仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第297話
1933年(昭和7年)十一月十四日
甲府飛行場飛行研究室
「磨り磨り、すりすり」
「どうですか、試作飛行機木星の製作状況は」
「あのう、室長、どうして試作機が五台とも精巧に寸分の狂いもなく製造されているんですか」
「いや、それって本来ならいいことだろ」
「しかし、それは設計図を引いて型通りに金属板をくりぬいた場合のことですよ。木材の場合、水分量と木目それに材質による差異がどうしても出ますよ。なぜ、金属板製作以上の精度ができるのか聞いているんです」
「水分量の場合、十分乾燥させればそれ以上縮むことなく仕上がりにかかれます」
「ふむ、品質管理は十二分によし」
「材質による差異ですか、確かに自然素材ですから。アルミニウム板のように溶解したアルミナを電気分解して、薄い一枚の金属板を圧延する様にはいきませんが」
「いや、その金属板製作を上回るような精度で五体が同一個体にみえるのですよ」
「それは、浮世絵製作の技能を使っているせいですよ」
「あの全世界に売りまくっていた版画制作能力の応用ですか」
「そう、原版を元に印刷用実版二十枚を精度十マイクロメートル以下で再現するのはひとえにそれを模写する版画彫りの技能によるものですから」
「だが、それを三次元で再現できる物ではあるまい」
「それは、三次元で彫っている技師がいます。根付け師ですよ」
「つまり、この木星の精度を達成するには、浮世絵師が目であり根付け師が手であると」
「そういうことですかね」
「でしたら、それを自動車に応用できないんでしょうか」
「金属板に応用できるのは、金箔師のように技能が異なりますよ」
「そうか、金属を彫るようにはならないか」
「もしかして、貴殿は自動車に応用しようと思案なさっておられますか」
「当然でしょ。この技能が応用できればミリ精度で止まっている自動車産業が一挙に三歩前進できるぐらいの衝撃を与えれますよ」
「残念ながら、そちらの方に知り合いの職人はいません。けれど、今の印刷仕様の浮世絵師を捕まえればどうでしょう」
「完全にそれは違います。今の印刷は、金属板になった原版の写しをどれだけ忠実に再現できるかにあるわけですから、試作品を立ち上げる作業とは相容れないようになっています」
「ぶっちゃけ、機械化で失われた技能を現在の浮世絵製作現場に求めても無駄な話ですか」
「一言でいえばそうなります」
「だとしたら、昔ながらの職人を木製飛行機作りに専念させても問題ないですね」
「あえて言えば、戦車でも自動車でも最初の原寸大木製模型を製作する時は役に立ちますよ」
「ああ、その原寸大模型を元に金型を取るっていう方法がありますか」
「ですが、どちらも大量生産には使えません。あくまでも木製飛行機だから昔の浮世絵師を使って外枠、内枠等を製作できるのです」
「つまり、木製でなければ飛行機の大量生産もできなかったとそういうことですか」
「問題は他にもあります。大型飛行機はどうしても骨格等の問題から金属製でいくしかありません」
「そこは、企業に丸投げすればいいでしょう。大型機っていうのは、いってみれば民生機の製作も進んでいるのですから」
「そうですね。そこは、仏蘭西製の機体を導入するようになるでしょう。欧州大陸の方が民間旅客機ははるかに進んでいますから、こだわりがなければ同国から購入しても問題ありません」
「けれど、これだけの精度を他に応用できないのはどうしても日本の損失です」
「いえ、家具職人には十分役立っています。家具職人は日本の損失なのですか」
「家具は、精度が多少甘くても見逃してくれます。しかし、空を飛ぶ飛行機の精度はそれを二ケタ上回るものですよ」
「けれど、困った時は、鉋かやすりでどうにかなってしまうのは同じでしょう」
「どうしても根っこは同じだといいたいのですね」
「職人魂は共通ですよ」
「ま、木製飛行機の量産をどうやっていこうと悩んでいる時に答えをもらえたのは素直にうれしいよ」
「三百年続く伝統ですよ」
「伝統芸で戦争道具をつくる。これって幸運、それとも不運?」
「職人をそのまま使えるのは幸運でしょう」
「しかも本来の精度を要求する仕事ですよ。職人魂が燃える」
「他国にこんな職人はいませんよ」
「では、俺の仕事は伝統職人の保護か」
「うーん、確かに職人魂を揺さぶった仕事がなくなってぽっかり老けこんだ職人が多すぎるのは事実ですが」
「だとしたら、俺の仕事は職を失った中年浮世絵師を抱え込むことか」
「いやだな、震災は今世紀の二十三年でもう十年前の話ですから、お爺ちゃんばっかりですよ」
「よかろう、腹をくくる。お爺ちゃんの再就職で飛行機を量産したったる」
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