仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第71話

 1882年(明治十六年)五月二十日

 独逸内閣府

 「さて、労働者が加入する強制加入の労災保険は、議会を通過できなかったが、此度の外交はうまくいった」

 「はい、宰相の経済政策が独逸中に普及しつつあるためですが、独逸が列強となりつつある今現在、ヨーロッパ各国は我が国に警戒を強めていました」

 「いざ、有事の備えとして、墺太利と伊太利を巻き込んで三国同盟が成立した」

 「仏蘭西との仲は最悪ですし、独逸を上から押さえる強国は英吉利。仏蘭西が独逸の西の大国ならば、露西亜も仏蘭西と引き分けた我が国を脅かす東の大国です」

 「今度、仏蘭西に攻め込めば背後を露西亜が脅かし、仏蘭西を支援する英吉利という形が少し戦略をかじった人間なら誰でも容易に想像できる」

 「それに対処するための三国同盟です。露西亜に備えて墺太利を、仏蘭西の背後を脅かす伊太利という構図が出来上がりました」

 「後は、国内での独逸語圏は全て独逸が押さえるべしという汎ゲルマン主義の排除だな」

 「はい、宰相が推し進める満ち足りた独逸は国内発展のみでも十分であるというスローガンですが、この考えが世界に広がるために障害となっているのは仏蘭西が日本に作らせている浮世絵に登場する独逸を比喩した国の世界各国への浸透です」

 「その中で仏蘭西に遺恨を残した国は独逸語を話す地域であり全て一つの全体主義国家となるという風刺ですねえ」

 「まさに、汎ゲルマン主義そのものだが世の中に浸透しているのはこの像であり、各国の我が国に対する警戒となっております」

 「此度の三国同盟はむしろ、この風刺に引っ張られた感が強い」

 「はい、独逸語を話す国は隣の墺太利も大国です」

 「この墺太利が汎ゲルマン主義を引っ提げて東欧の覇者たらんとすれば、独逸も戦争に巻き込まれるであろう」

 「それに鎖をつけるための三国同盟となってしまいました」

 「忌々しい仏日同盟だ。世界各国に仏蘭西の敵たる我が国のイメージを低下させる破壊力は相手が文化国家だろうか、我が国の数倍の威力をもつ」

 「はい、絵画の分野に関しまして仏蘭西に太刀打ちできる力をもつ国はありません」

 「それに同調する国の一つが露西亜だ。最もそれを決定づけたのは私、宰相かもしれまいが」

 「露土戦争の折、我が国はどちらの立場に立つのもためらわれたため、両国の調停者に名乗りを上げ、ベルリン会議を開催したのですが、両者の中間的な立場をとった我が国の立場を露西亜が一方的に反感をもたれてしまいました」

 「確かに普仏戦争の際、露西亜は親独でしたから、そのお返しをベルリン会議で独逸が露西亜に有利な査定をひきだすのではないかと期待していましたが、なまじ期待が大きかっただけに公正な独逸に対し、露西亜はかわいさ余って憎さ百倍という嫌独が独り歩きしてしまいました」

 「それを行動で表わすのが露西亜だ。ベルリン会議後、その勢いでもって仏蘭西を露西亜の外相が訪問している」

 「その際のコメントは、周りをけむに巻くためどうしても富嶽三十六景美術館を訪問しておきたかったというものであったが、我が国に対する仕打ちともいえる行動でした。端的に仏蘭西に露西亜が接近したと世界はみなしましたから」

 「おかげで露西亜に対する政策は露西亜の孤立化をはかるというものだった」

 「この政策は、本来仏蘭西に向けてやりたいことでしたが、まんまと露西亜の孤立化を招いて、露西亜に親独の立場をとらせることに成功しました」

 「そして、仏蘭西には独逸に目を向けさせるのでなく、インドシナとパナマ運河にくぎ付けにさせた」

 「これで独逸にちょっかいを出す国はしばらく現れないでしょう」

 「私が宰相をしている間はぜひそうであってほしいものだ」

 「後は、労災保険が次の議会で通るといいですねえ」

 「有権者は、その代償となる煙草の専売の方に関心が向いてしまっているがね」

 「専売となるとたばこの価格が上昇するとみられると選挙で苦戦するかもしれません」

 「有権者あっての宰相か。国民のご機嫌とりこそ、最大の難関だな」

 

