仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第53話
1876年(明治十年)三月一日
水道橋駅
「昨年度の収支に関する数字を発表させていただきます。昨年の開通区間は、身延線の全通、熊本と八代駅間、富岡と小高駅間、姫路と赤穂駅間でした。百円の収入を得るために必要な経費は、三十八円でした。今年の夏に予定されている天皇の巡幸先ですが、奥州、北海道並びに樺太であります。よって、先方は仙台近郊の三陸海岸までわが社の鉄道を利用され、その後山陽道鉄道株式会社の蒸気船に乗車されることを希望されています。いかがいたしましょう」
「仙台までは無理だよな」
「岡山までの伸延は決定済みですから、仙台まで伸延できません」
「だとしたら、奥州区間は仙台までの九十キロを二年か」
「その中間となりますと山下駅でしょうか」
「それだと運賃収入を期待できぬな」
「どうでしょう、仙台藩内に入りかつ、田村氏のおひざ元にある岩沼駅までの伸延では」
「そこまで行けば、奥州街道に出られますので奥州街道のにぎわいと一体化できます」
「駅から阿武隈川を下って、仙台港まで船で移動してもらえれば上々かと」
「そこまで延ばすなら後二十キロ延ばして仙台までの伸延もありだろ」
「九州との兼ね合いだが、薩摩藩内に入ると人口希薄地だからそのへんはどうとでもなるか。九州は薩摩藩直前まで行けば水俣駅で伸延が五十キロ」
「奥州との兼ね合いなら、田浦駅までの伸延で二十キロ」
「九州区間は、田浦駅まで。奥州は岩沼駅までとする」
「鹿児島と仙台の先着競争は、仙台が制したな。このままであれば、仙台駅までは次の年に。鹿児島駅までは後二年かかる」
「岩沼駅を仙台の入り口とするならば、今年の夏だ」
「さて、その先はどうなる?」
「あくまで北上するならば、盛岡、弘前と蝦夷地が控えている」
「まだこの国のだれも成し遂げていないのが太平洋側と日本海側を結ぶ難題。多くの土地では、どこかで山脈にぶつかり、山越えが困難だからな」
「候補とするならば、高崎と長岡、郡山と新潟、京と舞鶴、尼崎と福知山」
「先の二つは、南紀派の牙城ゆえ却下。幕府は、後者二つでは納得しまい」
「日本海側と太平洋側を結ぶ路線は、来年の検討課題といたそう。早急には決められぬことが多すぎる」
「それと皆さんも結果は御存知ですが、昨年十二月の藤枝杯において、常陸代表水戸飛脚便は、準々決勝にて武蔵代表町火消し連合に敗れました。昨年と同じような組み合わせとなった決勝戦では、武蔵代表と近江代表馬借の彦根組が対戦しましたが、この度も武蔵の国代表は優勝を飾りました。なお、副賞の賞金を届けに参りますと、この金で仏蘭西から腕用ポンプを購入するのだといわれました。そのため、各火消の組の代表が集結したのだと」
「いい話やんけ」
「以上をもちまして、今年度の決算報告を修了させていただきます」
四月十一日
漢城府
安、金、丹の三人は、朝鮮山水画学会からの働きかけを受け、それぞれの上司に浮世絵の輸入中止もしくは次善の策として浮世絵の高額関税を課し、その税金を国内美術産業への補助金とする働きかけをした
「李冠上官、我が国に浮世絵は必要ないニダ。我が国には煌々と歴史を彩る山水画があるニダ。即刻、浮世絵の輸入禁止令を出すニダ」
「そう言われればそうだのう。ただなあ、漫画は除外せねばなるまい。あれは、我が国にないものだ。それ以外ならば輸入差し止めを認めよう」
「どうだった安?」
「いまいちアル。最大多数である漫画の輸入禁止を李冠は認めようとしなかったアル」
「では、次は私、金の出番アル。なに、上官は一人ではない」
「魯信上官、我が国から食料が輸出されてゆくニダ。その対価は薄っぺらい紙切れある。よって、庶民の食料価格の暴騰を防ぐ意味でも浮世絵の関税を現在の三倍に引き上げる必要があるニダ」
「いいたいことはわかる。確かに我らの支配基盤が揺るぎかねない事態だ。ただな、全ての関税をあげる必要はない。我が国に海底二万里をはじめとする児童書とその手始めとなる物の高関税化は必要ない」
「あいや、うまくいかないアル」
「今度こそ本命は、丹が韓輪上司を口説くニダ」
「韓輪上司、我が国に浮世絵の輸入は百害あって一利なしニダ。浮世絵の輸入差し止めができないというならば、すぐさま浮世絵に百%の関税を課す必要があるニダ」
「丹、これは君の机の上にあったものだが違うか?」
「そ、それは確かに私の机の上にあった物ニダ」
「題名をいってみるニダ」
「シャボン玉をとばす幼子」
「もしかして、君は幼女趣味か」
「そうニダ。没収した浮世絵を見て目覚めたニダ」
「そうか、そうか。没収した浮世絵を私物化したのは君か」
