仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第30話

 慶応三年(1867)十月一日

 新宿 一橋大学 予備専科入学式

 「諸君は、一橋大学に入学を目指しながら、やむをえず予備専科に入学した者もいるだろう。しかし、いきなり大学という高等教育機関をつくったものの寺子屋の初等教育機関から大学に学ぶには多大な苦労を要するので、中等教育機関である予備専科を設けた。ここから大学を目指すものが多いだろうがそれだけではない。予備専科という中等教育終了をもって実社会に出ていくものも出るはずである。首をひねる者も多いだろうが、それはなぜかと言われれば、社会が外国語のできる人材を危急で求めているためである。この予備専科は外国語の授業をふんだんに取り入れた実践教育の場である。ここで学んだものがこれからの初等教育のために師範となって子供たちに教えるものも出てくるであろう。来年の大学受験も目指すのもいいが予備専科を卒業してそのまま実社会に出ていくのも悪くないはずである。なぜなら、いままで初等教育の上に位置するものは各地に散らばる塾と学問所といわれる官吏を要請する場所でしかありえなかった。つまり外国語を学ぶ場所はなかったのである。予備専科でしかできないものをぜひとも手にしてもらいたい」

 「パチパチパチ」

 「うーーん。俺、大学に受かっても一度仏蘭西まで留学してくる。浮世絵人気にあやかってパリで留学生活をおくってやる」

 「留学費用に充てがあるのか」

 「うちは旧家や。埃をかぶっていた蔵から肉筆画が二枚出てきた。これをもっていこうとおもうておる」

 「おお、そりゃ十人連れて行けや」

 「ワイもついていきたいくらいだ」

 

 

 慶応三年十月十五日

 京都御所

 「孝明天皇が強く実業界に働きを掛けて、その身に乗ることを望みながら身罷られた馬車鉄道で行幸の出発か」

 「明治天皇は、元服を経ずに天皇となったが即位まで一年を開けるとまずいので特別な事情がない限り、この秋をもって即位か」

 「それも新時代を予感させるような交通機関で行幸やて」

 「烏丸通を馬車鉄道で下ってゆかれるのはその手始めや」

 「東海道線と京阪堺が一つの線路みたいなもんや。中之島駅で乗り換えたら南は堺。京の出入り口は四条。東は日本橋まで一日でいけはるんや」

 「むろん、行くところは歴代の天皇はんにゆかりのあるところばかりや」

 「わいは、線路でいけるところに行くというのが見え隠れすんだが」

 「確かに奈良には今回いかへんな。天智天皇稜は皇室の出発点ともいえるとこや。はいっていてもおかしくあらへんが、今回はいかへんな」

 「そのへんを聞いたんだが、奈良に行くのは鉄道が奈良を走ってからという話や。新時代を予感させる開国を前に輿に担がれてゆくのは時代遅れと今回はいかへんと天皇が押し切ったという話や」

 「そりゃまあ、鉄道会社にしてみればほながんばって奈良まで線路をのばしますはるんでしばらくお待ちくださいと言えばすむけど」

 「奈良の町民は鉄道がないばかりに行幸から外れてしもうた事になりはるな」

 「しかたありまへんやろ。今ん所、畿内で路線延長があるのは将軍様のおひざ元の和歌山と山陽道。こればっかりは運がなかったと言わざるを得まへんな」

 

 

 四条河原町駅

 「時代も変わりましたな。馬車鉄道でおこしになられた天皇はんは特別に作られた馬車鉄道の引き込み線でお召列車の隣接地までいきはる。そこですぐ隣にある列車に乗り換える。行き先は堺にある仁徳天皇稜だ。こんなん誰も予想できへんな」

 「そこに墓があると言うべきか。そこまで鉄道が走っていると言うべきか」

 「確かに堺まで三時間もあればいけますが、奈良にある神武天皇稜までであれば、輿では丸一日がかり」

 「しかも今回の行幸はそれだけではあらへん。次の伊勢神宮に行くとなると奈良からでしたら八条駅まで戻らなあきまへん。どうしてもその日のうちに伊勢神宮にいけまへんな」

 

 

