仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第29話
慶応三年(1867)六月二十日
オテル日本橋
「これはどう使うのだ?」
「はい、解説させていただきます。男性用の小さいのは、小便器と申しまして小便をいたすときその前に立ってお使いください。大便と女性用のものは、その上で座って用をおたしください。両方とも用を済ませましたら、チェーンを引っ張りください。水が流れまして綺麗になります」
「ゴー、ジャワジャワ」
「おー、すごい。これが仏蘭西式か。西洋はすごいのう」
「ふむ、仏蘭西料理というもの。一品ずつ出てくる。その皿が終わるまで次の皿が出てこない。茶碗とお椀の世界とはもはや別世界よ」
「これは、猪か。お出ししてもよいですかと事前にきかされていたが、なるほど仏蘭西人になった気がする」
「うーん。この細長いのは麺か。箸に絡みつくひき肉と一体となって濃厚な味だ」
「このプルプルと震える料理は何か」
「クレメ=キャラメルと申します。シェフは、卵と砂糖とキャラメルと粉乳を用いて作りました。このスプーンですくってお食べください」
「これは、病みつきになります。お代わり」
「お待ちください」
「うーん、しばらくは半分だけ営業だな。オテル従業員が客にかかりきりで解説をしているから」
「あのう、客が室内着で廊下を歩かれていますが問題ないのでしょうか」
「仏蘭西では不可であろう。しかし、浴衣でこちらに来られた方々もいらっしゃった。浴衣で出歩く風習がある日本でそれは駄目だとは言いづらい。和服の風習があるうちは可としよう」
「オテル日本橋は二階建て。屋上に蒸気機関でお湯と水をくみ上げ客室に供給しているが、それならもう少し大きくしてもいい」
「しかし、この日本橋のど真ん中に千坪の下水処理施設を用意したのだ。下水道ができるまでオテルの拡張はない。もっとも、下水を畑に流しているだけだがな」
「はい、水を畑に流してろ過できないものは業者に回収してもらっています」
「水洗式は金がかかるな」
「とりあえず、浮世絵でオテルの利用方法を客に配りましょう。また世間向けにオテルの利用方法を浮世絵で広めましょう。オテル開業の広報よりもオテル利用方法の普及が先だな」
六月二十五日
江戸城
鉄道埋設願い
八高線並びに甲州街道の鉄道埋設を願い出ます
八王子製糸株式会社
東海道鉄道株式会社
「大老、甲州街道はともかく、八高線の埋設を許可してもよろしいでしょうか」
「中山道とかぶる件ですか」
「出さねばおさまらないところがあってな。大奥から横やりが入った。八王子に劇場を建てます。その利用客に便宜を払いなさいとのお言葉をもらった。認可を出さねばならなくなった」
「では、認可を出します」
六月二十八日
鉄道埋設許可
八王子製糸株式会社並びに東海道鉄道株式会社に八高線並びに甲州街道の鉄道埋設を許可するものとする
幕府
七月一日
日本橋駅
「中之島行き急行桜、発車いたします」
「大坂まで十八時間の旅か」
「特別急行を仕立てて、もう少し停車駅を削れば所要期間の短縮になりますが」
「後、寝台急行を仕立てれば利用者の役に立てるか」
「となると、日本橋到着が朝の八時としますと、中之島発が十六時間前で夕方の四時」
「かろうじて、寝台急行に乗る前にその日の用事を済ませてもらえるな」
「で、オテル日本橋の評判はどうだ」
「開国を来年に控え、食堂で西洋料理の作法を学ぶ講座が人気あります」
「俺らも仏蘭西でしばらくは外食が苦痛だったな。文字は読めない。ちょんまげ姿でいくと必ず席は便所の前。おかげで水洗式の仕組みに随分くわしくなったな」
