仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第89話
1886年(明治二十年)八月十七日
紫禁城
「本日の議題は、十三日に長崎で起こった清国水夫五百名の拘束のすえ、二十日にも現行犯で島流しにされる同胞たちへの対処でございます」
「今こそ、北洋大臣として言わせていただきます。何のために清仏戦争の折、軍艦を保持したのかと。今がその時です、日本に対し、堂々宣戦布告をすべきです」
「李鴻章北洋大臣に問う。日本に宣戦布告をするのは良い。しかし、日本は仏蘭西と同盟を結んでいる。当然仏蘭西相手に勝てる策をお持ちということですな」
「太平洋において、定遠と鎮遠に勝てる船舶はござらぬ。制海権はこの二隻が担えばよい」
「それは、ここにいる誰もが反論する余地はござらぬ。しかし、日本は海戦を選択しますかな?」
「あの猪侍の日本であるから、我が北洋艦隊が日本沿岸まで出かけて砲弾を陸に向けて打ち込めば、艦隊決戦に至るのは間違いござらぬ」
「では、改めて北洋大臣に問う。もし仮にではあるが、そのような緊急事態になっても日本海軍が応戦に応じなければ、日本を降伏もしくは、一方的な勝利に清を導くことができますかな」
「その時は、日本側に上陸作戦を決行するしかない。第一目標は、清仏戦争で喪失した台湾の淡水だ」
「その台湾ですが、日本は我々に察知させずに台湾縦貫鉄道を完成したとか。なんと、清国初の鉄道は、台湾縦貫鉄道になるとか。当然、台湾に在住している現地民と福遣省出身の者達は、日本につくと思われますが、地の利は日本にあり。それでも勝てますかな」
「数のごり押しで行けば勝てる。清国陸軍は、百万人。これに対抗するすべは日本にない」
「それはどうでしょうか。その清国陸軍ですが、清仏戦争の際、太平天国の流れをくむ黒旗軍にいいようにあしらわれたと記憶に新しいのだが、それをお忘れか」
「なぜそこで、黒旗軍が出てくるのだ。日本軍とは関係ないはずだ」
「お忘れかな、北洋大臣。日仏は同盟国。日本に攻め入れば、当然同盟国たる仏蘭西は清に攻め入る権利を獲得するのだよ。我が国が日本に兵力を向ければ、清と国境を接している阮朝より攻め込むのは必然。その先方は、わが軍が一方的にあしらわれた黒旗軍だ」
「そこに手抜かりはない。阮朝との国境線は、すでに清国陸軍でありのはいでる隙間もないほど固めている」
「それは、清仏戦争の折もきいたなあ。しかし、黒旗軍にいいようにあしらわれたと記憶しているが」
「前回は、阮朝での行軍であったから失敗したのだ。陸軍は、阮朝国境線を固め、台湾に海軍を中心として攻めれば勝利は三カ月もあれば間違いない」
「それは、情報不足ではないかね、北洋大臣。我が国は国境線が世界有数といえるほど長い。幸い、北洋大臣のおかげで露西亜には相当な領地の譲歩をしようとしたおかげで私がウイグルで回族の反乱を鎮圧する必要があったほどだが。で、清露間は友好だが、私が得た情報によれば海軍が日本と、陸軍が仏蘭西とことを構えた場合、印度を押さえている大英帝国がビルマ方面より侵攻するとの情報を得たのであるが、これに対する対処を問いたい」
「それは初耳だが、それは事実かね。まずそこを問いたい」
「ビルマが英領印度に組み込まれたのは、今年の一月だが、ビルマを安定させる手段の一つは、国外に敵をつくることだ。清対日仏の戦いが没発すれば、大英帝国はビルマよりチベット方面に進出してくるだろう。なんせ、日仏と清がかかりきりになっているのだ。それこそ破竹の勢いで四川まで進出してくるといえないか。私としては、この可能性は極めて高いといいたい」
「「「ありえますなあ」」」
「諸君に問う。敵を増やすばかりの思考はいかがなものか。我が国の戦艦を作った独逸は、仏蘭西の仇敵。仏蘭西が日本につくのなら、独逸は敵の敵は味方だから、清についてくれるのではないか」
「それも一考。しかし、独逸は東アジアで拠点がない。北洋大臣、それは我が国に味方をする代わりに独逸を清国内にひきこみ、領地を咀嚼して差し上げるのかね」
「いやいや、そのようなことは断じてない。それこそ、香港の二の舞だ」
「では、独逸を戦争に引き込むのは独逸に利がないではないか。むしろ、清と日仏の間で戦争が勃発した場合、それに乗じて我が国に領土をかすめとる条約なり秘密協定をもちかけるといいたいが」
「独逸を戦争に引き込むのは百害あって一利なしだ」
「北洋大臣。そもそもいつの間に我が国は日本を仮想敵国に設定したのかね。私は、苦労してウイグルを鎮圧したのも露西亜と回族が結びつくのを阻止するためだが、あくまで我々清は、仮想敵国を露西亜と定め、露西亜太平洋艦隊とことを構えるために北洋艦隊は存在すると以前から主張しているのだが、私は間違っているだろうか」
