仮想戦記 『東海道鉄道株式会社』
著者 文音
第96話
1887年(明治二十一年)四月三日
パリ外郭
「日本人なら四月は、花見だよな」
「桜は、去年植えたばかりだから花は咲いてないが」
「今年は、酒盛りも控えることにしよう」
「何もしないのはさびしいから、茶をたてるか」
「まあ、あれだ。芸術の都パリにふさわしくない行為として、花見でどんちゃん騒ぎをするのは当局の許可が下りないかもしれないけど」
「それは、俺たちの血と汗の結晶である桜並木が泣いているぞ」
「どうにかして、酒盛りがしたい。後二年は我慢するから、策をたててくれ」
「茶をたてているふりをして、酒を茶器に入れてみるか」
「日本酒と焼酎、甲府産のワインを並べて日本酒類連盟の後援で、仏蘭西におけるきき酒と大商談会を開くか」
「うむ、それでいこう。準備をする期間は後二年ある」
「では、二年後の当日までに日本酒のうまい浮世絵を富嶽三十六景美術館の持ち帰り作品に加えるぞ」
「その販促費は、日本酒類連盟から分捕ってきてやる」
「で、どんな作品がいいか?酒の販促には」
「改めて考えると酒が主題である作品とは浮かばんな」
「まず、女が出てくる作品は清酒を仕込む最中、穢れだとして削除されるだろうしな」
「思いつかんな」
「いっそ、名工の作品中に加えるか」
「日本酒ができるまでを杜氏に語らせてワイン王国である仏蘭西に殴り込みをかける」
「では、女が杜氏として排除されるのであれば、女を蔵主として杜氏を雇う苦労を話しにしてみよう」
「後は、日本酒がどれほどワインに匹敵するのかを学者に語ってもらわねば、酒連から販促費が出ない可能性がある。押さえるところはきっちり押さえておかねば」
五月三日
源氏物語『御法』『幻』を浮世絵化
『緋色の研究』を浮世絵化
日本橋 料亭梶
「源氏物語の二部も残りは最終巻である雲隠れを残すのみか」
「浮世絵の代表作も、後、七年刊行したら終了だな」
「で、浮世絵の関係者は焦っているのか?」
「一つの答えがここにある」
「古典といえば、シェイクスピアの国、英吉利に賭けてみるのか」
「医者の代名詞といえば彼の作品といわれるようになるやもしれん」
「しかも、浮世絵らしく絵の中に手掛かりが隠されている」
「これは、登場人物の一コマ目から目が離せんな」
「そして、二コマ目までに相手の職業を的中させねばならない」
「絵師も苦労させる作品になりそうだな」
「そして、依頼の内容も盛り込まねばならない」
「これは、浮世絵以外で原作をいかす方法はなかなか見つけらないだろうな」
「台詞でなく、絵で核心に迫る原作者も納得してくれようか」
「読了後、主人公のまねをする者は多いだろうが、いいとこ助手が務まるかどうかだろうな」
「では、この作品は一連の連作となるか否か」
「ワトソン君、それは誰にもわからないことだ」
「次作のシャーロック=ホームズを楽しみにしよう」
六月十五日
江戸物理学校
「教授、正極の電極候補は、炭素に白金及び金に絞り込んだのですが」
「ふむ、妥当な選択肢だろうね。それ以外となると、電流を通す物であり、なおかつ正極棒が溶けださないとなると僕には思い浮かばないよ」
「それがその、炭素を第一候補としたいのですが障害が出てしまうのです」
「炭素は、あくまで金属のように空隙のない物質とは異なり、電解液を吸い込んでしまうからねえ」
「そこなんです。その欠点があるために、正極を白金にするしかないかと考えているのですが」
「では、その点は最後の課題としたまえ。負極は決まったのかい」
「それがその。固体電池に使用でき、なおかつ液漏れしない物質となるとお鍋で煮る必要があるんです」
「鍋で煮て、液漏れしないようになるまでコトコトと水分を飛ばせる物質か。第一の関門はそこだね」
「はい、入り口でつまずいております」
「方向性は、電解質を決め、その次に負極棒を決定する。最後に正極棒を選択する。この三段階かね」
「はい、三つの難関が待っていて、第二の関門は、第一の関門を受けつけてなおかつ第二の関門を通すものでなくてはならないと」
「難問だね。何事も試行錯誤しかないようだね」
「はは、液漏れ対策のために先人はここまで苦労したということでしょう」
「だろうね。だから、電池は液体のままなのさ」
「ダニエル電池から、ここ五十年、誰も進歩させていない理由がそこにある」