「そうニダ」
「よろしい。君は私の同士だ。今度の昇進で大いに期待してくれたまえ」
当初の目的を完遂するのは、極めて危険な事態になってしまったニダ。安、金、丹の三人は、昇進に必要な上司との共通の趣味を開拓した。しかし、朝鮮山水画学会の依頼を成功させることは出来なかった。
五月三日
源氏物語『玉蔓』『初音』を浮世絵化
「仏蘭西に駐在している商社勤務の者が現地で温州みかんを食べたいと希望を述べた者いるのですが」
「それは、英国とニュージーランドを結ぶ冷凍船の運航を待って実用化させるか」
「冷凍船の運航は今年からでしたよね」
「とりあえず、今年収穫された温州みかんを年末に仏蘭西に届くように策をたてておいたからな」
玉蔓の文中、一部抜粋
夕顔の遺児玉蔓は、九州から京に避難をしたものの市街をさまよっていた。頼るべき者のいない孤独な旅であった。京をさまよったものの当てはなく、最後には奈良にある長谷寺に参拝し、神頼みをすることになってしまった。参詣のために途中市に寄った玉蔓は、昔母夕顔につかえていた侍女右近に偶然再会をした。神仏の導きだと神に感謝し、右近の手引きで六条院に源氏の娘という触れ込みで滞在できるようになった。年の暮れ、玉蔓は、女たちと一年の感謝を共に温州みかんを食べることで、病魔退散、来年の誓いをして、皆で楽しく年越しをするのであった。幸せの象徴は、皆と口に運んだ温州みかんであった
「初年は、今年収穫された温州みかんを冷凍船にして年の暮れまでにパリに届くようにしてみよう。現地に滞在している者達向けになるが、半分はパリ市民が買ってくれるかもしれぬ。必要量の二倍をパリの市場に出すことにしよう」
「うまくいけば、年越しに温州みかんを食べる風習が広がるだろう」
「ものはためしだ」
七月一日
岩沼駅
「岩沼駅発水戸行き一番急行列車発車いたします」
「此度の天皇巡幸、陸路をわが社が請け負い、海路を山陽道鉄道株式会社が輸送か」
「路線の北上を続けていれば、そのうち津軽海峡にたどり着くぞ、いかがいたす」
「いかがいたすといわれても、青森と函館を結ぶ蒸気船を運行するしかあるまい」
「わが社には、蒸気船を運行する技術と経験がない。どこかで予行演習といきたい」
「候補として、波の静かな瀬戸内なら中之島と鳴門、青函と同じ距離を走らせるなら、伊豆諸島と本土の間で」
「顧客を見込むなら、江戸湾の先端と神奈川港間ということで木更津港と神奈川港を」
「本社に近ければ、安心できるだろうから、木更津と神奈川港間だな」
八月四日
高松 南海道鉄道株式会社本社
「此度は残念ですが、双方の合意に至りませんでした」
「我々も出資をいただけませんで、残念の一言」
「バタン」
「社長、今度の資本家も出資に至りませんでしたか」
「株式に対する配当を最初にきかれたときに、これは無理だ。双方の合意に至らないと直感したよ」
「確かに出資はのどから手が出るほど欲しいのですか」
「出資した金を翌年から、七分ずつ配当せよというのは、酷よ」
「そんな金があれば、松山方面に向けて新延してますよ」
「わが社が営業係数で三十を出して以降、出資したい客はひっきりなしに来るが」
「定款でわが社は、四国を鉄道で一つに結ぶことを第一とすると表記しているのだがな」
「鉄道会社は、儲かると一言で言われるのは、相反する立場に立つんだがな」
「仮に配当をするのは、せめて四国一周の鉄道が完成してからだな」
「その後は、鉄道の複線化、急勾配のところでそれを軽減するためにトンネル化やう回路等の設置があります」
「後二十年は、配当に回せないと理解してくれる人が少なくてな」
「出身金にしても四国の総意で成り立っているのであって、讃岐一国で営業成績がいいといってひきこもりになるわけにはいかない」
「それを理解してくれる資本家がなんと少ないことだ」
「それをいってはきりがありませんが、今週、資本家との会合が二か所予定されています」
「二人のうちで一人でも出資に合意してくれれば、松山までの道が近付くんだがな」
「我々が求めているのは、お大尽様のような方ですから。お金は出していただきますが、我々は四国のはってのために貢献していくことを信条としております。よって、あなたが出資していただいた金は、株券に換わりますがそのかあ武で配当をするのは二十年は最低限お待ちいただかねばなりませんとね」
「それでは、株価が低迷しますよという客がどれほど多いことか」
「わが社に投資していただいた金は、ここで線路になり、その地では機関車となりましたと言えればどんなに楽なことか」
「株価低迷会社の悩みは尽きませんね」
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