仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』

著者 文音

 

 第86話

 1885年(明治十九年)八月十五日

 増上寺

 「現将軍である家達殿は、田安家の出身。十四代の遺言により、慶応二年より十五代将軍となる」

 「将軍についた時が四歳児。あれから二十年目か」

 「二十四歳の将軍として、長男を出生したのが84年だから数えで二歳」

 「よいではないか」

 「まあ、後継でもめずに一歳の誕生日を迎えられたのだから、十六代目としてやっていけるであろう」

 「何か問題でも」

 「それが、後生まれた者達は、全ておなごなのよ」

 「そりゃ、答えにくいわ。一応、十六代目が生まれているわけだからきちんと将軍としての責を果たしているわけだしな」

 「寵を競うというのは、跡取りが複数人にいて将軍から次期将軍として指名されるのを枕元で競うものだが、後継者に指名できる人物が一人では血みどろの戦いは起こりようにない」

 「しかも正妻である近衛家の血をひくとあっては、これはひっくりかえりようがない」

 「大奥も天下泰平か」

 「でな、大奥はあいかわらず出版事業に邁進している。実際に出版物を刷るのは版元であるが、最近は源氏物語後を見据えた方針を指示している」

 「新たな金鉱でも探せか」

 「それはかなりうまくいっている。作家というものは、えてしてふてぶてしいものだ。出版物が売れなければ、出版元の売り出し方法が悪いと難癖つけるのだが、浮世絵に関してはそれが少ない」

 「それはそうだな。活字媒体で売れなければ漫画媒体でも売ります。中には子供向けと大人向けの漫画媒体と三通りの出版をしてくれる稀有な出版社だからな」

 「子供向けとなるとごちゃごちゃと難しいことを省略したものが多いのだが、擬人化した者もあるよな。八十日間世界一周の子供向けは、登場人物が犬で統一されたものだった」

 「よくぞ、世界中の犬の品種を登場させたものと評価した者がいれば。紅一点の印度人がこれでは魅力が伝わらないと大人向けも読むませた少年少女もいたが」

 「だから、活字媒体と漫画媒体で出版されれば作家も納得せざるを得ない」

 「で、世界中でカラー印刷の機械化が後ひと押しででてきそうだろ。だから、日本もその流れに乗り遅れないように、モノクロ印刷の平版印刷技術を習得しなさいよとなるのだが、版元は新たな難題を抱えてしまっている」

 「なんだ、モノクロであろうと絵画を印刷するのは難しいか」

 「それはいいのだが、活字数が二桁違う」

 「なるほど、西洋の活字はタイプライター向けともいえるように、十指で押せる範囲、一つの指に四つの記号を当てはめると四十字体ですむわな」

 「それを縦書きの日本語でやるとなると、入力媒体の主流となりつつあるタイプライターが使えないなど日本語向けにいじらないといけないんだわ」

 「必要文字数が数千語を用意せよときたか。で、版元は凸版印刷をするために活字の鋳造から始めなければならん」

 「せっかくできた活字にそれぞれ番号をふって、次はへの五四三番をもってこいと指示を出すか」

 「そうなると、一枚の文章を作る場合でさえ、よく使いかな文字などは一文字に百個ほど用意しなければならないから、活字を用意する倉庫が出来上がるときた」

 「笑えんな。版元も浮世絵で儲けていなければやりたくないことだろう」

 「しかし、しかるべきカラー印刷の自動化に備えていなければ今まで築き上げた作家との関係が一気に崩壊する。この信頼関係こそ、命綱とみる向きがある」

 「友好関係を維持できれば少なくとも西洋では仏蘭西が、東洋では日本が出版を牛耳ることができるだろう」

 「ふむ、清と朝鮮で独占的に出版物を発行しなければ。欧米に代わる市場の開拓をしとけか」

 「でな、良好な関係を維持していれば二次派生作品というものも引き続き浮世絵で出そうとなる」

 

 

 八月二十日

 『ハックルベリー=フィンの冒険』を浮世絵化

 

 

 十月一日

 日本橋 料亭梶

 「江戸瓦斯設立ときたか。なんでい、瓦斯ってなものは」

 「瓦斯とは広くは気体を指し示す。ほら、そこにある周りの空気だ」

 「そんな物が商売になるん訳ないだろ」

 「なるよ。空気というものは十種類ほどの元素がまじりあったものであり、これを冷やしてゆくと、単体である酸素、窒素、アルゴン、二酸化炭素等に分類できる。これを売買している会社もあるっていう話だ」

