仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第54話
1876年(明治十年)七月二十日
京都御所前
「此度の巡幸、歴代の天皇がいきはったことのない所にいきはるやてね」
「先の天皇の時まで、西進は平家の壇ノ浦合戦、東進は近江に都を移したときやろか」
「それを丘蒸気と蒸気船で日本の領土の最北端まで行きはるとか」
「天下泰平やね」
「御侍はんはそのために台湾までいって線路掘りや。内地でそんな僻地まで行きはるのは政情が安定してはるおかげどす」
「京にも馬車鉄道が根付いた証拠やろな。烏丸北大路から烏丸八条まで京の碁盤の目を鉄道の駅同士でいききしてはるからな」
「京から出発して仙台まで丘蒸気で二日。そこから蒸気船で樺太まで二日。日本も相当小さくなりましたんや」
「わては、台湾に行きはった暴れん坊の様子が気になりはります。スエズ運河建設から戻ってきておとなしくなった先人を見習ってくれればいいんやが」
「天皇はんも大変や。今年の祇園祭が終わったら、今度は鎮魂のために北方巡幸。行事続きや」
「それも、鉄道でいけるところまでいくのは慶応の巡幸と変わりあらへん。まだ行ったことがないのは、日本海側に四国九州やな」
「わかやしまへんで、次回は一気に台湾までかもしれへん」
八条駅
「八条発日本橋行きお召列車発車いたします」
「十年ぶりのお召列車か。前回は、わが社のほぼ全線を乗車してもらったものだが」
「九州は肥後から、北は仙台。関東一円に甲州。わが社の社員でも全線を乗ってるのは、機関士ぐらいなものだろ」
「もし仮に全線に乗るとしたらどこを一番最後に乗ることになりそうだ?」
「他社路線に乗らないといけないところだろうな。やっぱり最西端の肥後は田浦駅だろ」
「俺が最後の乗るとしたら日本橋近郊を残すね。そして行き止まりの鹿島神宮駅を最後にする」
「しぶいな」
三島駅近郊
「前回は、この先の御殿場駅までのお召列車やった」
「あの折は、何が何でも富士山頂にまで行きはるんやという今上の要請に負けそうやったが、何とか不二五合目で勘弁してもらった」
「時期は秋の深まる十月。富士山頂には雪が積もっていたことやろ」
「ガタン、シュー」
「御殿場線に入ったところで列車が止まりましたな」
「時期車掌から連絡があるだろう」
「皇室の御一行の皆様に申し上げます。御殿場線の中間地点で列車の上下線をふさぐ土砂崩れが発生いたしました。この列車は富士駅に引き返した後、身延線を北上し本日は甲府までの運行となります」
「どうやら梅雨のために路線がぬかるんでいたか」
「今日は江戸どまりかと思っていたら、その一歩手前の甲府で足止めか」
「明日、仙台までいかはるのがかわらへんかったらかまへんとちゃうか」
甲府駅
「本日急きょ、お召列車がここ甲府に停泊する。すぐさま、旅籠にあたれ。部屋を用意させろと」
「すぐさま」
「よりによって、お召列車運行の日に御殿場線が不通になるとは、運がない」
「そうは言いますが、年に二十日はこのような事態に備えて身延線があるようなものです。不測の事態に対応できたとして問題ないのでは」
「素早い対応はできたな。それに身延線が全通してからわずか一年だ。列車の運行部の先見には間違いがなかった」
「所長、参勤交代の折に使われる最上の部屋が確保できました」
「よし、見事な対処だ。以上の経過を水道橋駅まで連絡せよ」
「はっ」
旅籠春日
「御茶壷道中が止まったから、ここへ泊る大名はもうないとおもってましたが」
「それが急きょ、今上が宿泊することになるとは」
「この料亭が盛り返すきっかけになるとええんですけど」
「最近はここ甲府まで到着される大名行列はそのまま日本橋まで列車でいかれますよって」
「なにか、甲州名物でも出しますか」
信玄の間
「ほう、これはうまい酒だ。今まで飲んだ葡萄酒の中でも一番の出来だ」
「へー、この酒に使われた葡萄は、甲府にて七百年前に発見された地元の品種『甲州』でできた白葡萄酒で」
「たしか、仏蘭西帰りの職人が甲府で葡萄園を開いたときいたが」
「それが、数年の間、仏蘭西伝来のカベルネ=フランを中心に生長させ、葡萄酒にしてましたんですけど、どうしても納得できる赤葡萄酒ができないといいまして、気まぐれに甲州で白葡萄酒を作らせましたところ、周りが納得できる葡萄酒が初めてできました」
