仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第33話
1869年(明治三年)四月二十五日
ニューヨーク港
「セントラルパークを見ながら亜米利加大陸の見納めか」
「長崎海軍伝習所もやるのう、スエズ運河経由で観光丸をニューヨーク港によこした」
「亜米利加大陸を船でニューヨーク港までサンフランシスコ港から回遊させますと一月かかるとのことです」
「日本が島国ということがしみじみとわかるが、露西亜もこのような国なのであろうか」
「どちらも黒船で日本に開国を求めてきたのですから同程度の国かと」
「亜米利加が鉄道をひいて大陸を横断できるようになったように日本も鉄道を張り巡らせねば欧米に追い付けれぬな」
「日本は都市が平面仕立てだがニューヨークはコンクリによる見上げる都市であった。いつか江戸もそのようになるであろうか」
「木造建築では無理ですな。それと肌の色ひとつとっても黒、白、黄色。日本人はいませんでしたが、中国人に印度人、ターバン巻きに洋服姿と日本では見慣れぬ様々な人種がおりましたな」
「日本にいては井の中の蛙であった。英吉利、仏蘭西、阿蘭陀でもこのような感想をもつのであろうか」
五月六日
ロンドン港
「ここからバッキンガム宮殿まで鉄道による送迎か。はて、我が国はどうであろう」
「神奈川港から江戸城もしくは京都御所まで東海道線と馬車鉄道で結ばれましたからその心配は御無用かと」
「それにしては、すごい霧だな」
「なんでも、街中の住居でも石炭が燃料として使われその煤塵も霧の中に含まれるそうです」
「しかし、この石炭で清を半植民地にしたのか。我が国にない石造りの建築物が多いな」
「ロンドンは、日本のように高温多湿にならないので通気のない室内構造でも快適とのことです」
バッキンガム宮殿
「ここに日英通商条約の締結文章並びに縮緬をお渡しします」
「ご丁寧に。では、こちらからは背広をお贈りさせていただきます」
「でじゃ、この後ダンスパーティをお楽しみください」
「ここにいる方々は、どのような面子で」
「皇室の方や貴族もいますが選挙で選ばれた議員の方々もいらっしゃいますね」
「で、その選挙とは?」
「1867年から都市部の労働者に自分田氏の為政者を選ぶ権利を与えました。そのうち地方のすむ者たちにも権利が与えられるでしょう」
「亜米利加の為政者である大統領を選ぶようなものであろうか」
「失礼、大国ではこのように為政者を選挙で選ぶのが普通なのでしょうか」
「半々でしょう。ただし、為政者が無制限に自己の権利を主張できる国は露西亜ぐらいでしょう。他の国々は、いい方は悪いですが平民の人気取りをしなくては自分たちの立場を危うくします。産業が発達しますと、平民の識字率並びに購買力が増します。そうすると彼らの立場を強固にする主張を出します。彼らの購買力が産業発展の一助ですから、平民の権利がいつの間にか強くなるといえます」
「日本の産業が発達するのはいいことなのか悪いことなのか」
「ひとつ言えることは、産業が発達しなければ戦争に普通勝てません。清が英仏連合軍に敗れたのがその一例です」
「‥‥‥」
五月十日
アムステルダム港
「低地に広がるチューリップと風車が武蔵野台地を思わせるな」
「少し都市部ばかりを案内されてきましたから郷愁をにおわせるな」
「日蘭貿易は三百年の歴史がある。亜米利加と英吉利に留学生を預けてきたから総勢八十人となったが、蘭語が話せる者が最多であろう」
「しかし、このアムステルダムでもまたダンスパーティなのでしょうか」
「どうやら、それが強国の一貫した姿勢なのであろう」
「白人は、馬車でパーティ会場に乗りつけ、そこで数曲男女でダンスを踊る。それが社交というものなのでしょう」
「どうする?日本に帰ったら、ダンス会場を作るか?」
「留学生向けに必要でしょう。仏蘭西料理を食べる作法とともにダンスを学ばせましょう」
「オテル日本橋には広い間がありました。あの部屋はそのままダンス会場になるのではないでそうか」
「そうか、ダンスを教える人材は必要だな。仏蘭西留学をする面子のなかに留学中きっちりとダンスを修めてこさせよう」
五月十一日
王宮
「ここに日蘭通商条約の締結文章並びに朝顔の苗をお渡しします。この朝顔は十時間の暗期を与えた後、花が開花します。ただし、阿蘭陀で日本と同じように栽培できるかといわれれば資料がないために不明です」
「これは、我が国のチューリップと同じように品種改良の成果がみられますなあ。赤、青、紫と実に多様だ。では、我が国からは貴国向けにチーズを贈らせていただこう」
「それと、貴国の協力がほしいのだが。貴殿が腰につけている根付を我が国で美術館に展示させるつもりだ」
「この印篭ですか。わかりました、帰国次第、駐日大使館まで彫師を伺わせましょう」
「ぜひ、そうさせていただきたい」
五月十五日
パリ 北駅
「阿蘭陀からパリまで列車で数時間か」
「日本なら隣の朝鮮まで三日がかり。とても想像がつかない」
「さて、浮世絵で一番知識を与えられたパリはいかなるものか」
「仏蘭西があるから強国も片務的最恵国待遇をひっこめてくれた。感謝するほかあるまい」
「日本中でその代り、運河堀を動員させたがね」
「運河堀にいった連中が実質開国を一番に感じた者たちであろう」
「ええ、帰ってきた連中は尊王攘夷など叫ばなくなりましたよ。愛国心あふれる連中になってました」
「今度もそのような機会があれば、物騒な連中を海外の土木工事に押し出すか」
「かくて日本は平和になりましたと。だが、産業を盛んにせねば外国に攻めることなど夢物語だ。今は産業育成に防衛態勢を敷く必要がある」