「ま、間違ってはいない。我が国の国境線は、二万キロ余り。そのうち露西亜と接する距離は過半数を越える。両者間でのいざこざも日本とのいざこざを一ケタ上回る」
「日本は、我が国に攻めてくる船舶がない。わざわざ敵対国を増やす必要はないといいたいが。どうであろう、もし仮にここで日本と戦争に及ばなければ、仮に露西亜との戦争に及んだ場合、日本からも援軍が期待できるのではないか」
(おのれ、塞防派のやつらめ、ちっとも海防派に協力しない。日本と戦端を開くいい方法はないか、せっかく戦艦に乗っていた兵士をたきつけて長崎で暴発させたものを。しかし、五百対二百で水兵が侍に負けたのは隠さねばならぬ。もし万が一、そのことが外部に漏れるようなら水兵五百人は恥さらしとして切り捨てられる)「北洋大臣。そもそもことの発端は、我が国の水兵が人道的見地から長崎の一角に上陸を許可されていたのにもかかわらず、それをふりきって市街地に飛び出してきたせいではなかったか。これで戦争を仕掛けるとなれば、上海に租界をもつ強国はいつ租界に攻めてこられるのではないとが不安になり、租界領土をもつ各国は連携して清に仕掛けてくるのではないか」
「それは問題ない。上海租界と上海間とは兵士を並べ、上海租界に武器を持ち込もうとするのを検査する体制はすでに達成されておる。ゆえに上海租界の監視は問題ない」
「北洋大臣、我が国は太平洋天国の乱を皮切りにアヘン戦争、清仏戦争と戦争が続発しておる。できれば、国内問題に専念したいのだが」
「しかし、我が国の水兵五百名を見捨てるという理不尽なことをしたくはない」
「北洋大臣、水兵五百名だが乗船してから経過時間はいかほどで」
「定遠が就役したのが昨年十月、まだ一年は経過していないが」
「では、水兵といえど一年が経過していないものが多数ではないか。半数の水兵が残っているのであれば、再建は容易ではないか」
「しかし、それでは軍に対し示しがつかぬ」
「彼らは虎の威を借りた狐ではなかったか。異国で問題を起こしたのであるから、現地の法律で裁かれたでよいではないか」
「それとも何かね、水兵というのは問題を起こしてもそれをあやふやにしておけと」
「そ、そんなことはない」
「では信賞必罰で今回は日本と戦争に及ばぬで良いではないか」
「や、やむをえぬ」
「よろしい、では、今回、日本の法律に従うと国をあげて広報しようではないか」
「沈黙を貫くで十分と思われるが」
「ま、北洋大臣がそうおっしゃるのであれば今回沈黙を貫きましょう」
「では、今日の議題はここまでといたします」
八月二十二日
江戸城
「トコトコトコ、海軍奉行、清からは何も言ってはこぬか」
「ご老中殿、それはいったい何度目の問いかけでございましょう。清はいかなる声明を出しておりませぬ。清国水兵を島流しにすると発表いたした後、不気味な沈黙でございます」
「トコトコトコ、わかっておる、しかし、戦争というのは、開戦の宣告がないまま、突然、台湾に攻め込まれる場合がある。私はその際に取り乱したくはない。だからこのようにこの間で静かに歩きまわっているのだ」
「果報は寝て待てという言葉もあります。落ち着かないのであれば、寝ていてはどうでしょう。もし万が一、有事となればおこして差し上げますが」
「い、いかん、それこそ眠れぬ。今は時間をつぶすためにもこの間に待機しているだけでよい」
「我々は、最善を尽くしたつもりです。同盟国たる仏蘭西をはじめとする周辺各国に清と日本との間で戦争がはじまりました場合、日本に友好的な態度で臨む言質を取ったのでございます。それともなんですか、我が国にも戦艦を購入する金があるとおっしゃるので」
「ない、それだけはいえる。パナマ運河が湯水のように金を食うのだ。そんな余計な金なぞない」
「でしたら、それを押し付けられた仏蘭西に頼るほかありませんでしょう。もう我々の手には負えぬのですから」
「しかしなあ、ここ一番で仏蘭西は頼りになるが、そのなんだ、我が国が戦艦を購入できぬ理由も仏蘭西のせいだとあれば、納得しがたいものがあるのだが」
「世間では、今回の事変で戦争回避になればさすが仏蘭西、同盟国は頼りになりますなあ。仏蘭西こそ、同盟国にふさわしいという論調となりますが」
「わ、わかった。世間の風潮に従おうではないか。今日がもし無事に過ぎ去れば、世間もパナマに我が国の金をつぎ込むのを納得しようではないか。パナマ運河が完成するまでつきあおうではないか」
「それでこそ、ご老中というものです。もう今日も後二時間で日没です。大方、目的を達成したのではございませんでしょうか」
「何を言う。台湾時間は、時差の関係でもう一時間ある、後三時間だ」
二十三日
「朝日がこれほど眩しい日はないな」
「御意」
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