仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第28話
慶応三年(1867)二月十三日
睦仁親王践祚
日本橋 料亭梶
「天皇の位は譲渡されたが、慶応は続くのか」
「一連の儀式が続くため、内外に即位したことを示すのは来年の秋になるとの見込みだ」
「元服前の親王であったために、長引くようだ」
三月一日
水道橋駅
「昨年の収支に関する数字を発表させていただきます。前年の開通区間は、拓殖と八条駅間並びに新宿と国分寺駅間でした。百円の収入を得るために必要な経費は、三十五円でした。四月に仏蘭西からオテル従業員が帰国し、入れ替わりに酪農、畜産、農場見習いが仏蘭西でチーズ、バターなどの乳製品やデュラム小麦の栽培のために研修に向かいます。オテル開業は、今年六月二十日を予定しております」
「煉瓦は国産化できそうか?」
「瀬戸物を焼く窯元に見本を見せたところ、三年の年月があれば可能との返事をいただきました」
「では、鉄道員にとって必須のクロノメーターは国産化できないか?」
「色よい返事はいただいておりませんか」
「では、将来的には国産クロノメーターの技能試験を開催したい。最優秀の性能を示した企業には、副賞としてわが社に一定数の納品を約束する覚書を取り交わしたい。むろん、これまで外国製の製品より質は劣るであろうがそこは性能のいいものを必要な部署に配置することで乗り切ってもらいたい」
「それは、次期尚早と思われます。時計店は、開国していないので自由な輸入ができません。時計もそうです。時計店は、最初、時計の輸入代理店として始めるでしょう。輸入したのなら当然修理しなければなりません。修理工が開国を挟んで必要となるのが四年後のことです。まずは、わが社で使われる時計を輸入代理店に出し、時計店の業績に貢献することから始めるべきです」
「わが社は、時計の修理及び定期検査のために外注するものとする。クロノメーターの製造依頼は、将来的な課題とする」
「以上をもちまして、第七回決算報告を終えます」
三月二日
仏蘭西経済・財務・産業省
「大臣、生糸の入手がままなりません」
「あ、あれか。十二単特需というやつか」
「はい、あれは五十巻に及ぶ大作とききます。このままでは需要は増えるばかりです」
「対策はあるか?」
「二大生産地の清とジャポンで増産してもらうことです」
「清は、我が国の実業家に声をかけよ。ジャポンは、いつもの通り前例踏襲でいこうではないか」
「では、シャンゼリアにある日本商館に話をもってゆけ」
「はっ」
徳川慶喜殿
仏蘭西政府は、貴国がもたらした十二単特需により生糸の供給が追い付かない事態に追い込まれました。つきましては、貴国に生糸の増産をお願いしたい。我が国にある器械製糸の技術を導入し、大規模な製糸工場を建設してもらいたい。もちろん、こちらから建設技師並びに技術指導員の派遣をする。
仏蘭西経済・財務・産業省
四月五日
源氏物語『夕顔』『若紫』を浮世絵化
江戸城 大奥
「八王子に建設する劇場の設計はできましたか」
「できました」
「では、建設に取り掛かってください。ちなみに八王子駅建設予定地の隣接地は確保していますね」
「これより、建設予定地で建設にかかります」
「少々、お急ぎではございませんか」
「大奥の主が幼児なのです。寵を争うこともありませんがそれは、平民から行儀見習いのために来るものを教育するもの以外、手持ちぶたさなのです。劇場を建てるのは仕事をつくるのが目的になってしまっています」
「失礼しました」
五月一日
水道橋駅
「渋沢、仏蘭西経済・財務・産業省より製糸工場の建設依頼がまいった。これにはこたえねばなるまいが、わが社の出資は半分以上必要か」
「山陽道鉄道株式会社との線路埋設競争がございますのでわが社としては、工場の立地を左右する出資でとどめるべきです。幸い、生糸産業は生産すればする分だけ仏蘭西が引き取っていただいてましたから、仏蘭西からの要請に出資できる者がたくさんいるはずです、彼らの出資を募るべきです」
「では、わが社から二割の出資をいたそう。後は建設場所であるが、高崎周辺となるか?」
「高崎周辺のほか、秩父には秩父銘仙が、八王子は桑都という名前さえございます。もちろん縮緬を優先されるのでしたら、京周辺でもよろしいかと」
「では、中山道を避けるか。となれば、八王子で問題ないか」
「問題ないでしょう。八王子は武蔵、甲斐、上野国、信州からも荷が集まるでしょう」
