Book Review 早見裕司編

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早見裕司『ルームメイトノベル 佐藤由香の場合』
1) メディアワークス / 文庫版(電撃G's文庫) / 2000年6月25日付初版 / 本体価格530円 / 2000年6月22日読了

 2000年6月29日に発売されるゲームソフト『ルームメイトノベル〜佐藤由香〜』(SEGA・ドリームキャスト専用)。その発売に先駆けて、早見裕司が著したノベライズ作品。『世界線の上で一服』や「異形コレクション」への寄稿で知られる早見氏にとって初めての「恋愛小説」でもある。

 父は海外に単身赴任。夏になって母は暫く父の元で過ごすことを決め、高校二年の藤田敦はひとり気ままな夏休みを満喫する――筈だった。佐藤由香がやって来るまでは。東京で女子大生をしている彼女は、敦にとって遠縁の親類であり、数年前にひいじいさんの葬式で顔を合わせたっきりだった。それが突然家を訪れて、暫く泊めてくれ、と言う。困惑しながらも敦は、マイペースな彼女を受け入れる羽目になる。由香の登場は、敦の親友・澤木達也、敦に仄かな思いを寄せる幼馴染み・柊あや、三人の関係を掻き乱し、その夏を忘れがたいものに変えていった――

 本書は早見氏の完全な創作ではなく、あくまでもゲームの世界観と登場人物を壊すことなく小説に取り込んだノベライズであり、恐らくは意図して文体や表現手法を変えている。そのため、早見氏の他の作品に触れてきて、そのイメージを持ったまま本書を読んだ場合はかなりの戸惑いを覚えるだろう。エピソードなども、所謂恋愛シミュレーションゲームなどで定番的に用いられるものを活用しており、その展開に格別な新味はない。
 だが、他の凡百のノベライズ作品と較べて格段の完成度を誇っていることは保証する。文章は10代の少年の話し言葉を擬したものだが、洗練された文章技術もあって語り口に嫌みはなく、物語への没頭を妨げない。また、定番のエピソードを用いながらも解釈には実感と深みを感じさせ、作品の短さを差し引いても飽きさせずに読ませてしまう点は高く評価したい。
 最後に言い訳しておく。何度か日記などでも言及しているが、私の文章作法などは昔に読んだ早見氏の水淵季里シリーズに強い影響を受けており、今なおそれを引きずっている嫌いがある。プロットも基本的に私の嗜好から外れたことがなく(ましてや本書は「恋愛小説」だもの)、従ってどう足掻いても贔屓目があることは否定できない。それでも私を信用する、という奇特な方には是非手に取っていただきたい一作である。兎に角好きなのっっ(と反論を封じたりして)。

 それでもなお感想をアップしたのは、早見裕司氏の項目をどうしても設けたかったからだったりする……

(2000/6/22)


早見裕司『夏街道[サマーロード]』 -水淵季里シリーズ(1)-
1) 徳間書店 / 文庫版(アニメージュ文庫) / 1988年10月31日付初版 / 定価420円 / 初読年月日不明、2000年11月25日再読了

 近年は『異形コレクション』などで活躍している早見裕司が初めて著した長編小説。その後『水路の夢』が一年半後に発表され、近日、実に10年振りの第三作『夏の鬼 その他の鬼』がエニックスより発表される予定となっている。

[粗筋]
 玉川上水と府中街道が交差する付近にある私立高校・逝川高校。加野湘子の恋人で、一緒にバンド活動をしている氷川友樹が行方を眩ました。友人の天王寺美沙の口利きで、不思議な力を持つ同級生・水淵季里に行方を占って貰う。その内容は奇妙なものだったが、季里は友樹が戻ると請け合った。言葉通り、友樹は湘子の元に戻ったのだけれど、湘子の中には不安が残された。季里もまた、危険な匂いを嗅ぎ取っていた。
 夏を前に、逝川高校では学園祭が催される。湘子と友樹のバンドも体育館のステージで演奏を行ったのだが、そのラスト、友樹が用意したオリジナル曲『夏街道』を歌い始めたとき、ステージ上に異変が起きた。セットとして壇上に設けた巨大な鏡に、見知らぬ夏の道が映し出されたのだ――
 湘子の友樹に対する想い、季里の失われた家族に対する想い、十二年前に失踪した少年・京馬の想い。幾つもの事象が交錯して、忘れがたい夏の物語が幕を開ける。

