仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第298話

1934年(昭和8年)三日一日

 甲府飛行機工場

 「よう、ひさしぶりだな、耕作。十年ぶりだったか」

 「おうよ、大地震以来だな。よくぞ、生きてたもんだ」

 「隣の版元だった田吾作も俺も地震に巻き込まれ、がれきだらけになった日本橋に戻った」

 「だがな、浮世絵職人として新しい印刷場に連れていかれたのは、主に若いやつばかり」

 「おかげで住まいと職場を同時に失ったやつらが多数出た」

 「それまで、朝から晩まで浮世絵製作に駆け回っていた連中だからな、喪失感は半端なかった」

 「不幸中の幸いといっていいのか、震災特需で死傷者多数が出たもんだから、仕事はより取り見取りだった」

 「俺は、がれきを運ぶ仕事を三カ月してから、外国向けに家具の彫りをしてたわ」

 「けどな、時間に追われる浮世絵の仕事と違い、家具仕事は納期が三カ月先とかどうも時間をもてあまし納期直前にならんと仕事をする気が沸かん」

 「それは俺もそうだった。日が暮れたら今日は帰ってもいいぞ、そんな仕事をしているとぽっかりと空いた喪失感が焼け広がった市街地みたいに広がるんや」

 「俺は、仕事をする気が沸かんかった。そのまま、隠居の道だった」

 「それは、お前の同僚が死んだせいだろ。そいつの故郷までその同僚の遺品を運んでやってさ。そりゃ、喪失感はその同僚の分と二人分抱えたせいだ」

 「仕事をしていればそんな気を紛らわせると思って、無理やり働いてた人間は多い」

 「だが、ここに残った人間は隠居をしてもいいほどどっぷりと浮世絵仕事に使っていた連中ばっかりさ。機械印刷機なんぞから浮世絵ができました。といって納得できないような連中ばっかりだったからな」

 「おうよ、今の機械印刷の方がインク漏れ多いんとちゃう」

 「それは俺も同意。インク漏れ一つとっても昔の方が精度いい」

 「いや、色が明らかに減っただろ。三色印刷しかできないからって、配合が下手すぎるわ」

 「今の印刷のずれ、許容範囲が二ミリ以上のやつが多すぎ、昔はそんな奴、速攻はねられてたわ」

 「それは当たり前や。百枚しか刷らんやつの時代やろ。そんなのは版元が直接検分するから、わしらも手が抜けんかった」

 「ついに、五十年前の話を始めおったわ」

 「そうか、五十年前でも一万枚単位やったぞ。もう後三十年さかのぼれや」

 「ああ、黒船がやってきて、明治の時代になり、大正時代もひたすら手仕事だったものが震災でコロッと印刷機に仕事が奪われた。なんで、あのまま手仕事を続けんかな」

 「それは仕方ないだろ。機械の性能があがってきているのは事実だったし、震災のおかげで日本橋の試算設備は壊滅だった」

 「だが、日本橋での再開でもかまわなっかっただろ」

 「日本橋というのが駄目だったかもな」

 「なぜだ、江戸のど真ん中、これ以上条件のいい場所は他にない」

 「条件が良すぎたせいだろ。今日本橋はどうなっている?」

 「跡地は、だいたい五階建てだな」

 「もう、俺たちが作業していた工房の風情はない」

 「つまり、幕府は俺たちを追い出したがっていたと」

 「それは違う。幕府は人畜無害の俺たちを追い出したくはない」

 「そりゃそうか、俺たちの後に敵対国の工作本部とか、浪人たちの集合場所なんかができたらいい損害だからな」

 「だが、日本橋、いいかえると江戸のど真ん中に工房がある必要もない」

 「そういや、地主は良く工房を売ってくれという話をもちこまれていたか」

 「何度も何度もやってこられれば、工房の立地条件が良すぎてこりゃ、どっかに移転すべきという話に耳を傾けようかという気にもなる」

 「立ち退き料も多額だろうし」

 「けど、俺たちは国に多大な貢献をしていただろ」

 「してた。どの仕事よりも外貨を稼いでいた」

 「そして、それは交通立地のいい場所が必要だった」

 「いい稼ぎをしていたから、平屋建ての工房でもそんな誘惑を振り切れた」

 「だったらなぜ、俺たちは仕事を追い出されたんだ」

 「追い出されたというか、この緊急時代を回避してくれる場所を提供してくれたというべきだろ」

 「たしかに、俺たちに一番効く言葉は締め切りだ」

 「締め切りを守るために、八王子にきませんか、これ、殺し文句」

 「地震も津波も八王子は関係ありませんよっていう営業文句だな」

 「で、生産性があがって移転大成功」

 「俺たちは捨てられたと」

 「新期の仕事に柔軟性が必要で職人気質の古株は必要なかったんだろ」

 「ここに集まった連中は頑固だからな」

 「おう、ちょっとのはみ出しが許せん連中ばかりだ」

 「で、そんな俺らを拾った仕事場はどんな具合だ」

 「俺たちの目が必要ということ」

 「十μ単位で修正を必要としない手仕事ということらしい」

 「ま、どうでもいいべ、久しぶりに浮世絵職人の同窓会だ」

 

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