仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第63話
1879年(明治十三年)五月一日
江戸城
幕府殿
スエズ運河株式会社も年々運が通行量の増加に伴い、株主への配当金も増えるばかりである。此度、スエズ運河が完成して二十年が経過しようとしている。そこで、太平洋と大西洋を隔てるパナマ地峡に運河を建設するための会社を設立することを仏蘭西の実業家は思い立ち、スエズ運河建設で手腕を発揮した者達に声をかけている。運河建設に最も貢献したフェルディナン=ド=レセップス殿にパナマ運河会社社長の就任を打診し、引き継ぎが済み次第、就任してもらう予定である。次に実質、スエズ運河建設に多大な貢献をしたジャポンにも同運河建設に貢献してくれることを望み、この度、仏蘭西大統領であるオスマンが筆をとることになった。願わくは、前回と同様の貢献をお願いしたい。
仏蘭西大統領 ジョルジュ=オスマン
「まず勘定奉行に問うが、パナマ運河会社の予算規模はどの程度になる模様か」
「運河建設に必要な予算ですが、英吉利の諜報機関が試算したものがあります。海面式であれば、二億円。閘門式なら一億円が記載されています」
「一桁違うのではないか。我々が国中から集めた金は、二十万円だぞ、スエズ運河の折は」
「いえ、砂をほんの十メートル掘ればいいスエズ運河建設であれば、百六十キロを掘り進むのもそう困難ではありません。機械の使用もできました。しかし、今回は、半分の距離の八十キロを掘り進むのですが、水面まで平均三十メートルをまず掘り進む必要があります。そのため、スエズ運河の建設費用とは、一桁数字が大きくなっております」
「では、まずこの要請に対して承諾か否かをはかる」
「否というのは、まず仏蘭西との関係を損ねますなあ」
「幕府が金を出さないというのでも国内のお大尽等へ株式等の勧誘をはかるべきであろう」
「では、この会社への出資はする方向で議論を推し進めるものとする」
「まず、問う、この投資は成功するか否か」
「個人的には、仮に成功いかんにかかわらず幕府の財政に火がつかない程度にとどめるべきです。浪漫はありますが、失敗する可能性の方が大きいかと」
「今回、仏蘭西から日本までお誘いが来たのです、前回のように武士を現地で労働させれば、成功の可能性が一割ほど高まるかと」
「現在、台湾の縦貫道建設に従事した連中ならば、現地の風土病に対する抵抗力が我々よりも少し見込めますので、もう少し成功の可能性を高めるかと、その割合は数分ほど」
「では、台湾で縦貫道建設に従事した連中がいれば、成功率が一割二分ほど高まるといいたのだな、では、元の成功率を問いたい」
「お待ちください、この工事の完成までに必要な期間はいかがですかな」
「十年がかりの工事になるかと」
「私は、人的資源の観点から反対します。台湾の縦貫道建設には甘い予測であれば二年で建設が終了するとの観測が出ていましたがどうでしたか。私に言わせれば工期はその二倍が必要になったと。そして風土病に罹患する武士は一割余りと人的な損失分岐点を何とか下回っているだけですぞ。それをこの日本から遠く離れたパナマでの工事に十年がかりで取り組むとなれば、日本人参加者のうち半数は風土病に罹患するものと考えられます。よって、この開発は戦争でいえば兵隊の損傷率が機能不全を越える敗戦とほぼ同程度の意味をもつだけのものといえます」
「私はこの工事の成功率は、集められた金次第という考え方に変更はございませんが十分な金が集まらないために成功率は例え日本人が参加したとしても二割だと主張いたします」
「では、我々が工事に参加しなければほぼ不成功というのか」
「台湾での疾患状況を知る者なら私の反論をする者はいないのではないでしょうか。台湾では、海岸沿いに工事を進められましたので本当の密林の中に入る必要もありませんでしたし、台湾の緯度は北回帰線でした。年から年中雨が降るわけはありませんでしたが、パナマは赤道直下から八度だけ北に位置するだけのものです。しかも海岸沿いのみならず海岸から四十キロ離れた山中にて作業をしなければなりません。私は、台湾以上に風土病に倒れる者が続出する工事になり、工事に従事する者達は工事にたいする不平不満よりも風土病に怯える日々を過ごし、現地民であれば逃亡が続出するものかと」
「私は、武士が今回の工事に従事する必要はないといいたい。前回は、我が国の存亡が問われる危機にありましたので武士もスエズ運河建設に従事することを拒むものはいませんでした。が、良好な日仏関係を築いている今、武士をわざわざ遠い南米の地で散らせるとは国民の理解を得にくいものがあるかと」
「私もその意見に賛成です。台湾はこちらが台湾に上陸しなければ薩摩藩が納得しなかったでしょうし、台湾の現地民に殺された琉球の民を慰めるためにやむを得ないものでしたが、今回は参加する以上に持ち帰れる利権が小さすぎるといいたい」
「私は、現在台湾が終了しやっと樺太だけにかかりきりなる現状を顧みますと、争点を二つ作るほど日本は余裕がございません。樺太の開発が一段落して現地に送っている武士達に十分な休暇を与えた後でなければ南米まで武士を派遣する案には反対します。そうですな、後十年は南米なんぞに派遣したくはありませぬ」