「宿泊は予約を受け付けていますが、物珍しさも手伝って様々の方々が御利用されています。そうですねえ、かわったところでは、大奥の方々も集団で御利用されています。クレメ=キャラメルのご指名がたいそう多いです」
「あれか、あれはあんまり注文が多いと粉乳を輸入しなければなるまい」
「急きょ、印度まで仕入れにいってますが粉乳の在庫が持ちそうにありません」
「何もかもないないづくしだな。下水道がないからやむなくオテルから百メートル離れたところに汚物を流す畑を確保した。下水施設が整うまでオテルの拡張はないな」
「はい。従業員がいちいち説明をしないですむようになるまでオテルは軌道にのせれません」
七月二日
中之島駅
「中之島、中之島」
「一日でいける限界は日本橋から中之島までか」
「ですから、我々も山陽道と西海道の管轄は大坂支社に任せるべきです。九州で起こった事故の報告を一々水道橋まで連絡して指令を出すわけにはいきません」
「東海道は確保したが、山陽道は毛利藩にかなりの部分をもっていかれそうだ」
「しばらく関東を優先せねばなるまいが、大坂支社の立ち上げを成功させねばならぬし。はて、いい策はないものか」
「そのへんは、大坂支店長の裁量に任せればよいでしょう」
讃州屋
「万丈、久しぶりだな」
「若様も久しぶりです」
「まずは、食事にしましょう」
「この味も懐かしい。大坂にくればこの讃岐うどんだな」
「ここの店長ものれん分けして江戸に支店を出すと張り切ってますよ」
「それはよい。ぜひ、うちの沿線沿いに支店を出してくれ」
「実はな、文で知らせたと思うが東海道鉄道会社の大坂支店を貴殿に任せたいと思って大坂まで来たのだがどうであろう」
「いくつか質問させていただきたいんのですが、この店ではここまでにしましょう。繁盛している店で長居は落ち着きませぬ」
「では、大坂支店を構える予定の中之島駅まで歩きながら話をしようか」
御堂筋
「まず、お聞きしますが、大坂支店の役割は?」
「中之島駅以西の管轄だな。当社の方針としては、山陽道と西海道を埋設する許可が下りている。山陽道は山陽道鉄道株式会社との競争であるから、ある程度埋設せねばならぬであろうが、姫路まで伸長できればよいとも考えている。わざわざ競争相手がいるところにのこのこ出掛けようとは思わぬ。それよりも小倉から博多経由で鹿児島まで線路を延ばしてくれる方が国益にかなう。要は利益の見込める路線から埋設していってくれればよい」
「もうひとつ、質問させていただきます。埋設資金はどうされるつもりで」
「それを決めるために大坂まで来たといってもよい。いくつか案は考えてきた」
「埋設の指示は水道橋駅が行い、大坂支店はその指示に従うというものだが、東海道を往復するだけで二日が必要だ。これでは迅速な決定ができぬ」
「大坂支店の開設にあたり、まとまった資本金を渡そうという話も出た。しかし、毎年、日々はいってくる運賃で鉄道を伸長しているのだ。まとまった金を準備するのは難しい」
「では、借金ですか?」
「西洋の金融が発達しておれば借入金でもかまわぬのだが、どうも日本の金融は高利貸しという先入観が強くてな。気が進まぬ」
「では、私から提案させていただきます。路線の伸長は大坂支店の権限で行います。原資は、大坂と名古屋間の収入をいただきます」
「わが社の収入の三分の一をもってゆくか。妥当な線か」
「では、路線の伸長ですが。尼崎から姫路までの伸長がすみましたら、小倉と博多間の埋設ですな。その後は大坂支店長の権限で伸長路線を決定します。多分、熊本までの伸長を優先させるでしょうが」
「ふむ、株主説明に困らぬ回答で助かる。これで薩摩藩も納得してくれよう」
「では、姫路と大坂間で機関手の募集から始めることにしましょうか。丘の住人になってしまいましたが」
「つまらぬことを聞くがもしこの話が来なかったときはどうするつもりであったか」