[感想]
 初読は刊行当時、つまり十二年前……って作中の過去と現在の差ぐらい開いてるじゃないか。イメージだけを残してディテールの大半は失念していたため、非常に新鮮な気持ちで読めたのだが……同時に、この作品から受けた影響がどこからどこまであるのか判断できなくて困ってしまった。PSY・S、フォークソング、パソコン、打ち込み音楽、夏のイメージ、キャラクターの造型、その他諸々。読んでいてひたすら苦笑を浮かべてしまうのであった。あと、エンディングが必ずしもハッピーエンドではないところも。また、当時は気付かなかった発見として、主要な舞台となる図書館の主の名が「森本」であること、『夏街道』と『水路の夢』では何故か主役格の一人・相沢恭司の兄の名が「紘司」から「紘史」に変わっていることなどが挙げられたり。
 それは兎も角。現在読むと、きっちりと時代を描写してしまったために、「上野駅の新幹線発着フォーム」や「赤電話」という具合に古びてしまった描写も散見されるが、全編の瑞々しさは未だに出色のものがある。ホラーとしての因果の組み立てには説得力不足を感じるが、登場人物同士の通じ合えない心の痛みや過去に纏わる嘆きや哀しみなどは、ジュニア文庫作品として簡潔に淡々と書かれたが故に透徹して鋭く、ラストの余韻も深い。昨今のホラームーブメントにも溶け込みそうで、その上あまり描かれていない類の物語。今、技術重視的な読み方をすると、前半と後半で主体となる人物が入れ替わってしまっていることとか、怪異にせよテーマにせよ些か散漫になっていることとか、不満を挙げることは可能だが、それらを圧して構築された作品世界は印象深く、美しい。紙媒体で誌上に流通していないのは勿体ないと思う、ほんとに。
 前述したとおり、今この作品を市場に問う上での問題は、細部のモチーフが古びてしまっていることと言えるだろう。この問題が最新作でどのように処理されているのか、はたまた最新作の刊行に併せて復刻されるとしたらそれらのモチーフを切るのか差し替えるかそのまま残すか。その面からも、新作にはこの上ない興味を惹かれる深川であった。

(2000/11/25)


早見裕司『水路の夢[ウォーターウェイ]』 -水淵季里シリーズ(2)-
1) 徳間書店 / 文庫版(アニメージュ文庫所収) / 1990年5月31日付初版 / 本体価格379円 / 初読年月日不明、2000年12月11日再読了

 1988年に刊行された『夏街道』に続く、水淵季里をヒロインとするシリーズの第二作。近日エニックスより第三作の刊行が予定されており、その下準備のために再読した。詳しくはこの真上にある『夏街道』感想を参照のこと。

[粗筋]
 夏の哀しい事件のあと、水淵季里を誘うのは、水。
 久々に集まった文芸部のメンバーと訪れた吉祥寺のスパゲティ屋で差し出された、奇妙な水。それを一口飲んだ季里が不意に店を出て、数十分後、相沢恭司に告げた所在は、遙かに隔たった日比谷マリオンの傍だった。その日を堺に、季里と文芸部メンバーの周辺に幽かな違和感を与える出来事が続く。後輩で映画研究部に所属する杉山の撮影を手伝うため、かつて陣内の実家が所有していた廃工場の撮影に出かけた陣内と美沙が出逢った奇妙な男。再び吉祥寺を訪れ、井の頭公園からあの日季里が通ったという不思議なトンネルを抜けて小金井公園に達した恭司と季里を襲うカラス、そして二人を見付け、家路を途中まで車で送ってくれた、奇妙な男。
 文芸部が根を下ろした逝川高校の古色蒼然とした図書館にも、不穏な気配が迫っていた。以前の事件の煽りで改築論が浮上する中、奇妙な連中が訪れ、夜中の地下倉庫に侵入者が出没する。一連の事件の裏に垣間見えるのは、文芸部に入部を志願した逝川の一年生と名乗る少女、高取集(つどい)。
 集への対し方を契機に恭司との間にぎこちなさを生じ、自らの生き方についても心を痛め始めた季里。『水』に導かれるようにして、季里は自分の進むべき道を模索する――