 

 七月一日

 栃木駅

 「栃木発水戸行き一番列車が発車いたします」

 「栃木から西への道はどっちだ?」

 「まっすぐに西進すれば太田駅が次の工事先か」

 「当初の目的は、栃木周辺に広がる桑畑等を八王子製糸工場に取り込むことだったが、桑畑が広がるのはやはり丘陵地であって桐生駅経由が妥当だろ」

 「桐生はすでに絹織物で有名なところだろ。桐生周辺の蚕は桐生で消費されるだろ」

 「一理あるが、外環状線はあくまで落合を貫いてゆく路線だから、関東平野の北限を通るのが大原則だ」

 「まあ、トンネルのいらない北限を通るのは、経済的にもおいしいけどね」

 「来年までの課題となっている一キロを超えるようなトンネルを掘れる地域を候補に挙げるものだが、大事な視点が抜けていないか」

 「技術力を養うのが目的だから、経済的なものではないだろうし、時短的な効果か?」

 「それも大事だが、トンネルを走るのは現在汽車だ。長いトンネルを掘ればトンネル内が煤煙にまみれるぞ」

 「あっ、乗客と機関士及び車掌の視点が抜けていたか」

 「どうしてもトンネルを掘らなければ結ぶことができない理由がなければ、トンネルを掘ったところで客車が煤煙混じりになってしまい、そう客に不愉快な経験をもたらすなあ」

 「例えば、熱海線の丹那トンネルを汽車で通過すれば、確かに十二キロも短縮できるが、乗客は八キロも煤煙にまみれなければならない」

 「八キロは忍耐の限界を越えてるだろ」

 「もしくは、トンネルを掘った時から煤煙を排出する換気を常時動かさねばなるまい」

 「煤煙は受動的にトンネル外に押し流すよりほかの手段をとれないものか」

 「とりあえず、トンネルを掘らねば代換え手段が存続しないものに限るようにしなければ」

 

 

 十二月一日

 益田駅

 「益田発下関行き、一番列車が発車いたします」

 「今回の路線延長は六十キロか、勘定方も納得してくれるだろう」

 「石見の国は、銀山あってのものだがここ最近は銀山としてではなく主に銅山になってしまったからなあ」

 「銀山であれば鉄道も多いに潤うのだが、そのうち閉山もあり得るとなると」

 「さっさと出雲の国を目指すのが吉だな」

 

 

 十二月六日

 インドシナ 阮朝府

 「我が国仏蘭西のものがトンキンで阮朝のものに拘束される事件があったとお聞きしますが」

 「アンリ殿、そのような事実はございませんが」

 「では、消息を絶った仏蘭西人はいずこへ」

 「さあ、我が国では把握できていませぬが」

 「消息を絶つ寸前に逃がした現地人によりますと阮朝の軍人に拘束されるのを目撃したと申すのですが」

 「そのものの見間違いでござろう」

 「現地を訪ねた調査員は、現地民からも阮朝の軍人に連れて行かれるのを複数人から確認しているのですが」

 「少なくとも我々には報告が上がってきておりませぬが」

 「では、勝手に探索してもかまわないと」

 「納得していただけないのであれば、やむを得ないかと」

 「了承した。こちらも勝手にさせていただく」

 「バタン」

 「やれやれ、戦争は回避できぬようだな」

 「遠からず仏蘭西との戦争は回避できなかったでしょう。こうなれば徹底抗戦をする以外ありますまい」

 「仏蘭西が攻撃を受けたら、朝貢先である清に援軍を頼め」

 「ははっ」

 

 

 十二月十日

 インドシナ 阮朝府

 「仏蘭西軍がハノイを占拠しました」

 「清に援軍要請を」

 「早速」

 

 

 一月十日

 阮朝府

 「仏蘭西軍大佐アンリを殺害いたしました」

 「初戦はいただいたな」

 

 

 

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