しないほうが良かったが」
「ええ、個人的には一時的でもモノクロ印刷の浮世絵は見たくなかったです」
「しかし、この協定があるからこそ、浮世絵の供給は続けることができる。読者あってのものだからね」
「さあ、巴里っ子をびっくりさせようぜ」
「歴史は、今日つくられる」
十五日
パリ カフェ モンブラン
「今日の話題は、地震で壊滅した浮世絵、奇跡の復活、休刊は一週間のみ」
「なんだ、そんなに江戸は被害が少なかったのか」
「馬鹿をいえ、一面が倒壊もしくは火災に遭った市街地を新聞で一週間前に何枚も写真で見せられただろ」
「今回の奇跡は、原版が日本製で印刷がパリ製造と分担作業で行われたせいだ」
「ほう、すごい分業だな。誰が考えたんだい」
「十九世紀末にニューヨーク市長になったシバ=リーだな。彼が三つの都市で姉妹縁組をおこない、今回の災害協定は、その副産物だ」
「すごい人物がいたもんだ。よもや、協定発足から三十年後に役立つとはね」
「一時は、亜米利加大統領に一番近いと言われた人物だけはある」
「それで、今回のはどうみてもモノクロ印刷だが、将来的に家内制分業体制による六色化の体制に戻るのか」
「今のところその予定はない。なんでもこの機会にジャポンでも浮世絵は機械化を推し進めるようだ」
「てことは、六色に戻ることはないのか」
「今の技術なら、三色カラーまでだな」
「古き良き伝統が廃れるのか、それはさびしい」
「もっと推し進めるつもりらしい。日本から送られてくるのは、原版だけ。印刷はパリが担う体制にもっていくつもりらしい」
「国際分業の時代か」
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