 「では、俺でもできるだろ」

 「無理だな。大規模な動力が必要だ。資本金を集めて初めて成功する商売だ。で、最もここでいう江戸瓦斯は、家庭で使われる七輪に代わって薪の代わりに燃料を売りましょうという商売だ」

 「そんなの今まで通りの七輪でいいだろ」

 「瓦斯の魅力はな。いつでもすぐさま使えて高出力だ。七輪をおこすために十分が必要だが。瓦斯なら着火三秒で調理ができるからたくさんの調理台を設置しているオテルなぞいい客だろうな」

 「では、水戸瓦斯という会社を後追いでおこす会社も出るのか」

 「それはないな。列車との相乗効果がない。駅で電灯はなくてはならないものになるだろうが、別に瓦斯はなくともかまわない」

 「でも、儲かりそうなんだろ」

 「このまま日本が発展してゆけば、儲かるだろうな」

 「では、参入か?」

 「いや、東京瓦斯の経営陣は信用と新規参入障壁をたったひとつの武器で成し遂げている」

 「そんな便利なものがあると」

 「それは、紙一つですむものだ」

 「あれか、貴社に地域独占権を与えるというお墨付きというものか」

 「もっといいものがある。お墨付きは世界を知らない幕府が出したものだがこちらは世界を相手に商売を広げていった識者宛に出したものだ」

 「誰、そんな幕府を上回るほどの人物は?」

 「では、これがその写しだ。

 株式会社東京瓦斯の発行株式数千株のうち、この証書をもつ人物が三十株を保有するのを証明いたす

   東海道鉄道株式会社社長 渋沢栄一   」

 「確かにこれはすごいな。東海道鉄道株式会社が大需要家であることを取り込んだものだ」

 「そして、仏蘭西を見てきた渋沢が資本参加しているのだろ。それに乗らない手はない。俺たちも江戸瓦斯の株を購入しておくか」

 「俺は、江戸瓦斯を使用してみるよ。きっと便利なものに違いない」

 「さらに東海道鉄道株式会社は大名家や幕府と関連が極めて強い。それを利用して江戸瓦斯の経営陣は、そっちにも営業を掛けるだろうな」

 「捨て三%がすごい意味を持つのだな」

 「初期投資という意味ではこれほど役に立つというものはないのさ。仏蘭西に滞在した時間では、日本人でとびぬけた実績がものをいうときもあるし、大会社の社長という肩書がものをいうときもある」

 「社長っておいっしい職業だ」

 「なんだ、渋沢は東海道鉄道株式会社の株式を保有しないでも副業がホイホイとついてくるんだな」

 「まあ、先に開業した江戸電燈もこうすればよかったと地団駄を踏んでいることだろう」

 「江戸瓦斯にしてみれば渋沢向けは金の卵を産んでくれる安定株主というところだ」

 

 

 1886年(明治二十年)

 一月一日

 ビルマを英領印度に統合

 

 

 一月三日

 会津若松駅

 「会津若松発郡山行き一番列車が発車いたします」

 「予定では、白川までの延長を予定していたんだが」

 「奈良にも路線が延びる予定が」

 「幕令一つでひっくり返った」

 「紀州有田まで鉄道を延ばせときたか」

 「おまけに、競合会社が電灯という商売を始めたんだが、導入しなければならんよな」

 「御意。発電所は摂津と山城の境である茨木におかれました。わが社が電灯を採用しなければ、京と大坂間の利用客は物珍しさも相まって同区間の利用を八条と中之島間を利用するでしょう」

 「はは、競合区間があるだけに同区間は利用競争が起きるか。負けるわけにはいかへん」

 「はい、初年度に最低、大坂と京の間で電灯を照らさねければなりまへん。残りの区間は次年度以降で構いまへんが」

 「一年ごとに最低限、京と大坂の区間距離である五十キロに電灯を設置してゆかねばなるまい」

 「草津より東に行く客に競合相手はいまへんが、利便性をけちった会社という風評は避けなあきまへん」

 「だが、これで幕府にはいいかしたこともあるんだぞ」

 「ほー、どんなことで」

 「再来年、白川越えをするから、本州にある関所を全廃してくれへんかと」

 「白河の関も事実上無視されるようになってから何年たったでしょうか」

 「常磐線を利用すれば、白川なんぞいくらでも無視できるからなあ。明治十年には、仙台近郊まで鉄道で北進することができたな」

 「関所の人間も暇だったでしょうね」

 「当社が今年白川まで延長できなかったせいで、後二年は白河の関が残ることになりそうや」

 「幕府にきっかけを与えてやることになるんですから、はやばやと白川の関所を取り払えばいいものを」

 「幕府も線路がひかれない間は、関所を廃止できぬ建前だからな。きっかけは重要だな」

 

 

 

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