 堺駅

 「ここからやっと輿の出番ですな」

 「といいはるが、仁徳天皇稜まで一キロ。これならお昼までにはこの堺駅に戻ってきはりますな」

 「ええ、何といっても今日は中山道中之島駅に御到着しはるまで気の抜けまへんが」

 「皇室もわしらに気を使ってくれて、路線全部に乗ってくれはる」

 「しかも、競合会社よりも先に乗ってくれはった」

 「わしらがもう少し頑張っておったら、和歌山まで乗ってもらえたかのう」

 「それは、ちと無理やろ。和歌山までいく理由があらへん」

 「そんなことあらへん。熊野のある和歌山で。平安時代と言えばそりゃ、熊野詣が盛んであったやないか」

 「熊野は古道や。修験者が通るような道を蒸気機関車でいけというんか」

 「‥‥‥」

 

 

 中山道中之島駅

 「無事、大役がすんだな」

 「へえ、今日は全てがお召列車のためにあったようなもんです」

 「しかし、予定時間通りでわてらも助かりました」

 「人力で移動したのは二キロや。そのくらい仁徳天皇稜で時間調整が効く」

 「それにしても今回の行幸。まるで鉄道のお披露目会ですやん」

 「天皇がみずから来る新時代を体現しているのだ。皆の者、時代に適応せよというおたっしであろう」

 「しかし、行程のうち大半を東海道鉄道株式会社に持っていかれるのは面白うありまへん」

 「そうはいうが、京より東に行くには後二年待ってくれはれ。そうすれば、彦根まで乗車できはりますよって。とでもいうか」

 「中之島駅と京の区間で料金でもわしらはがんばって向こうより安い料金でやってますんじゃ」

 「向こうは、京と大坂間の客を狙ってないからな。御客はん、名古屋まで行かれるならうちに乗っていきなはれ。東山でっか、あんさんの好きな列車に乗っていきはればええでっせ、四条で降りようが八条で降りようがかわりしまへん、と御客にいってはるらしいな」

 「手荷物にしても規模の利益がありはりますからな。堺で手荷物をもったお客に問いはると、中之島駅で飛脚便に頼もうと思うてはりますといわれるんや」

 「そりゃ仕方ありまへん。その客は大半が江戸行きの荷物や。わてらがどう頑張っても太刀打ちできへん」

 「わてらの会社は、畿内だけの会社や。しゃーないやろ」

 

 

 中之島駅

 「亀山行き特別列車、発車いたします」

 「大役、御苦労はんやった」

 「ええ、乗り換えの間、誰か開国反対の者がでてこないか気が気でなかったですな」

 「そりゃ、難しいやろ。尊王攘夷を唱えるものが天皇を害するのは、自分たちが旗にしている神輿をつぶすようなもんや」

 「そうは言いはりますが、開国に理解を示す天皇が死んだら勅命をえて外国船を焼き払えといういう話にならへんともいえませんやろ」

 「しかし、伊勢神宮に行くのだ。尊王攘夷を唱えるものが伊勢神宮に向かう天皇を害するというのは日本中を敵に回すぞ」

 「ですが、仕事がなくなった籠かきでしたらありえますやろ」

 「そして、時代を徒歩の旅に戻せか。どこにもおるが時代に適応できないものか」

 「後は、鉄道の駅がない宿場町の連中。旅籠の廃業は避けられない話です」

 「オテルができる時代だ。オテルに停泊して新しい時代を受け入れるしかないやろ。今の時代、新しい仕事はかなりある。今度できる八王子製糸工場で四勤三交代制の勤務体制を敷くのだ。これ早い者勝ちだという話だ」

 「誰がその工場に勤務しはりますんやろか」

 「出資した甲信の名士が地元で声を掛けている。この街に鉄道を走らせるには、製糸工場を成功させるしかない。お前たち、この工場を成功させてくれ。そうしたら故郷に鉄道が来る。そして、駅周辺が発展するよって。そう声を掛けているそうだ」

 「故郷のためといわれれば仕方ありまへんな。工員がそろわなければ、自分の娘でも差し出しますやろ」

 「故郷に錦を飾らせるために頑張る者も出てくるやろが」

 

 

