仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第285話
1930年(昭和4年)十一月一日
英吉利海軍司令部
「将軍、今こそ、仏蘭西に宣戦布告すべきです。やつらは、平和をぬくぬくと享受しています。七つの海を支配する英吉利と陸軍大国独逸が一つになって仏蘭西に攻め込めば、負けることなど一つもありません」
「一つ一つ、論破していってやる。戦争を仕掛ける大義はどうするのかね」
「それには、ユダヤ人を使います。ユダヤの聖地エルサレムを仏蘭西から取り戻したあかつきに、ユダヤ人がかつて支配した土地を譲渡するといえば、ユダヤ人はのってくるでしょう」
「なるほどよく出来た大義だな。仏蘭西がユダヤ人を排除しているとして非難すれば、仏蘭西はのってくるかもしれん」
「はい、仏蘭西の不都合な事実をつきつければ戦争になること間違いありません」
「では、外交で有利を導かねばならぬから、対米工作はどうするのかね」
「無論、最低限中立を維持させていただきます。つきましては、英独寄りに世論を導くために、大義名分を大いに利用いたします。これは、ユダヤの失われた土地を取り戻すための戦いである。ユダヤ人の望郷を実現するための戦いである。ユダヤ人の義勇兵を募集する広告を出します。資金は、ユダヤ人達が出してくれるでしょうから、英吉利の懐は痛みません。さらに、ユダヤ人が支配する金融街を中心とするロビー活動により、できれば戦略物資の対仏禁輸を働きかけます。成功如何は問いません。対仏で亜米利加世論が大英帝国に傾いていることが重要なのです」
「では、さらに問う。戦略物資である石油の確保はどうするかね。知っての通り、あの忌まわしきジャップでさえ、領土内から原油が出たという。なのに、七つの海を支配する英吉利領からは石油が一滴も採れない。独逸もしかり。そのような状況で、海を支配し、陸を踏破するには、ガソリンと軽油、船の動力である重油が必要だ。その重要性は戦略物資といってもよい。当然、一年を上回る二年分の備蓄もある。だが、戦争は石油をがぶ飲みするであろうから平時二年分の備蓄なぞ戦時一年分にしかならん。さあ、どうするかね」
「問題ありません。亜米利加と太いパイプを維持していれば、亜米利加からの輸入とメキシコにある英国資本の油井からの産出物をヨーロッパにもってくるだけで十分です。それで、その輸送を狙って仏蘭西海軍が大西洋に出てくればもっての幸い。大英帝国海軍が一戦で海の藻屑と消してみせましょう」
「なるほど、諸君のいいたいことは十分わかった。だが、少しばかり、ご都合主義が混じっていないかね。まあそれは後にしよう。で、スエズ運河とパナマ運河はどうするかね。これを制している仏蘭西は、スエズ運河を通ってアラブの海とアフリカ東岸、印度洋に進出できる。これは、仏蘭西に与えられた大きなアドバンテージだよ。仏蘭西海軍が総力をもって印度を攻めてきたならば、我が英吉利が英吉利たる上でその歳入の半分を占めている印度の海岸地帯を制してしまえば、英吉利は戦争を継続する力が半減するのだが」
「はい、まず、パナマ運河に対しては何もいたしません」
「ほう、よく熟考できているね。知っての通り、亜米利加は外交によりキューバとプエルトルコを西班牙より獲得した。そして、パナマ運河の株を五十年に渡って分割購入中だ」
「はい最終の支払いは、43年になります。つまり、すでに過半数を亜米利加は仏蘭西に対して支払っています。もしこれを仏蘭西領だといって英吉利が占領いたしますと、亜米利加は権益が侵されたといって、対英戦争に参戦する可能性が相当高くなります。そうなれば、石油の安定確保が成り立ちませんから、英吉利としましては、パナマ運河の接収が終われば、亜米利加に管理を委託するのが正しいかと」
「なるほど、それがパナマ運河に対する満点の回答であろう。で、肝心のスエズ運河の活用策にはどうするかね」
「時間が稼げればよいのです。紅海に機雷を敷きます。その除去が終わるまでに英吉利海軍を再配置すれば、印度を守ることは出来ます」
「なるほど、外交政策は及第点だろう。では、こちらから指摘していこうではないか。対米工作は、仏蘭西と英吉利のどちらが有利かね」
「亜米利加を押さえている勢力は、アングロサクソン系です。それにユダヤ勢力を押さえている点で、英吉利が有利かと」
「前提条件が違うね。パナマ運河に触れなかった点は評価してもよい。しかし、パナマ運河の譲渡が完了するまで、亜米利加は仏蘭西に戦争を仕掛けないのは常識だよな」
「はい、亜米利加の外交官との交渉で、仏蘭西は亜米利加が契約事項を破った場合、パナマ運河の譲渡は無効であると明記されています」
「となれば、亜米利加による対仏開戦はないものと考えてもよいのではないか」
「ないでしょう」
「では次に、亜米利加が合弁事業をおこなっている国はどこが多い」
「露西亜でしょうか。バクー油田に対する利権に亜米利加は食い込んでいます」
「イラクのキルクークで油田が発見されたのが、27年だ。イランは、それよりも油田発見の時期は古い。おかげで、バクーも中近東に含めるとすれば、その周辺でも油田があるのではないかと世界中から一攫千金のオイルマネーを狙って山師が入り浸っている。実際に、油田が出るのだから、亜米利加の石油企業も出資をしている。というわけで、亜米利加は仏蘭西との合弁企業数という件で世界一だな。つまり、亜米利加は経済で仏蘭西との結びつきが強い。君たちはユダヤ票で亜米利加を英吉利の味方につける戦略だが、経済的に結びついている点は大いに利点だ。わざわざ仏蘭西は亜米利加議会に働き掛ける必要はない。亜米利加の石油メジャーが亜米利加の利権を守るためだといって、対英戦争を仕掛けるべきだとロビー活動を仕掛けるだろう」
「あ、あああ」
「それに、ユダヤ票は移ろいやすいぞ。仏蘭西は、ユダヤの聖地を戦争に勝ったあかつきに譲渡する用意があるといえば、ユダヤ人の持つ金と戦力は、中立に傾く。我が英吉利は戦争の大義名分を失い、亜米利加は戦争反対の大義名分の下、石油禁輸を決めてしまう。それに諸君は忘れていないか。亜米利加と英吉利は、メキシコで石油採掘をめぐって激しく争っている。経済戦争をしているわけだ。合弁企業を設立している仏蘭西より仲が悪いと言わざるをえん。というわけで、君たちの石油戦略は破たんしかかっている」
「では、開戦は無理ですか」
「うーん。待てよ、これは使えるかもしれん。諸君のおかげでいい手が浮かんだ。外交は本来こうあるべきだというものを、時期が来たら披露しよう。諸君、楽しみに待っていたまえ」
「「「はい」」」
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