仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第87話
1886年(明治二十年)三月二十日
日本橋 料亭梶
「独逸で蒸気機関車の競合相手となる自動車が特許をとり、発明される」
「なんでー、その自動車というのは」
「わかりやすくいえば、馬がいなくても走る馬車だ」
「機械化された馬車か」
「で、今まで存在した自動車もどきというものは蒸気機関車を小さくしたもので線路の上を走るのではなく、操縦者が梶を取ると進行方向を自由に操ることができたわけだが。いかんせん、蒸気機関を小型化することが難しい。自動車もどきは道を走るには重すぎる。特に石畳なぞ皆無の日本では、自動車もどきは普及しないだろうな」
「では、内燃機関を備えた自動車なるものは日本でも普及すると?」
「蒸気機関車が来た道をたどるといえるかな。初期のころの蒸気機関車は、線路を十本並べて、一斉に出発して優劣を競うものだった。最優秀のものに栄誉が与えられる競争だったわけだ。つまり、競争している間は一般人を乗せるほど技術が普及していませんのでしばしお待ちくださいといっているわけだ」
「ほう、ではその競争で優劣を競う期間はいつになると終了するか」
「蒸気機関車の場合、十九世紀初期に登場して駅馬車より便利なものと認識される時速二十キロが出せるまでになるまで、二十年が必要だった」
「自動車が駅馬車より早くなるまでとなると二十年と読むか」
「世紀が変わっちまうな」
「その頃までには、日本中に線路が張り巡らされるだろう。その後、五街道を馬車が通れる雨が降った日でもぬかるみのない道になるまでだとさらに十年かね。今のところ、金持ちのおもちゃというものだ。馬車に乗っている貴族が面白がって購入するようだ」
「貴族ねえ。日本にゃあ、そんな特権階級がないぞ」
「では、いきなり駅馬車の代わりに乗合馬車ならぬ乗合自動車として日本に普及するかね」
「話はかわるが、今度は海の話。仏蘭西海軍相手にひきこもりだった清海軍が砲艦外交なる戦艦のお披露目を始めたらしい」
「ああ、清仏戦争に間に合わなかった独逸で製造された二隻の戦艦か」
「昨年に就航した定遠と鎮遠を朝鮮と露西亜にお披露目して帰国の途につく予定であるらしい」
「十五代将軍は、その間に仏蘭西を訪れ、親善の旅か」
「すれ違いならば、問題あるまい」
「なんせ、前職大統領が最後に登場するひのき舞台といわれている。現職大統領との顔合わせも大事な日仏同盟に貢献するために必要であろう」
「本音は、これ以上パナマ運河建設で負担をこうむるのはごめんだな」
「将軍にお出ましいただくのは、これ以上は駄目ですよと釘をさすためか」
四月四日
長崎奉行所
「清の北洋艦隊四隻が朝鮮を目指して出航したとの報告が入ってまいりました」
「内容は?」
「戦艦二隻、防護巡洋艦一隻、砲艦一隻とのことです」
「後半の二隻は、幕府でも対処できようが、定遠と鎮遠の二隻の戦艦がな」
「西太平洋で正面から応酬できる船舶は今のところ存在しておりません」
「そのための清仏戦争でのひきこもりか。さて、日本近海まで出てきたときの対処はいかがいたそう」
「戦艦は足が遅い船です。逃げるのが吉かと」
「そうよの。三十センチ砲が二基四門で、これがあたると助かる軍艦は日本にはない」
「戦艦はいまだかつて沈んだことがないとききます」
「排気量七千トン、三十五センチの装甲をうちぬける砲弾は我が国にはありません」
「我が国にある扶桑は二十四センチのクルップ砲を四門装備しているが装甲は二十センチほどだ。しかも一隻しかない」
「向こうは例え一隻と差し違えたとしてももう一隻の戦艦がありますからね」
「とりあえず、情報収集を継続せよ。清人の操縦方法まで朝鮮と露西亜まで追いかけて対策をたてるための資料を作成せよ」
「では、朝鮮と太平洋側の露西亜で軍港を見張らせます」
「頼む。六月には、現職将軍として初めて海外まで出掛ける公式行事が待っている。将軍不在の間に不測の事態が起きないように最善を尽くせ」
「はっ」
六月二十日
品川港
「装甲船扶桑に乗って、仏蘭西まで四十日の旅か。さすが将軍お召船」
「まともな軍艦がこれしかないのだからやむをえまい」
「朝鮮でも二隻の清海軍戦艦は威圧を掛けたな」
「朝鮮は、鎖国が長かった国だ。二隻の戦艦に睨まれては黙るしかあるまい」
「さて、露西亜はどうでるか。戦艦には、戦艦をぶつけるしかあるまいが」
「露西亜海軍の第一は黒海海軍であるからな。太平洋側には戦艦は見当たるまい」
「大国であるが上に、艦隊を西と東に二つ用意しなければならない地理的要因か」
「太平洋側では、やはり定遠と鎮遠の二隻の砲艦外交はすさまじいよ。これで威圧されない国は、仏蘭西と英吉利、独逸、亜米利加しかあるまい。後、黒海海軍の露西亜くらいか」
「いわゆる清に圧力を加えられる国か」
「一応、日本も清に対しては仏蘭西のおかげで関税の設定も日本でできるし、裁判権も日本が握っていられる国なのだがな」