「結局は、生糸と浮世絵で稼いだ金次第ですか」
富嶽三十六景美術館
「チャン、チャララン。チャンチャンチャチャ」
「お国を出てからパーティばかりでつまらない方もいらしただろうから、仏蘭西にすむ日本人の方々に来てもらった。出迎えは琴の音にした。そして会場は日仏友好の場であるこの美術館にした」
「それでは、幕府より日仏通商条約の締結文章並びに黒絹の生糸を贈らせていただきます」
「これは、今まで門外不出の絹ですか」
「今回は無理言って皇室より吐き出す量の少ない黒絹の蚕から生糸を作らせていただきました。そしてこの生糸を生産したのは、仏蘭西より技術指導を受けました八王子政治工場で生産されたものです」
「なるほど、我が国にも八王子製糸工場から出荷された生糸が出回るようになり一段と生糸の産地として日本に協力を求めるとともに、仏蘭西を生糸の優先交渉国に指定してくださいまして感謝に堪えません。こちらからはボルドーワインを贈らせていただきます」
「いえいえ、こちらこそ、強国に与えられていた片務的最恵国待遇を貴国の貢献なくして破棄することはできませんでした」
「シェイク、シェイク」
「落ち着く感じと、このように浮世絵が額で飾られているのを見ると改めて浮世絵が我が国代表産業であることを理解させるな」
「俺は、この版画を日本で見たことないぞ」
「どれどれ、この作品は1840年の作品であり、この美術館以外では現存する物が確認されていないと。お前、日本でこの版画を探し出したらひともうけできるぞ」
「俺が生まれる前の作品か。日本に浮世絵を集めた美術館が必要ではないのか」
「それが日本橋に行ってみろ。新しい版画が次々とできているのだ。骨董品である美人画を収集している好事家はいるのだが新しい浮世絵ができているため古い浮世絵の価値を高めるように努力する者が少ない。ただ、開国とともに外国人に売るために古い蔵から古い浮世絵を探しまくる騒動は、ここ数年おさまらぬが」
「そうだな。蔵を探していたらこの根付けは、この美人画はと結構骨董品屋も忙しくしているようだな」
六月一日
下関駅
「小郡駅行き一番列車、発車いたします」
「下関と小郡間が六十九キロと日本橋と小田原間に匹敵する長さか。我が藩は実質百万石といえども、人口は隣の広島藩にも及ばぬ」
「お城もこの際、萩から瀬戸内海沿岸に出てこようかという案があったがその金があれば広島まで少しで早く線路をつなげるのじゃという上からの御達しで流れた」
「しかし、競合鉄道会社は営業係数が三割台ときく。我が藩は広島まで線路をつなげれねば、営業係数は五十をきれまい」
「つまり、競合会社が列車を走らせることで新規路線を埋設するのに対し、我が藩は半分以上藩内からの資金供給で路線を埋設することになるのか」
「上もそれを踏まえたうえで、城の移転費用があれば小額でも線路埋設に使えという判断か」
「何とも自己犠牲の上に成り立つ線路か」
「我が藩は、鉄道開通に伴う経済発展を目的とした路線となろう」
「それと国内の先端を行くという伝聞を広めることに意義がある」
「我が藩は、英吉利に友好を示しているのは我が藩にしかない機関車を見れば一目瞭然であろう」
六月七日
イスマイリア
「この眼前に広がるのが日本人が掘ったというスエズ運河か」
「とてつもない土木作業の集大成か」
「で、この運河を通る船が通行料を落としてゆき、その三分の一が日本の権利となるそうだ」
「このスエズ運河会社のもたらす収益で一橋大学が運営されているとのことだ」
「大学校が官営とはいえ、一橋大学は手ごわいな」
「大学校が医学、洋学、法文の四学部から成り立つのに対し、あちらは六学部だ」
「芸術関係はたいていの者が一橋大学の門をたたいている。大学校が入試科目の点数を均等に割り振っているのに対し、あちらは一芸に秀でたものであろうと入学の機会はある」
「ちなみにダンスはどの分野に入ると思う?」
「日本舞踊と言われれば芸術分野か」
「音楽と相性がいいからやっぱり芸術かな」
「このままでは、仏蘭西でダンスを修めて帰ったものが大学校では受け入れできないのか」
「それはまずい。どうにかせねばならぬが洋学の中に入れるか」
「大学校の必修講習に入れよう。そうすればダンス留学生は帰国しても教授の席ができる」
「なんとか押し込もう」
七月十二日
神奈川港
「日本人初の世界一周か」
「思えば長い四ヶ月であった」
「おれは、日記をつけていたのだが日記の枚数は百二十一枚ある。でも百二十日後だよな。一日はどこにいった」
「わいわい、がやがや」
「おまえ、記録間違えではないのか」
「よし、そういうなら、航海日誌を見てみよう」
「間違いなく、航海日記も百二十一枚ある」
「ほら見ろ。俺の日記に間違えはない」
「だれか、この説明ができるものはいないか」
「しかたがない。大学校と一橋大学の教授に質問してみよう」
「それしかないな」
「あの言いにくいのですが、皆さま方は日付変更線というのを御存じなのでしょうか?」
「それはなんだ」
「地球は丸い球体で自転しています。ですからこの自転に逆らって船を進めますと、地球が自転した回数がずーーと江戸にいた人々よりも一回分少なくなります。そのため船を東に勧める場合、太平洋の真ん中で一日日にちを戻すのです。そうすれば江戸にいた人たちと一日のずれは発生しないですみます」
「それは、世界の常識か?」
「航海の常識です」
「‥‥‥」
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