仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第84話

 1885年(明治十九年)四月十六日

 日出藩(豊後)江戸屋敷

 「堀江、残念ながら、来年の日本アルプスは、四国山脈に確定した」

 「お殿様におかれましては、ごくわずかな可能性に賭けまして我が藩にも鉄道が走るために奔走されまして、臣下一同感服いたしております」

 「美術部門で負けはしたが。これで城下カレイは、知名度が上がった。調理人等に礼をせねばなるまい」

 「その前に難題がございます。城下カレイは、侍しか食べることができません。調理人にしてみれば、勝つために最善を尽くしたということでしょうが、観光のためにこの地を訪れた者がいても観光客にふるまうことができねばがっかり名物として名を広められるでしょう」

 「よい、料理人に対する礼を尽くす。将軍に献上する城下カレイであるが、此度の栄誉をもって平民に対しても城下カレイの飲食許可を出そう」

 「しかし、どうやってそれを世間に対して発信いたしましょうか」

 「今回の栄誉に対して、祭りを開いてやろう。その場に平民も招待して城下カレイをふるまってやれ。それから、パナマに派遣した者の家族も当然招待してやれ。我はそなたたちの働きに感謝しておると伝えてやれ」

 「御意。では来月にも城下カレイ祭りの開催を実行させていただきます」

 

 

 前田藩江戸屋敷

 「蟹江、我が藩は加賀百万石にふさわしい文化都市ではなかったか」

 「御意、加賀友禅、金銀箔、和菓子等、百万石の名にふさわしいかと」

 「では、なぜ、日本アルプスの選考において、美術部門並びに職人部門双方で名をはせなかった」

 「申し訳ございません。近頃、料理というものは、仏蘭西料理の流れをくんだものが多く、それに対応するために、料理人を仏蘭西料理の習得させていたところ、駅弁は歴史の浅いもの、鍋は越前ガニを使って敗れてしまいました。次回以降、ぜひとも挽回をはかりたくあります」

 「ふむ、その策があるというのであれば申してみよ」

 「無い袖は振れませぬが、金沢に芸術大学を建設してはいかがでしょうか」

 「今は、そちの言うとおり、北陸線の建設で金がない。却下だ」

 「では、一橋大学の芸術学部に在籍している学生に対し、我が藩から奨学金を支給いたします。その代り、卒業後に制作された三点を日本アルプス百景美術館に提供いたします。人を育てる策を提言いたします」

 「そちの言うことは回りくどい。城下から浮世絵を召しあげればよろしいだろ。さもなくば、金沢にいる名工に新作を作成させ、同美術館に寄贈すればよいではないか。我が百万石にふさわしいものが美術部門に収まるではないか」

 「それは、大藩が有利でありなおかつ民間に散らばる浮世絵が藩に没収されるいわゆる浮世絵狩りという現象が起こってしまいます。日本アルプス振興会では、このような民に反感を買ういうなれば地域振興の対極にある行為がはびこるのを未然に防ぐために、今後、同美術館に収納される作品は、明治生まれの者に限定すると来年以降の審査基準に明示されております」

 「では、明治以前に生まれた名工の手で作成された作品も寄贈禁止か」

 「はっ、地域振興の名のもとにある日本アルプスの称号です。人を育てるのが最高の策かと」

 「では、そちの言う通りにするしかあるまい。奨学金制度の充実をはかれ」

 「御意」

 

 

 とある冊子より

 当時、日本より一番遠くて天国に一番近い所といえば、十人中八人がコロンビアをあげることだろう。コロンビアは、南亜米利加と北亜米利加が接続する北緯九度西経七十九度に位置する熱帯雨林気候の地である。その地が注目を集めた理由は、南北に長い南北亜米利加の大陸が同地では、わずか八十キロメートルしかない点である。仏蘭西人は、ナポレオン三世の治世下で開通したスエズ運河を誇りに思っていた。同運河は、全長百六十キロ。パナマ運河はその半分の距離を掘りさえすれば、開通するのである。経験豊かな技術者と同運河を粘り強く完成に導いたフェルナン=ド=レセップ氏がいる。そして当時の仏蘭西は、普仏戦争をひきわけ、三世の政治信条を継続したオスマン大統領がいた。財界は、オスマン大統領にもナポレオン三世が完成に導いたスエズ運河事業に匹敵するような世紀の事業を完成することを望んでいるだろうと、パナマ運河の開通に邁進するのであった。仏日双方で、運河開通工事が始まるまでにめどがついた金は、三十五億フランという莫大な金である。この金があれば、運河の完成は成功したも同然というフインキが仏蘭西財界には、蔓延した。

 三十五億フランというお金は、日本円で一億五千万円。幕府の財政は、天領八百万石(一石を150 kg とするならば百二十万トン)を基準としている。一円があれば米三十キロが買えた時代である。これをもとにするならば、四千万円が幕府の穀物収入の基準となる。もちろん、経済の中心は消費活動に課税する売上税に移行しており、幕藩の年間予算は、八千万円であるが、一億五千万円をねん出するために幕府は最低でも五年間をそのためのみに実行してようやく達成できるほどの額である。いうなれば、日本国を対外戦争に五年間費やしてやっとねん出できる金である。