「いやいや、それは清仏戦争が終結するとともにひっくり返った気がするのは、日本国民すべてが感じていることかもしれない」
「とにもかくにも日本はパナマでの土木工事が一段落するまで戦艦を建造する余裕はないな」
「とりあえず、日仏同盟を活用しようぞ。日本が戦艦を建造する金がないのは、仏蘭西のせいでもあるのだし」
「それでは、せいぜい日仏友好といこう。帰国は仏蘭西を十月に出て十二月に帰国となる見込みだ」
七月二十五日
イスマイリア
「上様、ここスエズ運河を越えますと紅海を抜け、地中海に出ます」
「ふむ、聞いたところによれば、パナマに出向している勝もこの地で運河建設に人と指揮を執ったということだが」
「はい、仏蘭西に信用してもらうためには日本はアラブ人に交じって運河を掘るしかありませんでした」
「そうか、それも三十年以上前のことか」
「はい。この地で五年間運河を掘り続けることはそう難しいことではありませんでした。しかし、パナマは二倍以上の年月がかかる予定です」
「パナマ運河の完成まで十数年か。仏蘭西は同盟国たる日本をすりつぶすつもりか」
「しかし、仏蘭西がなければ我々は清のように欧米の大国に不平等条約を押し付けられて、国内から金銀が流出し続け、民は疲弊し、幕府はその怨嗟により倒幕もあり得ました」
「外交とは難しきものよ。とはいえ、我にできることは老中が決裁した書類に判子を押すだけだが。なにはともあれ、我が出向かなければならない用事は大事であろう。なんせ、いたずらに欧米かぶれとなり、老中の操作をたちきる危険もあり得るものを」
「仏蘭西は、富嶽三十六景美術館開館三十周年記念に一橋慶喜公の出席を求めましたが、これを拒絶するわけにはいかず、それ以上の地位のものとなれば上様しかおりませんゆえに」
「老中も国に帰れば、東海道鉄道株式会社に線路をひいてくれと日参するか、中山道鉄道株式会社をたきつけるしか、自国に鉄道を引き込む術がないわけであるから、領国支配となると、慶喜公に頭が上がらないのはどの大名も同じだ」
「それは仕方ありません。かの吾人は、仏蘭西と日本の間で太いきずなを築いております。それに手を出すのは、老中とてできません」
「我にも渋沢のような忠臣がいれば、日本全国をくまなく回れる自由があるかのう。将軍といえど、此度の旅は慶喜公の代理としてふるまうしかるまい」
「仏蘭西の前職、現大統領の二人の顔を合わせるまたとない機会です。仏蘭西の助力が得れれば、老中どもに否といえる立場に立てるのではないでしょうか」
「まあ良い。国外に出かけるなぞ、二度とあるまい。幸い、十六代目は日本に残してきた。そっちの方が老中連中にしてみれば大事かもしれぬが。どうだ、我も金髪美人を側室にしてくれと仏蘭西政府にいえば用意してくれるであろうか」
「どうでしょう。仏蘭西に日本は貢献しておりますので、考慮をしてくれるでしょうが、仏蘭西は革命を実行した国です。自由平等博愛の精神が息づく国です。ご自分でお探しあれとくるのではないでしょうか」
「そうか、そう気まじめに取るな。いってみただけだ。これ以上大奥が膨れるのは見たくもない。大奥がない世界もよいぞ」
「では、八月一日から四十五日間は、仏蘭西各地での歓迎会が催されます。どうか、その場でお気に入りの者がいれば、口説かれてはいかがでしょうか」
「我は、慶喜公と違い仏蘭西語が話せぬ。口説くのに苦労するのは目に見えておるわ」
「しかし、ダンスは習われたのでは」
「習ったな。そのために大学校から講師を呼んだほどだ」
「後、日本のみかんは缶詰ですが仏蘭西に広く普及しているとのことです」
「それは、大奥でさんざん聞かされた。私もいえ私が上様にお付き合いして仏蘭西にいきますと言って譲らなかったので置いてきた。大奥の仏蘭西びいきはすさまじいのう」
「それでは、仏蘭西料理でも問題ありませんでしょう。後、四日で仏蘭西のマルセイユに到着いたします。それまで、家庭教師から仏蘭西語の講習を受けられますように」
「ふむ」
八月十四日
江戸城
「長崎奉行所より電報が参りました。至急、老中に連絡を取りたいと」
「いかがいたした」
「長崎で出島に上陸いたしました清国水兵五百人が武士や人力車車夫二百人と殺傷沙汰となりました」
「清は、日本と戦争を始める気か?」
「長崎奉行は、水兵が気まぐれに起こした事件との見方をしておりますが、長崎の出島は、略奪に婦女暴行、器物破損多数と地震が通り過ぎたかのように散乱しているとのことです」
「清は気が違ったか。日本国で発生した事件は、日本人が裁く。これに異議を唱えて戦艦二隻を背景に戦争をする気か?」
「とりあえず、騒ぎを起こした五百人は、全て牢に閉じ込めているとのことです。長崎奉行曰く、全員遠島流しにすると息巻いております」
「老中に異議がなければ、一週間後、沙汰を出すと」
「昔このようなことがあったなあ。全権大使に意見を聞いてまいれ」
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