五月二十日
東海道鉄道株式会社各駅告示
仏蘭西仏蘭西経済・財務・産業省より生糸の増産を求められたゆえ、かの国の技術指導を仰ぎ八王子に製糸工場を建設する運びとなった。ゆえに当社は八王子製糸場の建設にあたって八割の出資を仰ぎたく今回の募集となった。敷地面積一万五千坪の工場を建設する予定である。
東海道鉄道株式会社
五月二十四日
日本橋 料亭梶
「八王子製糸場の募集状況はどうだ」
「評判は上々。信州、武蔵、上野、甲斐の国々では、今まで生糸の増産をしていたから、今度は質の評価をあげたいようだ」
「家内工業では、質がそろわないのか」
「生糸一本の長さは、およそ五千尺。均一な温度で蚕をゆがき、設備のそろった金属製の繰糸器械を導入しないとヨーロッパ製には、品質の面で太刀打ちできないとのことらしい」
「ヨーロッパでは、先に蒸気機関による工場内動力が入ったが、我が国では先に蒸気機関車による輸送機関に用いられたので工場の機械化が進んでいないいびつな産業構成となっているようだ」
「一等国を目指すため、生糸でさらに儲けるため、地域振興といろいろな理由があるだろうが、募集枠を上回る応募があるとみてよい」
「では、募集を上回る応募は抽選か」
「第二工場をつくるほどでもあるまい」
「大規模でやって儲かるとも結果が出てからだろうしな」
六月十五日
オテル日本橋 大広間
「ふー。オテルの開店前に立食形式の大演習か」
「しかたあるまい。遠く信州から公募のために集まった投資家の皆さま方だ。粗相にはできまい」
「この中から募集金額に抑えるために抽選かね」
「三倍の応募があったのだから、やむを得ないかね」
「何事もなく収まればよいが」
「只今より、議事進行係を受け持ちます発起人の徳川慶喜であります。此度は、八王子製糸場の公募のために遠くからはるばるやってこられた方々に敬意を示します。しかし、募集金額に対し、三倍の応募がありましたので今回はそのためやむを得ず募集金額になるまで絞り込むために二十日から開店しますオテルの一室を借りましての会合となりました」
「まずは、意見がある方がいらっしゃれば発言を認めます」
「はい」
「そこの貴公、どうぞ」
「前橋生糸組合に所属する近藤と申す。今回は募集金額に対して三倍の応募があったといいます。私としては、その金を有効に利用する方法の提案をいたしたくあります」
「第二工場を建てるのでしょうか?」
「第二工場も魅力的な提案ですが、私としては生糸の産地と生糸工場がやや離れている点が気になります」
「ここに集まられた方々は、信州、上野、武蔵、甲斐といった方々をお招きいたしています。その中心として桑都といわれる八王子はその中心ともいえる場所と私は自負していますが」
「八王子は、輸出する場所を考えれば品川まで列車一本でいけるようになる点を考えますと反対するつもりはございませぬ」
「では、どの点に御不満がおありでしょうか」
「産地と工場が離れている点が気になります。確かに蚕は軽いものです。が、数が集まれば迅速に工場に運びたくあります。その手段を構築していただきたい」
「それは、生糸の生産地と八王子を結べということですか」
「具体的には、前橋と甲府の間を八王子経由で鉄道によって結んでもらいたい」
「できぬとは申しません。ここにいる方々が公募に応じた金額があれば線路を買うお金になります。東海道鉄道株式会社は、機関士の育成と機関車の貸し出しをおこなえば、二割の株式をいただく内規になっております。さらにこの場にいる方々は地元の名主をされている方も多いでしょうから、線路用地の買収と線路工事も潤滑に進行いたしますでしょう」
「では、私の提案をこの場にいる方々に議論していただきたい」
「秩父生糸組合の橘と申します。近藤殿の提案は、素晴らしいと思われますが、一つおききしたい。前橋と八王子を結ぶ経路はどうされるのでしょう。どなたかにお答えいただきたい」
「東海道鉄道株式会社の並木と申します。鉄道を埋設するには幕府の許可が必要です。今回の議題に関しましては、中山道鉄道株式会社に認可が下りています五街道のうち江戸と前橋をつなぐ路線は我々の会社には下りぬとみています。しかし、御提案のあったのは、前橋と八王子をつなぐというものですから前橋と熊谷間は、中山道を。熊谷と八王子間は千人同心街道を経る路線となるかと思われます。言い換えますと、八王子と高崎を結ぶ線であれば、八高線として幕府に申請すれば通ると思われます」