「来年の開国を前に船乗りを雇いたいという要望は多くございます。外国航路を担当する船乗りとしてやっていくつもりでしたが」
「船か、いつかは瀬戸内海で鯛飯を食わねばなるまい。それは、忘れておらぬぞ」
「単にうまいものには目がないだけでは。大坂でも話題ですよ。クロワッサンができるまでオテルを開業させなかったと」
「そうはいうが、あれは渋沢も同意したことだぞ」
「ええ、フランス留学の経験がある人ならほぼ間違いなく同意いたすでしょうねえ」
七月十五日
新宿 一橋大学
「それでは、これより最初の科目である国語の試験を開始します。時間は一時間半。試験始め」
「試験官、応募要項にはありませんでしたが、女子の受験生が多いですな」
「文学部と経済学部は、女子の割合が高い。仏蘭西に憧れるのは女子も同じか」
「なんでも、大奥に行儀見習いにいくと成績が優秀なれば今回の試験を受けてみないかと誘われたとの噂です」
「大奥もかわりつつあるな。今、商人にとって大奥とは行儀見習いに最適なところだ。なんせ、うっかり行儀見習いの最中にお手がつくこともない。後十年は箔つけのために大奥へ行儀見習いを出すであろう」
「一橋大学に籍を置いたまま、欧州へ留学する者も出るとの噂です」
「一足先に欧州に一橋大学で教べんをとる者がいっている。彼らが一緒に学ぶ機会もあるやもしれぬ」
八月一日
一橋大学の一期生八百人、予備専科生二百名の合格発表
うち、女子の合格者が三十二名を占める
「では、一橋大学への入学手続きは任せる。我は、留学生として独逸語の習得に励むため、ミュンヘンに向かう。大奥の菊様に、海外渡航手続きを済ませてもらい次第、出国いたします」
「蘭様、大奥から甲賀忍者の跡取りを護衛につけてもらえるとのことですがなれない国外のことゆえ、十分お気お付けください」
「じいも心配しょうよのう。なるようにしかならぬわ、それに目的は八王子劇場で使う物語の仕入れぞ。危なくはないぞな」
「じいも後二十年若ければ御一緒いたしますのに」
「合格したものは仕方がない。何といってもダルタニャン物語以上に売れる作品を発掘せねば」
九月一日
水道橋駅
「会長、このような浮世絵を入手いたしました」
「なになに」
大坂の道頓堀に到着された若様一行は、讃岐うどんを食べている最中に土地のやくざ者に絡まれている旅芸人一行を助ける羽目になる。やくざ一味は、旅芸人の荷物に紛れ込んだ密輸に必要な割符を取り戻すために地元の代官と結託し、興業中の一座に忍び込む。が、楽屋の裏にいた若様一行に遭遇。大立ち回りをしている最中に騒ぎに気付いた旅芸人と若様一行に挟まれやむなくお縄についた。代官所の白洲にて、やくざ一味は旅芸人に金を盗まれたといい始め、盗まれた金が旅芸人の楽屋にあるとの情報を得て、それを取り戻すために楽屋に押し掛けたところ、わなにつかまりお縄になったとの主張を始めた。もちろんそれは出たらめであるが、なんと代官がそれを採用し、旅芸人一行は資材一式を没収する沙汰が出る直前、大坂町奉行が登場し、白洲にいる若様一行を発見するやいなや、代官を叱責。沙汰を取り消し、旅芸人の主張に沿ったものとし、やくざ一味を抜け荷の罪で島流しとした。やくざ一味の吟味の結果、旅芸人の小道具の中から割符が出てきて抜け荷を取り扱う連中一味もお縄についた
「中山道鉄道会社中之島駅で乗り換え客に食ってかかる駅員に対しいさめたところ、逆に難癖をつけてきたので、駅長を呼ばせ、身分証として葵の印篭を見せたがどうやらそれを見ていた浮世絵関係者がそれを劇にしたようだな」
「おいそれと葵の印篭を出せませぬな」
「これも有名税かのう」
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