仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第51話
1875年(明治九年)七月九日
江戸瓦町札差ふいご屋
「うちを利用される上得意からの連絡だと幕府は、切り米の廃止を検討しているとか」
「ゆゆしき事態ですな。切り米の金銭化で手間賃をいただいていた我が家にとって死活問題ですぞ」
「来るべきものが来たともいえる」
「化政のころ、御家人の財布を握っていた札差は、その株が一つ千両小判と言われたたものだが」
「当時は、金に困った武士の入金元である蔵米を全て押さえ、武士さえ頭を下げる商売と言われたものだが」
「同時に一割五分の高利貸しを御家人相手にしていたんだ。財布を握られ、高利で貸し付けられ、御家人には相当な嫌われ役だったが」
「商売を広げた連中は自前の資金だけでなく他人から資金を調達してきて、担保をきっちり抑えたまた貸しで、札差は江戸のお大尽を独占寸前までいったものだが」
「それが、文久の円導入で御家人の借金は四分の一に」
「金貸し全てが損をしたといえますが、続いて明治に入って第一銀行の設立」
「御家人は幕臣だ。その信用で札差に押さえられていた抵当のある借金を全て第一銀行に移した」
「御家人は借金の金利が半減して、札差は金利を一桁まで下げることができぬ者は全て金貸しから足をひいた」
「その地点で御家人に良心的な商売をしていなかったものは廃業し、札差は三十件余りしか本来の切り米の金銭化と御家人のお宅まで自家消費用の米を運ぶ本来の業務しか残らなくなってしまった」
「この帳場に残る刀傷は、この場で蔵宿師と対談方が三年前にやり合った傷ですよ。今となってはこのような修羅場はやってこないでしょうが」
「来年の秋以降、切り米業務はなくなるであろう。来年からの仕事を見つけねば廃業か」
「札差の株も紙くずですな」
「江戸幕府の寿命が我々より長くなろうとは。幕府ある限り、安泰な家業だと思ったものだが」
八月四日
幕府 外国惣奉行
「此度の日韓修好条約では朝鮮にあくどい条項を押し付けるので」
「例えば?」
「治外法権とか関税自主権の取り上げとか」
「そんな指示は出ておらんな。今回はあくまで同じ清への朝貢国同士の取り決めだ。よって基本的に双方は対等な立場だ」
「では、腹黒い策はなしですか」
「そう、まず清の朝鮮への干渉をできる限り排除することは双方にとって有意義なものであると認識させることだ。朝鮮だけならなんとでもなる。よって双方の話し合いは独立した国同士が自国の利益のためだけにおこなわれる」
「では、なんら面白みがないんで」
「そう、双方は相互に公使を派遣するものとする」
「双方は対等ですね」
「で、我々は清への朝貢国という立場を忘れてはならぬ。朝鮮は清への最恵国待遇を与えるのは我慢しよう。しかし、そのほかの国に我々より有利な条約を結んだ際、我々にも同様な条約を結んでいただくよう、対等な立場から押しつけるだけ」
「よくわからないんですが、今現在朝鮮が国交を開いている国は清の次に条約を結ぼうとしている我が国だけですよね」
「そう、朝鮮が鎖国をしている間、我々の立場は対等だ。しかし、朝鮮が亜米利加や英吉利といった大国と不平等条約を結んだ場合、つまり一方的に開国を押し付けられた場合はどうだ?」
「ええと、もし仮に英吉利と亜米利加に関税自主権の喪失や治外法権を押し付けられた場合、我が国にも同様の権利をいただくというのですか」
「そうだ、その時になって初めて炸裂する火薬みたいなものだ。もっとも朝鮮がうまく立ち回ればその火薬は不発弾となるが」
「お代官様、あくどいですな」
「何をおっしゃいますか、朝鮮がそのような不利益を講じないように祈るばかりですよ」
「おいしいところだけをもってゆくのですね。あとだしで」
九月六日
鹿島鉄鋼所
「ここ、鹿島で銑鉄の製造にやっと成功した」
「国産初の製鉄は苦難の連続であった」
「藩営でなければ、資金がとっくに底をついていただろう」
「日仏双方で異なる鉄鉱石にこうまで手こずらされるとは」
「今年の六月から操業を始めるものの釜石の鉄鉱石でモノになるものの選別には苦労させられた」
「操業から四カ月間、使える鉱石を探す期間だったな」
「仏蘭西のナンシーでも普軍を避けての首都疎開があったが、あの時は先が見えてた」
「しかし、今回の鉄鉱石探し。もう少し押し詰まっていれば、仏蘭西とは言わないが清か印度から鉄鉱石を輸入していただろう」
「ええ、仏蘭西の鉄鋼所で修行した自信をなくす寸前でした」
「ともあれ、次の課題はこの鉄鋼所を立ち上げた水戸藩が大株主をしている東海道鉄道株式会社へ軌条を納めることだ」
「鉄鋼所のすぐ手前まで線路をひく便宜を図ってくれたからには、お返しができなければ」