[感想]
 前作では加野湘子と二本の軸で物語が展開していたが、本編は季里の能力と彼女の成長を核に据えている。その為に前作にあったテーマの散漫さは若干緩和されているが、やはり映画などに多用される視点の移動は文章表現では難しいのか、その意味での散漫さが否めない。反面、拘りの窺えるディテールはまさに水を彷彿とする透明感と瑞々しさに彩られ、前作以上に印象的な仕上がりになっている。また、「水路」「水」「少女」(尤も季里は早見氏が常々主張しているもの通りではないが、ま、色々と)「郷愁」などなど、近年作者が異形コレクションなどに寄稿している作品群に見えるモチーフも多数散見され、『夏街道』とともに早見氏の原点と言える作品であることは確かだ。
 物語としては、対抗する側のアクションが今一つ焦点に欠いている、また終盤の推移が些か急速すぎることなど、荒削りながら引っ張るような力の感じられた『夏街道』と較べて、なまじ幾許かこなれてしまったために、前作より牽引力を損なっているように感じられた。それでもフレーズ一つ一つの閃き、テーマ選択の巧みさに魅力があり、『夏街道』とともにこの機会に何らかの形で復刻されることを願いたい一篇である。
 因みに『夏街道』の項で言及した恭司の兄の名前は、本書の中では「紘司」と「紘史」が混在しておりました。多分修正漏れであろうが、やっぱり気になるのであった。

(2000/12/11)


早見裕司『夏の鬼 その他の鬼 〜Summer Road, Again〜』 -水淵季里シリーズ・リニューアル版(1)-
1) エニックス / 新書版(EX NOVELS) / 2001年1月1日付初版 / 本体価格860円 / 2000年12月14日読了

 1988年に刊行された早見裕司氏のデビュー長篇『夏街道』、1990年の『水路の夢』と刊行された水淵季里をヒロインとするシリーズ。第三作の刊行が予定されていたが、諸般の事情から立ち消えとなっていた。しかし早見氏自身の思い入れも深く、続刊を待望する声が少なくなかったこともあって、10年の時を経て設定の一部を変更・舞台を1997年に移しての復活を遂げた。本書はその第一作である。

[粗筋]
 1997年の春、入学式の最中に水淵季里は失神してしまった。彼女の力が、逝川高校の新入生たちの誰かが纏った悪意を察知して、季里を苛んだのだ。別の日、窓越しに立ち上る悪意の炎を見付けて高校付属の図書館に入り込み、季里は誰かが誰かを呪い殺そうとしていることを知る。季里は、その人物を捜し、目論見を止めようと思った。季里は中学の時に姉と父を失い、その時に得た力と、姉・栄子の婚約者であった相沢紘史に引き取られ図らずも同い年の恭司と一つ屋根の下で暮らすようになった事実から、同級生のいじめに遭いまた肉親の喪失という衝撃のために、親しい者以外に心を開くことも無くなり、進んで一人を選ぶような生き方をしていた。高校進学を期に、恭司たちに迷惑をかけたくない、一人で歩けるようになりたい、という思いを抱き、季里は自分の力の意味を、自分のなすべきことを模索し始めたのだった。
 図書館の司書教諭の森本先生、威勢のいい年長の同級生・天王寺美沙、整然とした論理と建築を偏愛する陣内哲夫、保健室の宇崎先生、人格者であったために人ならぬ者に招かれた神崎先生、そして中学からの友人・村上祥子と、母親代わりでもあった最愛の姉・栄子。人と人ならぬ者との出逢いと別れと、入学から夏休みにかけて遭遇する幾つかの事件を経て、季里は少しずつ少しずつ、自分の居場所を見出し始める――

