仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第55話

 1876年(明治十年)一月三日

 塩尻駅

 「塩尻発岐阜行き一番列車が発車いたします」

 「再来年には、信州上田に到着か」

 「これで中山道鉄道株式会社に出資してくれた大名家のうち、残すは先に鉄道が走った高松藩を除き、会津藩に鉄道をつなげればよいのか」

 「二択かのう。上田から新潟に出てその後、会津若松へ」

 「上田藩にしてみれば、江戸へ直行する路線がある方がいい。中山道をそのまま江戸までというものだ」

 「どちらも一長一短か」

 「新潟に出れば、初の日本海側と太平洋側を結ぶ路線だ。大義がある。しかし、乗客には恵まれないから、運賃収入という観点で難だ。上田から会津若松まで路線距離三百七十キロ」

 「中山道をこのまま前橋に出れば、関東に進出して関東平野圏の人口稠密地を進む限り、乗客収入が見込まれる。上田から会津若松まで四百キロ。ただし、軽井沢にある碓井峠が難所として立ちはだかる。最大勾配1/10。くるくると回って勾配は1/40。ジグザグに登って、振り子のように進むか。蒸気機関でひもをつけ、機関車ごと引っ張るか。中央に歯車を入れた三本目の軌条を敷くか」

 「できれば、どれも避けたいものばかり」

 「名誉か、一点に目をつぶっての実利か」

 「建設費で決めようか。中山道をそのまま碓井峠へと進むと建設費は、他の区間の四倍かかるうえ、振り子のようにして進むなぞ、速度も上がらない、大した貨物量にもならない」

 「よし、上田からは新潟を目指すものとしよう。建設費が二倍も違えば早期建設をはからねばなるまい」

 「たまには、東海道鉄道を出し抜きたいものですな」

 「近江商人は高い建設費を避ける実利を優先か」

 

 

 一月十日

 埋設願い

 幕府へ

 信越線並びに磐越線の埋設願いを届け出ます

   中山道鉄道株式会社

 

 

 一月十五日

 公示

 中山道鉄道株式会社へ信越線並びに磐越線の埋設許可を与える

    幕府

 

 「中山道鉄道は、中山道を道半ばにして日本海側へか」

 「技術的に碓井峠が越えられませんといわれれば文句のつけようがない」

 「前橋まで八高線が通っているのも大きいよ。やっとこさ、碓井峠を越えて前橋に出ても、前橋と日本橋のおいしい区間はさきに東海道鉄道に取られてしまっているからね」

 「路線埋設の遅れている日本海側へと伸延してくれるのならば、文句はないと」

 「文句はあるぞ、京と北陸を結ぶ路線の最短路線は、敦賀だがそれに対する返事がない」

 「前田藩に誰が路線埋設という鈴をつけるか」

 「前田藩が自らしゃしゃり出なければよいがな」

 

 

 七月二十二日

 高瀬舟 辰風

 「阿武隈川を仙台港まで高瀬舟での旅か」

 「まだまだ、鉄道が走っていない地域ではこれが荷物を運ぶ手段やからね」

 「名前の由来は、京都の高瀬川が元ですから皇室御一行が乗る船としては問題ないかと」

 「何はともあれ、これが仙台港まで一番なのは間違いないからな」

 「仙台港からは蒸気船で日本の最北端まで二カ月の旅。もし次に巡幸というものがあれば、九州の最南端まで鉄道に乗る旅かもしれませんが」

 「鹿児島まで鉄道を使いますと丸一日走れば到着するようになるでしょう。日本が狭くなったのを知らしめるにこれほど時期を得たものはないでしょう」

 「それよりも行程の最中に樺太で炭田の工夫を激励することになっております。体調管理には気をつけていただかねば」

 

 

 蒸気船 厳島

 「これより天皇が乗船して二カ月を過ごされるわけだが万事無事であってほしいものだ」

 「事前演習で樺太まで出かけることができなかったのは痛いな」

 「夏の樺太では、早朝の靄に気をつけたしとのことだが付近に蒸気船がいないことを祈るばかりだ」

 「釜山まで出かける船乗りを連れてきたが、南と北とでは勝手が違うだろう」

 「露西亜との国境線が制定できなかったのだ。樺太につばをつけておかねばならないからな」

 「良質な石炭を求めて日本中が樺太産の石炭を欲しがっているから、樺太の発展はつづくだろう」

 

 

 十月十五日

 川越藩川越城

 「どうだ、今年の年貢の集まりは?」

 「例年通りで」

 「今年は、天領の年貢が二割五分に引き下げられたことを知らぬ農民が多数いるだろうが、このご時世だ。年貢米を買いに来る商人が出入りするようになると我が藩の年貢が天領に比べ、二倍以上であることが分かってしまうだろうな」

