仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第93話
1886年(明治二十年)十月五日
パナマ市 パナマ運河会社
「蚊取り線香に勝てなかった医者だが、此度の援軍は強力ぞ」
「我々が日本にいない間に、一橋大学で医学部でもできましたか」
「それよりもっと強力だ。仏蘭西大統領から、パナマに仏蘭西の医学者を派遣したいと言ってきた」
「向こうの利点は、どこかで蚊取り線香を使いたいとか」
「そういっていたな。アジアから矛先をアフリカに向けるために、パナマで情報収集は大事なこととなるであろうと」
「我々が実験につきあわされるのでしょうが、おあいにくと黄熱病とマラリアに罹患している作業員はいなくなりましたが」
「それでよいのであろう。現地で風土病にかからないことこそ、先方の求めていることであろう。罹患患者は、周辺に住む現地民を連れてくれば良い。罹患地でありながら、医療従事者が罹患しないことこそ、仏蘭西が求めていることであろう」
「そんなもんですか」
「要は、仏蘭西人が風土病に罹患しないことを確かめるためにここに派遣するのだ。医者が風土病にかからないとあれば、そのうち病原というものを同盟国は見つけるであろう」
「そんなもんですか。ともかく、土木作業をしているんで、外科系の手術ができる医者を連れてきてくれれば、万々歳でっせ」
「そこまでは先方と話をしなかったが、それで幕府に対する要望というものはあるか。せっかく頭が来たんだ。我が幕府に要望すれば話が通りやすいものもあろう」
「でしたら、ここに派遣される者の年季を三年と決めていただきたい。スエズ運河建設は、五年と目標が定まっておりましたが、パナマでは、すでに七年目に入っておりますが、当初、風土病に対するのに精一杯だったせいで、進捗状況は三分の一といったところです。希望者は、三年の年季があけましたら帰国させる手続きをしていただきたい」
「ふむ、もっともな要求だな。それについては、わしから老中に伝えておこう。で、進捗状況が三分の一か。では、完成まで後十五年か」
「目標は、後十年ですねえ。蚊さえいなければ、熱帯雨林気候というのは、スエズ運河建設の際よりも労働環境もいい。そう悪い作業場でもなくなりましたよ」
「そういってくれると助かるのう。しかし、残りの工期を考えると十九世紀は、スエズに始まってパナマに終わるといわれるか」
「そうも言ってられませんよ。前社長は、八十五歳を経済界から足を洗う年だとされましたから、あっしもそれに習うつもりでっせ」
「ということは、次の社長を擁立させねばなぬか」
「仏蘭西側に人事権がありますが、筆頭株主である先方が望まなければ、第二位の日本が社長をたてなければならぬでしょう」
「一難去ってもう一難か。で、それはいつのことか」
「あっしが社長をやめるのは、後二十年ありますが、この未開地で過ごした体でっせ。そこまで体が持たないでしょう。ですので、後五年で社長をひかざるを得ない容態になるとみているんでやすが」
「わかった。そちがいなくなると困るのは、老中連中だ。至急、仏蘭西との協議をしたうえで、次期社長を仏蘭西側が要望しなければパナマに送る。社長という職務を一からたたきこまねばなるまい」
「現場をまとめる力は、そうそう身につくもんじゃない。十五年後を見据えてお願いしまっせ」
「しかしのう、勝よ。今までそのような話を聞いたことはなかったが」
「老中連中は、あっしの報告を担当者一人に任せていたようで。その担当者も今月の死傷者数を見るだけだったとききます。要するに、数年間の老中職を全うできれば先送りしてもかまわないという魂胆でしたのでしょう」
「最近は忙しかったせいもあるだろう。日清戦争が勃発する寸前までいったしのう」
「ああ、今月やってきた元清軍水兵の五百名か。一番死傷率の高い所で働かせるべしというのは、そのせいだったんやすか。めんどくさいんで、仕事場に散り散りとなって組み込みやしたが」
「逃亡の可能性がなければ、現場の裁量というものか」
現場
「島流しにされたアルが、そう悪い所でないアル」
「むしろ、戦艦に乗っていた時より待遇は良いアル」
「飯は、現場指揮者と同じ。日中働けば、夜間は何も要求されないアル」
「娯楽は、浮世絵で結構いいアル」
「後は、女さえいればいうことないアル」
「それは無理アル。ここに送られた連中は長崎で女目当てに柵を越えてきた連中アル。欲望ぎらぎらアル」
「「「むなしいアル」」」
十月六日
パナマ埠頭
「殿、御無事で何よりです」
「それはわからんぞ。風土病というものは、三日後ぐらいから高熱が出るときいた」