七月一日
水戸駅
「水戸発佐倉経由横浜行き外環状線一番急行が発車いたします」
「水戸発水戸着の切符を買ってしまったな」
「外環状線ができたのだから、乗車区間は五百キロに及ぶか」
「東海道線なら日本橋発であれば、大坂まで行けてしまうな」
「これで、路線延長も関東とお別れか」
「来年、京と新潟を結ぶ障壁であった不知火を九つ目のトンネルで通過できるようになる」
「と、いうことは、わが社も二キロまではトンネルを掘る技術力が備わったと」
「その翌年は、甲斐の国にある全長四キロを越えるトンネルを掘り始める予定だから、かろうじて関東でのお仕事だ」
「工事期間の予定は?」
「五年ほどかかりそうだ。総予算は、四百万円を予定している」
「このトンネルを二つ掘るとわが社の初期投資金額に匹敵するのか」
「この予算金額をみると、熱海にある全長八キロの丹那トンネルは、わが社の初期投資費用である一千万を超えそうだ」
「最初に東海道を開通させていなければ、手がつけられないトンネルだな。双方とも」
「では、笹子トンネルの開通が明治二十五年。丹那トンネルの開通は、明治三十五年と思っていればよいのか」
「何事も初めてのことだから、途中で難問が噴出する可能性もある。誰も全長五キロを越えるトンネルなぞ掘ったものはいない」
「そうだな、不知火でのトンネル工事も困難を極めたな。なんせ、物資の搬入方法がない」
「隊員の生き埋めもあったし地下水の噴出等、初期の予定とは相当当てが外れた」
「後な、親不知と子不知の間に親不知駅を造っているのだが、一日の乗降者予定数は、百人未満だ」
「断崖絶壁に住む住民は少ないわな」
「後な、工事期間の間、完成後より乗降者が多そうだ」
「はは、工事のための駅と言って差し支えないだろう」
「後、トンネル崩落の際に避難駅として使えるが」
八月三日
ポーツマス市眼科診療所
「ドイル先生、ホームズ最初の作品である『緋色の研究』ですが、登場人物を全て犬に置き換えた少年少女向けがよく売れています」
「なにかね、私の作品であるシャーロック=ホームズは小年少女向けだというのかね、ボブ君」
「いえ、そうではありません。文章にすると先生の代表作は、手掛かりを求めて単語をくまなく探さねばなりませんが、登場人物の情報を最初と二コマ目に配置することで読者は情報を読み取るコマを二つに絞ることができます。推理向けでは重要なことだと思われます」
「なるほど、浮世絵向けではそのような利点があったか。いや、なに私の勘違いだったようだ」
「先生、次のホームズはいつになりそうですか」
「私としては、ホームズは後回しにしたのだが。そうだな、あれこれ様々なジャンルに挑戦した後、三年後に次回の長編をまとめようかと思っているのだが」
「先生、次回作は長編で構わないのですが、少年少女からのファンレターがたくさんまいっております。どうでしょう、彼らのためにその次の作品を矢継ぎ早で出していただけないでしょうか」
「いや、それは無理だ。長編というものは長い推敲が必要なのだよ」
「でしたら、先生の見地を広げる意味で、短編で出していただけないでしょうか。世界中の読者がホームズを待っているんです」
「では、三作目は短編にしようかね。しかし、二作目を完成したあとだよ」
「はい、それで構いませんから。我々は、先生の作品こそ、源氏物語に匹敵する大作だと考えております」
「源氏千年の歴史に匹敵する作品か。ボブ君、君は作家を持ち上げるのがうまいねえ」
「いえいえ、後七年、源氏物語が出ますが。先生の作品であれば、源氏物語の発行部数を上回るに違いありません」
「弱ったな。源氏物語が後、七年か。だとしたら、残り七年の間でしか、ホームズと源氏物語が併売されないのか」
「はい、先生には、源氏物語の上を行く作品を生み出していただけるものだと考えております」
「よろしい、ボブ君。後七年間のうちに、源氏物語を上回る作品を生み出してやろう。そして、それはホームズではありえないと結論つけておく」
「あ、あのう先生。ホームズだからこそ、抜ける可能性があるんですが。先生、聞いていますか」
「‥‥‥」
「駄目だ、こりゃ」
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