「では、この路線の目的は蚕を回収するのが目的と思ってよいのでしょうか」
「殖産のためでしたら幕府の埋設許可がおりやすいと思います」
「では、私としては、蚕を一定数集める場所であれば路線を延ばしてもらえると解釈してよいでしょうか」
「具体的には?」
「この場所にお集まりの面々を見ますと前橋、秩父、甲府、諏訪を代表してこられているようにお見受けいたします。どうでしょう、先ほどの路線と秩父までの支線、諏訪までの路線延長を新しい会社の方針として認めてもらいたい」
「この提案に意見がある方はいらっしゃいますでしょうか」
「優先順位をつけていただきたい。八王子に工場を建設するのであれば、前橋、秩父、甲府、諏訪に路線を延ばす順位をつけていただきたい」
「どうでしょう。前橋と八王子を結ぶ路線が一番収入を見込めると思われます。この路線の収益をもって、秩父まで支線を延ばし、その後八王子から諏訪までその収益をもって路線を延ばすという提案をいたしたい」
「実用的であるという点は認めます。では、反対の方がいらっしゃいますでしょうか」
「では、あらためてこの会社の名前ですが、当初の通り八王子製糸株式会社といたすものとします。東海道鉄道株式会社からは、資本金で二割。機関車並びに機関士の貸し出しで二割。合計四割の株式を保有いたすものとします。さらに線路埋設予定地をお持ちのかたがたは線路予定地の提供並びに工事への協力を要請いたします。八王子製糸株式会社の株券と線路予定地並びに線路工事代金との引き換えをおこなうものとします」
「異議なし」
「此度の会合にお集まりの方々は、この後オテルの立食を心からお楽しみください。以上をもちまして、肩ぐるしい御挨拶にかえさせていただきます」
「いや、難関でしたがとうとう前橋にも鉄道がやってきますよ」
「そうですなあ、前橋は関東平野と上越を結ぶ落合にある要衝。鉄道がひかれる噂は絶えませんでしたねえ」
「ですなあ。中山道鉄道株式会社もはやばやと中山道に鉄道をひくといってましたから認可はもう先の将軍の就任時にあったのですが」
「それが順番は、京と大坂、大坂と和歌山、京と彦根と順番にまわってくる話ですから、いつになったら前橋にやってくるのかと思ってましたよ」
「それは、諏訪も一緒です。諏訪も中山道組。となると前橋と江戸を結んだ後にようやく我々の信州に鉄道をひくつもりだったのでしょう」
「我々が獲得している外貨に比べれば、もっと早く我々の手で線路をひく手もあってもよかったはずです」
「それは、来年の開国以降のことですな。さらに関門は、機関手の養成です。開国してからさらに機関手の養成に二年を掛けていては時勢に乗り遅れてしまいます」
「しかし、見事な連携でしたがこれは自然発生的な連鎖ですか」
「もう一幕あるようですよ。この幕を画いた人物は第二幕を画策している模様です」
「我々に求められたのは、甲府と八王子をつなぐ路線がほしいと言わしめることだったのです」
「ほー。第二幕ですか。楽しみにしていましょう」
「ええ、甲府まで路線が延びた時に動き出すでしょう」
水道橋駅
「渋沢、今日の会合は出来すぎていないか」
「できすぎですねえ。会場に集まった主だった者たちが一人一人役者にみえました」
「我々は、会場では二割の権利。八割の外部の三倍分の資金であるから二十四割。進行に協力する者が一割。一致団結して生糸の産地を結ぶ鉄道を埋設しようとする力が九割」
「反対票を突き付けられた会社社長という気分だったわい」
「乗っ取りを掛けられたともいえます」
「さて、八王子まで線路が埋設していないうちから前橋まで線路を伸長せねばならなくなった」
「線路と機関車は仏蘭西まで発注ですねえ。沿線から機関手見習いを募集してください。二年後には正機関士にして、八高線に乗ってもらわねばなりません」
「わが社はしばらく東海道線の金のなる木を使って水戸と高崎まで路線延長か」
「会長、薩摩藩のことをお忘れになってはなりません。小倉と博多間を走らせねばわが社の大株主を落胆させてしまいますよ」
「来月までに大坂まで開通させておいてよかった。山陽線、西海道、水戸街道、千人同心街道。四か所か。少し手が回らないな」
「どうでしょう。大坂支店を開いては。適任者がいれば、山陽道と西海道の監督をしてもらえます」
「一人頼りになるやつがいる。一度、勘定役を押し付けたが上々の出来だったからな」
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