 この運河建設に呼び出されたのは、通詞方一の仏蘭西通である勝海舟安房守であった。勝は、スエズ運河建設でレセップ氏と同じ釜の飯を食べ合った仲であり、日仏双方でレセップス氏の相方としてふさわしいとされ、パナマ運河会社の監査役に指名された。

 

 当時を勝は、語る。

 「俺はねえ、幕府にしてみれば扱いづらい人間だと思うねえ。一橋派の筆頭ともいえる慶喜殿に極めて、いや幕臣として一番近い人間だからよう、幕府の要人はできれば俺を閑職に追いやりたいわけよ。けれど、通詞として俺より仏蘭西語ができるやつはまあいないとは言わないが、仏蘭西政府うけが俺よりいい人間はいなんだよ。だから、日仏の会議があるたびに俺に声がかかる『やあ、久しぶり勝殿、スエズ運河開通後、三度目ですかねえ』てな具合よ。そんな俺だからこそ、『おい、パナマにいってこい』と言われた時は、あ、厄介払いできたと思っているだろうが、俺も行ってもいいかと思っていたんだ」

 「けどねえ、パナマにいってみると俺に監査役を押し付けてくれるわけ。数字がなんだ、そんなん知らんとばかりに勝家の家来に全て押し付けてやった。そしたらよう、そいつが暗算の達人だったわけ。仏蘭西人も脱帽の計算能力で監査役を全うできたわけよ。まあ、こんな調子ならいいか、監査を続けても」

 「しかし、俺も台湾の縦貫鉄道建設に従事した経験があったから現地の風土病である黄熱病にもまあ、あたりゃあしょうがないが、あたらなければ何とかなると思っていたのは、一週間だけ。台湾が亜熱帯で一年の脱落者が出た人数が、ここパナマの場合、何日で出たと思う。わずか、一月だぜ。台湾では、数千人が脱落、いっちゃあなんだが、死んだり重症患者となって本土に帰って行ったわけだが、現地民と併せて補充人数を下回る数だったんだが、ここパナマでは、そんな補充もままならない。今日同じ仕事をした同僚が右のやつが消え、翌日、左のやつが消え、翌々日には俺以外には誰もいなくなったという話がひっきりなしだった。これでまともな工事ができるかといえば、誰もそんなことは思わない。それ以前に、工夫の確保が最重要課題になってくるわけよ。80年から工事を始めたわけだが、工事の人員を確保するのが日々精いっぱい。一年で二千人ずつ、亜米利加からやってきた工夫が死んでいくわけ」

 「あの難工事と言われた亜米利加横断鉄道に従事した中国系のつわものが一月で現地病の恐怖におびえるわけよ。俺ができたのは、長期契約を盾に満期まで働かせるだけ。そしたら、二年三年経つうちに長期契約の期限満期が来て、歯が欠けるように人がひいてゆくんだ。こりゃ、資金はあれど、開店休業もまじかと思ったね」

 しかし、仏蘭西は起死回生の手をうってきた。亜細亜で起こった清仏戦争にオスマン大統領は賭けた。同盟国である日本の助けを必要としない勝利。それこそ、パナマ運河の苦境を脱する道だと。オスマン大統領は、賭けに勝った。仏蘭西軍のみで清に勝利して、実質、阮朝と台湾とを獲得した。その勝利の代償ともいえる台湾を日本に譲渡する代わりに、日本にパナマ運河建設を請け負わせた。

 

 勝は語る。

 「あ、そんな手があるのかと思いましたよ。台湾を受け取るからには、バタバタ死んでゆく中国系の後を日本人でうめなければならないと。おりゃ、ついでにパナマ運河会社の社長も押しつけられたわけだが、代わりがいれば真っ先にかわっただ。俺が社長をしている会社で日本人がバタバタ死んでゆくのを黙ってみているしかないわけだからよ。あんときは、神はいないと思っていたよ。死神しかパナマにいないとおもったもんだ」

 

 事実、日本人がやってきて三カ月、死ぬ人間が中国系から日本人に代わっただけであった。しかし、奇跡は起きた。物語は、温州みかんで有名な紀州の有田で始まった。

 紀州藩土木方を率いた鈴木一平は、幕営で開成学校の建築学部を優秀な成績で卒業後、故郷で藩の土木方を率いていた。母の名は、トメ。若くして夫を亡くしたものの一人息子の一平を遠く江戸まで就学のために派遣した肝っ玉母さんである。トメの唯一の懸念は、一人息子がまだ結婚をしないうちに、遠いコロンビアに派遣されたことである。コロンビアに派遣されるものは、片道切符で帰ってくるものは三人に二人いればいいといわれたほどであった。一平の他に、長男が派遣されたものはいない。しかし、開成学校で土木を修めて帰郷した一平の代わりは紀州にはいなかった。藩も長男をコロンビアに派遣しないという不文律を曲げての派遣であった。