[感想]
『夏街道』『水路の夢』と再読し、さあ準備万端、と勢い込んで取りかかってみたら、シリーズそのものが仕切り直しでちょっと腰が砕けた。……冗談ではあるが、ちょこっと本音である。
 しかし、寧ろ満を持してのシリーズ復活と言える出来で、往年のファンとしても納得のいく設定変更と感じた。そもそも変更と言っても、主要キャラクターのアウトラインは殆ど一致していると言っていい。ヒロインの水淵季里はほぼ旧シリーズ通り、天王寺美沙は内面描写が増え旧作よりも生々しい「弱さ」を垣間見せるが、その辺りは作者の創作姿勢の変化に含まれることで全体像はほぼ同じと思われる(「酒も煙草もやめた」という発言に別の意志を嗅ぎ取るのは、穿ちすぎというものだろう)。また作者の思い入れを大いに反映しているらしい森本先生は、紘史と同級生であったという設定が消えたらしい以外はほぼ同一人物と見える(更にこの新シリーズでは、台詞を読む都度にあの声が脳裏に響く心地すらある)。同居人の恭司はやや捕らえどころのない雰囲気を纏い、紘史は掘り下げられた過去によって不良青年的なイメージを強め、陣内は理系人間としての造型がより先鋭化された格好と、男性陣にかなりの変容が窺われるが、総じて印象は旧作のそれと一致しており、昔の記憶を引きずって読む向きにも違和感を与えないだろう。
 また旧シリーズ二作について私が指摘した視点・テーマの散漫さは、季里の意志と努力、その成長に筆致の大半を割き描き込むことで見事に払拭している。物語は時系列に添い、そのテーマ――季里が正対する事件――に従って四つの章に分けられており、全体として一通りの謎や事件が厳然と存在しているわけではない。一応、本書において語られる事件の契機と看做しうる存在は描かれているものの、決してそれが主題ではない。あくまで本書は「能力者」としての季里、「普通の女の子」としての季里の変化と成長を軸に時と物語を辿っている。事件一つ一つに直接の結びつきはなくとも、季里という媒介で全てのエピソードは縒り合わされ、澄み渡った結末に至る。現実の舞台を取り入れつつ、随所にのちのエピソードに必須となる伏線を配した手腕とも併せて、旧シリーズと比較すると、作者の書き手としての成熟が窺われ、その意味でも非常に興味深い。
 嫌味も幾つか論うことは出来る。細部の怪異の描写が淡泊すぎるとか、各章で語られる事件の推移に所々唐突の感があるとか。しかし、それらを圧して、季里の切実な心理描写、彼女を取り巻く人々の優しさや強さや弱さ、そうした(やや癖は強いが)等身大の人々に対する真摯で澄んだ眼差しが光り、淡々としながらも巻置く能わざる雰囲気と、清々しい読後感を与える佳作となっている。旧作を読まずとも、存分に堪能できる優れたファンタジーと断言したい。
 しかしラスト一行に私が覚えた感動は、やはり往年の読者であるからこそ得られるものだと思う。人によって待たされた時の長さは異なるだろうが、何れ変わらず、まず最初に脳裏に立ち上る言葉は同じ筈だ。
 おかえりなさい。

 本書で描かれた水淵季里は高校一年生。旧シリーズ『夏街道』で初登場したときの彼女は、高校二年生。筆力を増した早見氏の手によって再びあの物語が綴られることにもささやかな期待を寄せつつ、続刊を待ちたい。

(2000/12/14)


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