仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第64話

 1979年(明治十三年)七月十五日

 ポートサイド スエズ運河会社

 一フラン金貨 0.290 g

 一ポンド金貨 7.32 g

 一ポンド=25.2 フラン

 「レセップス殿に報告いたします。パナマ運河会社への投資ですが唯今、十二億フラン(約五千万ポンド)を越え、今年中には、二十億フランを超える出資が見込めそうです」

 「御苦労である。主な出資国はどこかね」

 「母国仏蘭西が大半ですが、その他ではジャポンから三千三百万フラン(133万円)を超える金額が送られてきております」

 「英吉利の方は?」

 「亜米利加よりも少ないですねえ。最も亜米利加もジャポンよりも少ないかと」

 「では、スエズ運河と同じような構図か。世界最大の海運国家である英吉利は此度も運河建設に敵対的であり、パナマ運河の最大利益を受ける亜米利加は、スエズ運河のおりのオスマントルコのように無関心であると」

 「そのようになっております」

 「で、友好的な国家は仏蘭西と関係が深いジャポンか。前回、スエズ運河を建設する際には浮世絵の売り上げをそっくりそのまま運河建設にまわせていただいたおかげで建設できたが、今回は一桁違う。私が求めた金額である五十億フランに届くのはいつになりそうかね」

 「残念ながらこのままですと、後三年は無理かと」

 「では、私がその会社の社長の椅子につくのも後三年は無理かと」

 「それはご勘弁を、各国に対する投資案件ではあなた様は大統領書簡でスエズ運河会社の引き継ぎがつき次第、パナマ運河会社の社長に就任する手はずになっております。このままのらりくらりと就任を先延ばしにされますと大統領の信用問題にもつながってしまい、そのまま各国から詐欺容疑での告訴が相次ぐやもしれません」

 「しかし、私が社長に就任する要件は、最初に述べたぞ。パナマ運河会社の資本金として五十億フランが必要であると。そのことは嘘偽りであったか」

 「いえ、その私たちも最大の受益国である亜米利加でもっと投資が伸びるかと予測していたのですが、同国は鉄道のストライキにみるように不況の真っ最中でとても海外の投資案件までに手を伸ばす余裕がないようで」

 「確かに、同国では鉄道に出資していた銀行はのきなみ莫大な負債を抱えるか倒産の憂き目にあっておる。環境が変わったといわれれば仕方ないか」

 「経済で順調なのは、仏蘭西とジャポンくらいですかね。昨年、露西亜とトルコの間で戦争が起こってしまい、両国からの投資も見込めません。英吉利は亜米利加に対する出資が多いため、亜米利加が不況ならばその影響も大きく被っております」

 「仏蘭西が主体となる投資に独逸が出資するわけもないし、このまま出資金は伸び悩みですか」

 「このままでは、そうかと」

 「では、私の社長就任も延期ですかね」

 「いえ、それでは仏蘭西そのものに対する投資が激減してしまいます。どうか、社長就任を引き受けてください」

 「では、条件を出しましょう」

 「できる限りのことは」

 「ます、私が社長就任をどこまで引き延ばせますか」

 「最大限引き延ばせるのは、スエズ運河会社の社長の任期が切れる来年の九月までです」

 「よろしい。その件はそういたしましょう。スエズ運河会社の任期が切れ次第、パナマ運河会社の社長へ就任する予定であると」

 「では、その件はそのように進めさせていただきます」

 「条件その二、やはり資本金は五十億フランは欲しい。これは最低限です。できるものならその二倍は運河堀に出資したいので、元手が五十億フランなければ後五十億フランの貸し出しをひきだすことができません。しかし、たとえ百億フランなったとしても運河ができる可能性は半々でしょうか。では、まず資本金五十億フランを目指して対策をとっていただきます」

 「いい手が浮かびませんが」

 「公共投資に対する投資を呼び込むために仏蘭西と日本で宝くじを販売してもらいます。宝くじの売上高の半分を配当に、手数料を除いた残りをパナマ運河会社への出資としていただきます」

 「確かに、それが可能であればパナマ運河会社への出資を膨らませることができます」

 「この出資金の良い所は政府からの出資であるために政府への出資金の返済は民間からの出資金よりも後回しにできることだ。では、この方法で来年九月までにパナマ運河会社への出資金はいかほど増額できる?」

 「全体で三十五億フランは、確保できるかと」

 「その金があれば、全体で七十億フランの運転資金ができるか。まあ、多少ましだな」

 「では、以上で来年の九月には社長就任を引き受けていただけるので」

 「甘い、私が求めたのは五十億フランの資本金だ。後十五億フランを埋めるだけのことはしてもらう」

 「そんな手があるので」

 「一番欲しい現場要員は日本人だ。今回彼らは派遣されるのかね」

 「今回は日本全国で動員命令が出ておりません。スエズに派遣される人数は、数百人でしょうか」

 「スエズ運河で同じ釜で飯を食った勝から聞いていたなあ。わしらは日本を背負ってきました。わしらがスエズで運河を掘って日本の後ろ盾に仏蘭西がついてもらうために頑張るんですと。そうか、今回はそのような切羽詰まった要因がないから、日本人の大量動員は出来ぬか」