 「いくら、我が藩が前橋に陣屋をおき、生糸で多大な富を稼いでいるとあっても早々に年貢を引き下げるわけにはいかぬ」

 「生糸の品質がいいものは、八王子製糸工場を出たものになってから、生糸の集荷がはかばかしくなくなりましたから」

 「我が藩は、この生糸の収入をあてにされ、外国船打ち払い令が出た時、相模の海岸を六万人体制で警護してましたからねえ」

 「あのころのことは思い出したくもない。藩の財政が火の車どころではなかった」

 「幸い、八高線が我が藩を通り、中山道の途中停車と日光街道が落ち合う所に位置しているおかげで商業関係は悪くありません」

 「やはり問題は、これから口コミで広がる天領との格差か」

 「年貢がやはり二倍違いますと、農民の逃亡が相次いでもやむを得ないかと」

 「そうなれば農民も鉄道に乗って一家丸ごと離散されかねません」

 「農家の嫁が鉄道会社に勤めていた場合、鉄道周辺で天領の情報を手に入れることもありえるでしょう」

 「天領の年貢が低い理由の一つは、実に効率的な回収ができるのもあるんだがな。年貢回収にあたる単位面積あたりの武士は、天領が諸藩の半分以下と養う人数が違うせいでもある」

 「それをいっても仕方がありませんが、今年川越に酒を飲みに来た江戸の町民は増えましたか」

 「ほとんど変更はなかった。売上税二倍騒動のように酒の消費が二倍になるのを期待しなかったわけではないんだが、見事に空振りだ」

 「では、来年の税収はどうされますか」

 「川越は中山道の要所、農民には今年中にバレルであろう。よって、幕府の後を追わねばなるまい」

 「では、酒税は三割ですか」

 「酒税は、天領と足をそろえる。問題は年貢だな。五公五民からどれほど下げるか」

 「四公六民ですかね」

 「四公六民でいこう。そして、来年から金銭納にしてもらう。今との差額一割は、農民が取ることにする」

 「藩内の消費が盛り上がれ良いですが」

 「これを目安箱に訴えた与作は川越の農民だ。農民にとっては英雄でも、藩にとっては疫病神だ」

 

 

 十一月十一日

 濁水渓北側

 

 母へ

 我ら日本から派遣された武士団と現地民の協力の元、台湾縦貫鉄道の最難関である濁水渓を越えるために鉄道橋を建設している最中です。この濁水渓は台湾を南北に分割する台湾島を東西に走っている台湾三大河川の一つに数えられる河川であります。この河の北側から南側へ河川を越える鉄道橋を建設する作業に入っています。この河川を越えれば後難所というものがなく工事関係者も最大の難関にこの鉄道橋を位置づけています。この地に集まった医師予備軍は、私のように代々藩に勤める家系に生まれた者で興味本位に台湾に来てしまった者たちと貧しいながらも医師を目指した者が幕府の医師免許制度のおかげで大学に進学を余儀なくされた面々の二者択一といった具合です。しかし、台湾で発症する風土病に対して漢方の知識がある医者家系の者が優秀であるかといわれればそうではありません。風土病に対して有効な医療方法が確立しておらず、かつ適切な患者への処置ができていません。日本から持ってきて役に立った薬といわれれば熱さましと体力回復過程に入った患者に対する体力増進の薬位なものでした。日本は長い間、医者の家系に伝わる秘伝の医療技術では世界に広がってる難病に対する処方箋はできそうにありません。私はここで同じ釜を食った連中と大学校に進学して先進の医療技術を習得していきたくあります

 

  薩摩藩伊集院湊

 

 「どや、台湾まで遊学気分で出かけた湊の様子は」

 「ええ経験になったようで、台湾から帰ってきたらそのまま大学校の医学部に進学するつもりだと書いてあります」

 「そうか、三男坊の湊が大学校に進学か。とはいえ、そうなると長男の元も大学に遣らんと医療免許が出ない時代になってしもうたからのう」

 「それはしかたがないでしょ。あれほど、蔵の医学書をかじった湊でさえ台湾では熱さましぐらいしか役に立たなかったと書いてあります」

 「医学といいつつ、内臓の仕組みも知らない時代が三百年続いたからなあ。特に体を切って内臓に手をつけることなぞ誰もしなかったらからなあ」

 「今後、自称医者は患者から匙を投げつけられる時代が来るかもしれませんよ」

 「医者があふれる時代になるまでそれは大丈夫だが、ワシも仏蘭西の医学書を読まねばならんな」

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

誤字脱字・感想があれば掲示板へ

humanoz9 + @ + livedoor.com

第54話
第55話
第56話