「では、武士の派遣は希望者のみということにいたそう。では、最終的に幕府がパナマ運河会社に対する出資金の額を決めようではないか」
「前回と同じ二十万円でいいのでは」
「四十万円が妥当ではないか、国力を考えるに」
「幕府は二十万円の出資をして、国内から運河会社への出資を募るので良いのではないか」
「ふむ、幕府で二十万円を出資いたそう。後は、国内からの出資を募集いたそうではないか」
「私は、巷への噂は前回のように台湾への派遣時のように流さないでいただきたい。勤務態度の悪い者がいれば、それだけでパナマ運河会社への出向という形は残していただきたい。我々は、大口出資とはいかないでもいつでもパナマ運河会社へ出向をさせる用意があると思わせていただきたい。なに、出向者を増やせばそれだけパナマ運河会社の成功の折に得られる配当はそれだけ大きくなるし、もし万が一失敗しても鼻つまみ者が一人減っただけで幕府は失うものはない」
「「「異議なし」」」
「では、今回は勤務態度をもってパナマ運河会社への出向者を決める方向で噂をまとめようではないか」
「この通知は、各藩にも内密でだそう」
「もちろん、懲罰にかかれば期間のいかんにかかわらずパナマ運河会社への出向で」
五月二日
公示
仏蘭西政府のあっせんにより、パナマに運河建設をするパナマ運河会社の設立要請がまいっておる。この要請にこたえ、幕府として二十万円を出資するものとした。幕府のみならず、このパナマ運河会社へ出資をいたしたいものがあれば、幕府に申し出ればパナマ運河会社への株式と交換する手続きを代行する
幕府
五月三日
源氏物語『常夏』『篝火』を浮世絵化
日本橋 料亭梶
「『常夏』『篝火』を読みながらする話ではないが、今度はパナマ運河へ武士を派遣する話だって?」
「それが今回も派遣する人数が発表されていない。鼻つまみ者は樺太にいって鉄道建設に従事しているからねえ」
「では、これから派遣するものを決める人事が行われるのか」
「なんでもこの派遣をする者を決める人事権をもつ者の前では、下のものは相当猫のようにおとなしくなるそうだ」
「ああ、俺もきいたことがある『俺、人事権を振り回せる地位について初めて得をした気がした』といわしめる中間管理職もいるそうだ」
「今回は地球の反対側までとばされるからねえ」
「なにはともあれ、吉原に通う侍がしばらく姿を消しそうだね」
「捕物を担当する者達もはりきっているよ。獲物を見つければその場で捕まえよ。遠島流しなぞ比較にならん遠くに飛ばされるとわかっているんだ」
「それも工事が終了するまでは二度と本土の土地を踏めるかわかりゃしない」
「品行良好な士族ねえ。幕府は二十万円で志気を締めたといわれれば安い出費ではないか」
「そんなふいんきだから、横暴な武士がいなくなるのでは出資しないわけにはいきませんなという、お大尽がかなり現れたという噂で」
「幕府の出費を上回る治安向上、幕府への信頼度上昇をもたらすので幕府出費だがもう一桁大きくても問題ないのではないか」
水道橋駅会長室
「会長、パナマ運河会社への出資ですがなさいますので?」
「レセップ殿は同じ釜を食った仲だ。当然、出資をする」
「いかほどなさいますか」
「スエズ運河の配当金を一年分まわしてくれ」
「では、幕府にはそのように届けますが、一橋大学の運営はスエズ運河の配当金で行われていますが、その穴埋めはいかがいたしましょう」
「東海道鉄道株式会社の配当をその分まわしてくれ」
「では、そのように手筈を取らせていただきます」
「英吉利の出した目算では資本金が二億必要と出たか、これを一度で成功に持ってくればさすがレセップ殿といえるが、はたしてそれを可能とする環境が整うか否か、答えは十年後か、さてはて」
七月一日
水沢駅
「水沢発仙台行き一番列車、発車いたします」
「根室線は工事が進まないなあ」
「工事に取り掛かれる人数がまず違う。本音を言えば囚人にも手伝ってもらって工事を推し進めたいほどだ」
「とりあえず、江戸で募集した人夫を仙台まで鉄道で送り、そこから釧路まで蒸気船で工夫を送り届けているよ。はて、工事は今年中にすむかなあ」
「工事現場の条件もひどく悪い。ズポット沈みましたら、首を残して泥だらけになりましたというのはしょっちゅうだからね」
「沼があれば風土病がひどい。蚊に追いまくられる日々だよ」
「かといって冬季には工事にならない。工事期間は十一月をもって来年までの持ち越しだな」
「台湾に派遣した機関士がいうには、こりゃ台湾みたいだね。とにかく風土病が蔓延するかもしれやせんぜといってたよ」
「おかげで台湾から帰ってきた医者も雇って釧路にいくことをお願いしたよ。この医者に払う金は、お抱え外国人並みだ」
「工事が長引くのはやむを得んか、わが社は本土で利益を得ているから北海道に投資できるが、北海道に新規参入をする鉄道会社にとっては敷居の高い土地だな」
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