 亀山駅

 「今代、今夜はこの亀山で宿泊することになりました」

 「うむ、御苦労であった。明日も伊勢神宮まで苦労を掛ける」

 「はっ」

 「天皇が伊勢神宮まで行幸すると言われました時は何卒おとどまりくださいと考えるばかりであったか、世の中二日で伊勢神宮までいけるようになりましたと世間に知らしめる旅となりましたな」

 「ある意味、幕府の連中と脚をそろえているととられる部分はあります。幕府は、開国の準備をしていますし、朝廷は鉄道啓蒙の旅ですし」

 「時代はかわったと誰かが示さねばなりません。開国すれば外国人が入国するのも断れません。その気構えをしろと国民の背中を押さねばならないでしょう」

 「しかし、三日目と四日目は不二山か」

 「これは、天皇の強い要望で通りましたが」

 「京におれば、普段見上げる山は比叡山だ。これに満足してもらえなければ、不二山を見てもらう以外にあるまい」

 「不死の山であるから登っても問題あるまいと言われたら説得が難しいですなあ」

 「登るとなると輿は使えないからといってもきいてもらえなかった。朕も歩くので問題なかろうと言われた時は止めるのは無駄だと悟った」

 「御所しか歩かない脚で不二さんは無謀であろうと言われたが、その後、半年間ひたすら御所を歩き回られたんだ。我々が根をあげても富士山頂まで行かれるかもしれぬ」

 「下りのために輿はもってゆきますが」

 「お付きの連中は江戸との折衝に当たる連中ばかりを選んだ。少数精鋭で挑むしかあるまい」

 「これは竹取物語の影響ですかね。不二の山頂から月を望む。そんな旅がはやっているとのことです」

 「なんとか、此度は冬山です。五合目まででご勘弁をといって妥協してもらった。五合目まで登られたら、次回は夏山で富士山頂までいくといいはられませんでしょうか」

 「此度は、就任時の行幸であるから、次回はないかもしれぬ。天皇になってしまわれれば、御所を出るわけにはいくまい。もはやかごの中の鳥ぞ」

 

 

 十月十六日

 伊勢神宮

 「天皇の御一行を迎えるのは千年ぶりか。何とも世紀の一瞬だな」

 「我々に力があれば、亀山からここまで鉄道をひきますものを」

 「ものには順序があると言われれば引き下がざるをえんだろう。我々と肩を並べる奈良にも鉄道はない。将軍の御出身である和歌山にもない」

 「我々は、天武天皇の御助けをして勝利へと貢献した。その脅しにも東海道鉄道株式会社は屈せぬな」

 「株主に対する説明がつかないと言われてけむに巻かれてばかりです」

 「取締役会という場で議論が通らねば企画が通らぬと言われてばかりです」

 「此度、天皇の行幸を受けたのです。これで東海道鉄道株式会社に強く出れないか」

 「無理でしょう。山陽道より水戸街道より伊勢街道は重要でしょうか?」

 「そう言われれば引き下がざるを得んか。なんとか、敵を攻略できぬか」

 「皇室から働きかけてもらうのはどうでしょうか」

 「京に馬車鉄道の話をもっていったのは、東海道鉄道株式会社という話です。皇室も東海道鉄道株式会社に強く出れないでしょうし。皇室にしてみれば山陽道まで鉄道が伸長して、須磨まで行幸できる方がいいでしょうから、無理でしょう」

 「なかなか、頼りになる味方がいないな」

 「東海道鉄道株式会社には、山陽道並びに東日本の大名が列をなしているとの噂があります。伊達藩、池田藩もなかなか良い返事をもらえないということです」

 「宗教ごとで動かざる東海道鉄道株式会社か。敵は手ごわいなあ」

 「日本で一番売上税を納めている会社ですから」

 「お賽銭は、税金の対象でなくてよかったよ」

 

 

 十月十八日

 不二五合目

 「登ってみた価値はありましたな」

 「ここも信仰の対象よ」

 「朕の我がままで迷惑を掛けた。しかし、此度しか我がままを言えなかったのも理解してたもう」

 「いえいえ、我々の世界が小さすぎました。此度の行幸は、広く国民に我々の示す方向を見せることができました」

 「この国は、開国したら大きく変化するであろう。その流れに押し流されぬ朝廷でありたもう」

 

 

   第一部完

 

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