 

 当時をトメは語る。

 「そりゃねえ、頭ではわかってますよ。一平の代わりはいない、だから、一平が派遣されるのは仕方がない。けれど、一平は私が腹を痛めて産んだ唯一の子。夫を亡くしてからは、それを乗り越えて江戸に就学のために送りだした。あほやね、江戸になんぞ就学させねばあんなことにならんですんだのに。もう、一平を送り出した後は、日々後悔の毎日でしたよ」

 そんなトメを見かねた隣宅の友人は、働いている方がなんもかんがえんですむんから、うちと一緒に香の会社で働こうって誘いだした。

 「そやね。働いている間が一番楽なら働こうと、毎日、有田にできた工場に働きに出かけましたよ。そして、日本を思い出して帰国する意欲が沸くのならと働いて得た金で工場の香を買い、パナマに送りましたんや。一分でも一平が帰国できるように願いました」

 一平は、パナマで受け取った香を昼となく夜となく焚いた。棒状の香を焚くのは、線香のようでいつ自分がその線香に焚かれておくられる立場に立つのかと思いもしたが、ここでは毎日が墓場であって、明日は我が身であるかと思った。

 そのうち、紀州藩を取り巻く仕事連中の間である噂がたった。紀州藩の連中は、風土病にかからないと。そして、紀州藩と同じ職場で働く連中ほど、風土病で倒れにくくなると。そんな馬鹿なと否定する者がいたが、熱帯雨林で頼れる者はわが身ひとつ。ほんのわずかな噂話でもすがりたいものであった。そして、紀州藩のテントは、いつしか仕事場の中心に配備された。これは紀州藩が中心にあり、その隣のテントは、日替わりで周辺部のテントと入れ替わった。そうでもしなければ、夜でも昼でも紀州藩の連中と仕事をさせろと取っ組み合いの殴り合いをし始めるのを防止するためであった。いつしか、その噂は、勝にも届いた。

 

 勝は言う。

 「そんなバカなことがあるかと否定しかかったが、現場の人間は現場を一番知っているわけだから、それを上から押さえてもしょうがない。だから、紀州有田の工場に問い合わせたんですよ『お宅はなんの工場ですか』と、帰ってきた答えは、『うちは蚊取り線香の製造工場や』蚊取り線香とは何でしょうかと問うてやりましたよ、そしたら、『蚊を駆除する香や』話半分でもいい、一厘の可能性にもすがって蚊取り線香なるものを日本から取り寄せましたよ。取り寄せた蚊取り線香なるものは、でっかい線香そのもので、これに火をつけるんかいと突っ込みたかったですが、とにもかくにもその線香を全ての職場に配って香を焚かせました。効果は劇的でした。もう、それは付近がかすむくらい煙くさくなりましたが、とりあえず一週間蚊取の灯を切らさないようにさせました。そしたら、風土病に倒れる連中が激減しました。やっと、明日になっても隣の連中が欠けるのを見なくてすむと言い出すやつもいましたし、これで夜も眠れると言い出す者もいました。おりゃ、社長を押し付けられて以降、初めてぐっすり眠れましたよ。これで、誰のメンツもつぶさずにすむ。日本と仏蘭西と各藩に対し、申し開きをしないで済むと。第一、地球の裏側に働きにきた連中を無事送り返すことができると。あの時が一番うれしかったですよ。侍にとって戦場に出ずに病死するのは一番の恥。パナマは、ほとんど戦場ですけど、これで勝ち戦に持っていけると。その足で、蚊取り線香の製造工場に連絡しまいた。工場で生産する製品を全て今後、半年間買い取ると。『あんたはん、そりゃうれしい。が、モノには限度っちゅうもんがある。全部は無理だ』そこを何とか『どがんして、それほどいるんだ』日本人を救うために、パナマで必要なんだといってやりましたら『蚊取り線香は亜米利加から伝わったもんや。パナマからなら亜米利加に注文すればよろし』気が動転してたんでしょうねえ。そんな簡単なことにも気がつかなかったとは」

 

 鈴木一平は、無事パナマから帰ってきた。トメはすぐさま、結婚相手を探した。トメはそのときすでに、日本の聖母といわれつつあった。侍十万人を救ったとか、有田に蚊取り線香という一大産業をもたらしたとか。トメの息子ならば問題ないと百人が嫁に応募したと言われた。今日はその祝言の日。トメは言う。わたしゃ、蚊取り線香というものをよく知らずに、説明の箱もなしでパナマに送ってたんよ。ただただ、単なる香だと思ってたわ。それが蚊取り線香の工場がいくつも並び、鉄道がやってくるわ、嫁の顔を見ることができるとは。今となっては、なあにも考えずに蚊取り線香を製造していた時代がただ懐かしい。でも、明日も工場に出かけるんや」

 

 

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