「俺は、いつか蒸気機関車がこの鉄鋼所の鉄鋼を使ってくれたらうれしいぜ」
「なら、この日本まで帰国の際に利用した蒸気船をこの鹿島港で作って欲しいな。幸い、日立で採れる銅鉱石からスクリューができるようだ。欲しいものは、鹿島周辺から鉄道で引っ張ってくればいいさ」
「前途は大きく開けているようだが、鉄鋼を買ってくれる客を見つけなければならぬ営業の努力も忘れるなよ」
十月十一日
江戸城
「どうじゃ、物納となる最後の年貢を蔵におさめている最中、来年からの金銭納への切り替えへの反応は?」
「天領の農民は、信じようとしませんでした。年貢が今の六賭けになるとは」
「年貢の金銭化を農民がしなければならぬことと今年と来年でその差額を農民が手にできるとあってようやく納得していただけました」
「そして、幕臣である御家人からもえらく評判がよろしいようで」
「それはそうじゃ。あの忌み嫌っておった札差との縁が切れるのだからな」
「それと、毎月同じ金額を給与としていただけるほうが毎月の米相場の変動で一喜一憂しなくてよいと相好を崩しております」
「米相場は、上下するものの大概は大商人の懐に高騰や暴落の際の差額が入ってしまう。地元の米問屋と米の売買をさせるのは成功かのう」
「後、夜なべで蕎麦屋を営んでいるものに代表される棒手ふりで酒を出す商売をしている連中にも、正規に酒屋から酒を買っている証明を毎月いただくように指導しております」
「ふむ、零細ゆえ、棒手ふりには売上税を納める義務はないが今回の贅沢税である酒の仕入れは地元でしてもらう。棒手ふりが酒を仕入れに直轄領外から仕入れてきた酒を売っているようであれば、税金泥棒よ。盗人と同じ罪状にして裁け」
「どうしても、水戸の梅酒を江戸で売りたいというのであれば三割納税をしている証明をさせよ」
「で、酒の値上がりを通知された工夫や商人の反応は?」
「酒の税金が三割になるだけですので、表立った反対は起きておりません」
「反対しようにも、この国の住民の大半は農民であり、少数派が多数派に異議を唱えるはそうとうな勇気が必要なようで。そのような勇者は表立って騒いでおりません」
「諸藩の反応は?」
「青ざめるものが多数おりました。特に天領と接する藩主たちのう慮は相当なものでしたが、表立って幕府に異議を唱える者はいませんでした」
「それはそうであろう。此度の決定に従うのは、天領のみ。幕府の管轄が及ばぬ藩領に手を出しておるわけでもない。農民が天領に逃げだすというのであれば、その藩をお取りつぶしにしてもよいぞ」
「ですので、対策をたてつつある藩によれば、年貢の金銭納と低減を来年からおこなうというのが多数出てきております。天領と接していない藩は、年貢の低減こそ実施しない模様ですが年貢の金銭納という転換はこの際、実施するとのことです」
「経済の発展とともに米の占める割合が相対的に落ちておる。此度の税制改革がなくともそのうち課税品目の変更は必然であっただろう」
「後、天領と接している繁華街を抱えている藩の中には、酒税が低いことを訴えて週末の観光客を囲い込もうとする藩もちらほら出ておりますが、こちらとしては農民の流出を考えますに藩にとっての不利益の方が大きいとの予測が出ております」
十一月十三日
甲府 葡萄園
「ぶどう酒の国産化に成功したものの今求められる酒は麦酒か」
「台湾に派遣している連中から大量の麦酒が発注された」
「気分はわかるなあ。暑いところにいって一日の労働の最後に冷えた麦酒でいっぱい。それだけが楽しみでつるはしをふるう気持ち」
「酒を飲んでいれば台湾人との紛争も未然に沈静化するとあっては、政府も麦酒の大量発注を躊躇したりしない」
「台湾にいる清人に借金を抱えさせる手段として麦酒を飲ませるのは、飲みと色気の連合で攻める極めて有効な策とのことだ」
「酒を飲みたいから線路をひかせる仕事に就かせるのは、台湾人の財布を握りに来たか」
「それよりも苦節の末、葡萄酒ができたというのに麦酒の陰に隠れている間は悔しいな」
「しかも来年から酒税が三割。葡萄酒の発売される年にかち合うとは、葡萄酒に高級品だという風評が付きまとうな」
「仏蘭西にいたころ、熱い葡萄酒で冬を越す。あのころが懐かしいねえ」
「どうにかして、南で売れる葡萄酒を開発するか」
「次は、シャンペーンを目標に酒造りか」
「発酵の終わらないうちに瓶づめをすれば発泡葡萄酒の出来上がりだが、発砲の圧力に耐えれるコルク栓が日本で手に入るかな」
「御祝いの席で割られる樽酒の代わりに発泡葡萄酒を開けてもらえるように頑張るか」
「葡萄酒の売り込みは長い年月が必要みたいだな」
「夏に麦酒を売って、冬に葡萄酒を飲んでもらう戦略がお勧めだけど」
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