「では、途中でハワイに立ち寄らせていただきます。ハワイ以外、医療従事者がいる島はみあたりませんので、そこで一度検診を受けていただきます」
「やむをえんな。ハワイに上陸するしかあるまい」
「それでは、この迅鯨にて品川までの船旅となります」
「まかせた」
十月十九日
ハワイ ハワイ島
「殿、ハワイ島につきましたが、カラカウア王にあいさつをされますか」
「上陸がてら、申請をしてみよう。先方が望めば謁見といたそう」
「先方は、81年に日本を訪問されている方です。我が国に対する理解もあると思われます」
「弱ったな。先方が欲しがるものがわからん」
「では、鮭缶を贈ってはどうでしょうか。鮭は、北洋でしかとれませんので、赤道直下の地では珍しがられるかと」
「では、そういたすか」
王宮
「日本国を代表いたしまして、徳川家達が謁見に参上いたしました」
「これはこれは、将軍。日本の支配層とは、七年ぶりのこととなるかな」
「カラカウア王におかれましては、此度パナマ運河建設の際、寄港地として日本は大いに助かっております。日本を代表いたしましてお礼申し上げます」
「なんの、なんの。日本の移民は働き者。そして、コロンビアにいく船がハワイに寄港してくれれば、それだけ様々な産物が入荷するというもの。日本は訪問して楽しい国でしたから」
「此度、仏蘭西からの帰り道にハワイに寄港いたしました。熱帯であるコロンビアで食するに便利な鮭缶を寄贈に参りました。日ハワイ友好のためにお受け取りください」
「ほう、日本は西洋で生産される缶詰を生産されるようになりましたか。着実に工業が進展されているようですなあ」
「ハワイは、台湾と琉球の競合相手として砂糖の生産に特化されていらっしゃるとか」
「そうだが、ハワイは亜米利加と互恵条約を結んだばかりでね。全量、亜米利加に輸出するだけになってしまった。無論、無関税だからこちらとしては文句のつけようがないのだが、もっと日本からの移民が必要だね。日本からの移民は、最近国外に出たがらないものが増えたようでどうにか移民を増やしたいのだが」
「それは、どうともいえません。ハワイが亜米利加と強く結び付かれたように、我が国は仏蘭西と同盟関係にあります。ただいま、日本の労働力は、パナマ運河建設に引っ張りだこであり、移民として海外にでなくとも、浮世絵、缶詰、蚊取り線香の労働者をこちらが求めている次第でして」
「では、移民は現状維持が精いっぱいか。では、ハワイは日本船の寄港地として発展をして行こうではないか。こちらからは、ムームーを贈らせていただこう」
「握手握手」
十月二十日
紫禁城
「北洋大臣、将軍を乗せたお召船ですが、どうやらジブラルタル海峡を帰路で通過していないのを確認取りました。また、スエズ運河も行きのみであります」
「ということは、大西洋を西に進んだか」
「故障をしていなければ、そうではないかと」
「では、印度に派遣した諜報を撤退させろ。将軍は虎口を抜けたと」
「空振りに終わりました」
「運の良いやつだ」
十二月三日
神田 屋井乾電池会社
屋井乾電池御中
東海道鉄道株式会社は、貴社の電気時計を試験的に購入してから三カ月がたとうとしております。駅に電線がひかれたものの、日中、停電が皆無ということはなく、停電のたびに時間合わせをする必要がなくなったとして、貴社の電気時計は、いつでも正確な時間が示されており、その性能には満足する出来栄えでして、クロノメーターに匹敵するものと大量購入を検討するに至りました。しかし、わが社は、北は北海道から南は鹿児島まで日本列島そのものに鉄道を張り巡らせている企業ですが、先日、釧路で、今月一日には仙台で、貴社の電気時計が故障する事態に陥りました。貴社の担当者が調査したところ、電池の溶剤が凍結したために時計が止まったと報告されました。このままでは、弊社の時計を購入するのは、九州地区のみとなりそうです。本州と北海道に試験的に置かれた時計は、全て九州に配置することになりそうです。よって、来年納入される時計は、二十個を予定しております
東海道鉄道株式会社 購買担当 安達春臣
「はは、冬季に使えない半不良品として弱点が出てきたか」
「しかし、貴方、時間の正確な時計として認められたのでしょう」
「そうだな、先方はわが社の製品を評価してくれた。なんとか、釧路で売れる連続時計を製造できれば、日本中の駅でわが社の製品を置いてくれることになる。これ以上の販促はない」
「とりあえずは、二十個の納品をしてから考えましょう」
「そうだな。日銭を稼がねばならぬ。その後、寒冷対策をしよう」
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