 「レセップス殿、そういうわけで日本人の大量派遣は無理かと」

 「目下のところはあきらめよう。しかし、いついかなる時に戦争が勃発しないとも限らない。その折、日本が仏蘭西を頼りにするようなことがおきれば、代償として日本人のパナマへの大量派遣を要求しようではないか」

 「日本人にそれほど固執する理由がおありで」

 「彼らに求める資質は三つある。一つは箸文化の者たちに共通のことだが、君、亜米利加横断鉄道を完成した移民者は主にどの国の出身だったと知っているかい」

 「黒人のような全身のばねをもっているわけでもない。白人のように恵まれた体格をしているわけでもない、清国出身の者達が最終的に亜米利加横断鉄道を完成しましたのは知っていますが」

 「彼らが残った理由は知っているかい」

 「清人は極めて多かったことでしょうか」

 「それは、一番の理由にはならない。それは箸がもたらした文化だよ」

 「それほど、大きく変わるものですか」

 「箸でつまむことで手についた病原菌でも口にしないですむのも大きいのだが最大の理由は飲茶だよ。他の民族が生水を飲むのに対し、彼らは沸かした茶を飲むかそれが不可能であってもお湯を沸かして白湯を飲む。つまり生水から中る風土病に対する抵抗力が箸文化を共有する地域では極めて高い。私がスエズでともに働いた日本人をみて、彼らが生水から罹患する疾病をほとんど無視して働き続けてくれたのは大いなる称賛を与えたい」

 「しかし、それでは今回のパナマ運河建設では人数の多い清人を働かせれば済むのではないでしょうか。彼らにとって大陸横断鉄道を始めとする建設事業が亜米利加で止まってしまっています。彼らをパナマで働かせれば済むのでは」

 「それは次点の考え方だよ。日本人を大量動員できない間は、無論そうさせていただくがね。日本人が優れていることは彼らが持つ吸収力だよ。清人に中間管理職を任せるとどうなるかといえば中国にあることわざを利用させてもらうなら、『一人なら無双のように中国人は働く。二人なら普通に働く。三人なら全員サボる』を例に出すように一人一人に監視をつけなければならない中国人を中間管理職に採用すると、その部署そのものが停滞してしまう」

 「それは、中国人特有のものですか」

 「少なくとも日本人は違ったよ。スエズ運河建設の折、将来日本でも土木工事をしますので測量技術、機械の運用技術、機械の修理工といった部門にそれぞれ出向していた見習い日本人は半年もすればその部署を任せる中間管理職が出てきて、その部門を任せられるまでになった。今、日本は鉄道中進国にまでのぼってきている。それこそ彼らが持つ吸収力の証拠だよ」

 「わかりました。日本でできるだけたくさんの募集をかけてみます」

 「では、駄目出しといこう。日本にしかないものがある」

 「それはもしかして浮世絵ではないですか」

 「その通りだ。わたしもスエズで大いに助けられたよ。昨日までいがみ合っていた日本人と現地民であるエジプト人が次の日には仲良く日本人が持ってきた浮世絵を隣り合ってみていた。それだけで人類みな兄弟を実現していたよ。自己主張をしない日本人が世界中で愛される理由は、世界に広がる浮世絵の輪だね」

 「ですね、あれほど民族融合、ストレス軽減に役立つものはありませんね」

 「というわけで、私としては、日本とどこかと戦争なり戦争直前まで追い込まれて仏蘭西に助けを求めるというシナリオを君に描いて欲しいのだが」

 「残念ながら、それは期待にこたえられない可能性が高いです。台湾に日本人は戦争含みで派遣をされましたが、みごと清を欺いて現地に鉄道を走らせていますよ。極東の貿易商も喜んでいますが、現地民とのいざこざをおさめた浮世絵の力は少なくとも清人に対して極めて有効でしたが」

 「時期尚早ということにしましょう。そのうち、日本人をパナマに派遣させる案件が出てくるやもしれませんしな」

 「では、来年の九月まで私への指令は、宝くじを仏日で売りつける。次に不況の亜米利加でパナマ運河建設の人員募集をかける。その際、亜米利加横断鉄道の建設に従事していた工夫を優先して採用する」

 「そうだな、亜米利加であからさまに清人のみを集めるのは難しい。その中で横断鉄道建設に従事していた技能を求めるとすれば清人が多数集まるだろう」

 「以上が私のできることとなります」

 「では、最後に私が五十億フランの資本金を求めた最大の理由を君にだけお教えしよう」

 「それは、運河建設にそれだけの金がかかるからではないのですか」

 「私が融資として引き出す金を含めて百億フランの金を求めたのは、こんな理由がある。毎年五億フランの金を使ってゆくと資金枯渇まで何年かかるかね」

 「最初に五十億フランを集めれば、しばらく預金利息がつきますから後半に借金生活になっても二十年は事業が継続できます」

 「そして私の年は七十四歳。来年から社長に就任すれば七十五歳の社長だ。で、君が出資者なら私が何歳まで社長をすることを容認するかね」

 「最大限、八十五歳でしょうか」

 「つまり私は、八十五歳で社長を退き、パナマ運河会社の成功不成功を見届ける前に世の中から姿を消そうとしているのだがね」

 「私は、金策に全力を尽くします」

 

 

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