「で、これがその葡萄酒『甲州』か。どうであろう、皇室に献上させるように取り払ってもらえるか」
「へー、もちろんでっせ」
白葡萄酒『甲州』は、皇室御用達という栄誉をうけた
七月二十一日
甲府駅
「甲府発岩沼行きお召列車発車いたします」
「日程に大幅な変更がなくてなによりだ」
「そうはいうが、岩沼まで五百キロ、今日も余裕がないぞ」
「どこか途中で列車が止まってもいいさ。そこで名物をいただくのも悪くない」
「でしたら、いどこか温泉地のあるところで」
「京にいますと温泉というものに縁がなくて」
「東北を巡幸すれば嫌というほど温泉地に泊まれるさ」
「それよりも岩沼で嫌というほど、仙台名物が待っているという話だ」
「今度は、日本酒か」
「仙台といえば米どころですからね」
「海の幸が」
「山の幸で、赤みそ仕立てでいただくというのは、京にいる限り白みそ仕立てですから」
「京の漬物に足りないものが仙台にあるやろか」
「なにはともあれ、途中下車というのも悪くない」
岩沼駅
「お召列車は、無事平駅を通過したとのことだ」
「では、こちらに到着時刻は予定通り午後七時か」
「本日の宿泊地並びに食事の準備は万全か」
「それがその昨日、甲州で皇室御用達の看板をいただいた葡萄酒の噂を聞きつけた商人どもが天皇の宿泊する旅籠に押し掛け、是非わが社の製品をお使いになられますようにと陳情合戦で」
「あれは、江戸どまりのところを急きょ、甲府どまりになったから臨時の食事が出ただけだというのに。岩沼での食事は、一か月前から献立が決まっておるわ」
「では、仮に皇室御用達という看板がいただけるのもその中からですか」
「悪あがきをしてでも欲しい皇室御用達か」
旅籠甘美
「天皇の来るのもいいですねえ。ここ岩沼まで鉄道が敷かれるのも後一年必要かと思っていたら、巡幸が決まった地点でここ岩沼までの伸延が決まって」
「そりゃ、天下泰平を示すための巡幸だからね。その地が平和であることを示すことが第一。そして、巡幸して天皇という威信を示す必要がある地を訪ねるのさ」
「では、奥州を巡幸するのはなぜ?」
「東日本が京にこれほど近くなりました。そして天皇の御威光がいきわたるようになりましたと示すためでしょう」
「では、そのために奥州が選ばれたと」
「今回は三択だったかな。新潟をはじめとする日本海側という選択肢もあったけど、この地を訪れるのは、鉄道がいきわたって皆の生活が豊かになったのを実感してもらった後かな」
「だったら、三番目の選択肢は九州?」
「九州は、その先に琉球があって台湾が安定するまでお預けかな」
「台湾は、外国領だから関係ないでしょう」
「台湾自体は関係ないけど、台湾で風土病に疾患したものがいるからもし仮に巡幸となったら石垣島で療養している患者の元を訪れるかどうかでもめるしな」
「天皇たっての希望で石垣島を巡幸するのも琉球が薩摩藩に組み込まれて日がない。もし万が一、天皇の巡幸反対の行列でもあってみろ、その巡幸事態が失敗だっといわれかねない」
「あれ、天皇が石垣島で台湾の風土病に疾患するのを防ぐためではないの?」
「その場合、発病までに数日の余裕があるから、天皇の幼態が悪くなるのは石垣島を離れて九州に戻ってからになるだろうねえ。遅行というすぐにはわからない事態だろう」
「なにはともあれ、わたしゃ、この調理場に積まれたまかないがしばらく忘れられそうにないわ」
「仙台中の名物が積まれた調理場だからね。今日も無駄だとわかっているのに仙台名物が十の店ら届いた」
「それが私のお腹で消化されるのは、従業員になって初めてかしら。こんなにたくさんの仙台名物があるって」
独の間
「やっぱり、皇室御用達しは難しい。この笹かまぼこを皇室御用達にしたら、ここ仙台から京まで練りものを列車で運ばなければならないが、生ものを千キロ運ぶのは非現実的だ」
「しかし、一つくらい決めなければ仙台藩の御機嫌を損ねるやろ」
「やっぱ酒かな」
「漬物も京にある物で十分だ。わざわざ千キロを運ぶものに相当するものではない」
「海産物もこの先訪れる陸奥の国を見てからだろうしな」
「最初から仙台でこれというものを決めるのは難題だ」
「消去法で銘酒『一宮』にしとこうか」
「甲府の二番煎じですけど」
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