若おやじの戯れ(ゲーム批評)Volume2続き


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こみっくパーティー(続き)
発売元Leaf
本体価格8800-
Windows95/98対応
総合評価・☆☆☆

 ――というわけで続き。まだまだ先は長いので、覚悟がないなら上下に設置したリンクでメニューにお戻り下さい。前半を読み直したい方は一番下のリンクからどーぞ。

音楽
 ちらほら耳にする話では、Leafというレーベルは本来音楽制作を目的として生まれたらしい。事実、代表作でもあるビジュアルノベル3作においても「音楽」「音響」に対する執着の深さが垣間見え、そこだけ切り取ってもなかなかの聞き応えがある(何せ深川は最近になってアレンジサントラを通販で購入する手続きをとってしまったぐらいだし)。そんな訳で、深川としてはこの部分にこそ何ら不安は抱いていなかった、の、だ、が……
 今回も全般としては悪くない出来だろう。ただ、ここ暫くLeafとしての作品傾向が偏っている所為か、ずっと聞き続けてきた耳には悪い意味でのマンネリが感じられた。この場面にはこの楽曲、こういう性格のキャラクタにはこんな楽曲、といったパターンがあまりに確立されているため新味に乏しいのだ。本編から初めてLeaf作品に触れる、という向きにはいいだろうが、ビジュアルノベルシリーズの初期から入ったようなファン――遅くとも『To Heart』以降の作品を知っている者にはあまり独創性が感じられない、その程度の出来である。聞いた話では独自に録音用のスタジオも構えたそうなのだから、あまり電子音に依存せず生音を積極的に取り込むぐらいしても良さそうなものだけれど(多分何カ所かは生ギターなどを使っているのだろうが、それが効果を齎しているとはちと言い難い)。
 個人的に一番不出来に聞こえたのは、実はオープニングテーマとエンディングテーマだった。歌い手が下手、というのはある意味仕方ないとして(仕方なかないけど)、本編の内容に溶け込まない歌詞、メリハリに欠く旋律と編曲、全体的にBGMの延長にしか感じられない作りがテーマ曲として弱い。一般ソフトのタイアップと異なり、テーマ曲をゲーム内容に沿って組み立てられる環境にあるのだから、もうちょっと気遣うべきではなかったか。
 尤も、この分野で本当によくできたテーマ曲というのは、深川は殆ど聴いたことがない……ある意味での最高傑作は『Piaキャロ2』のそれだったが……あれは飛び道具だもんなぁ……

システム
 シミュレーションゲームのシステム、というと普通は数値変動のバランスとかイベント発生の蓋然性とかいった部分を指すのだろうが、その辺りはシナリオを絡めて説明したいので総論に委ねるとして、本項では操作性について触れておく。
 といってもあまり文句はない。セーブエリアは多く確保されているし(もともとLeafはセーブデータの所在が解りやすく、退避も容易なのでセーブ領域の多寡はあまり問題にならないのだが)、恒例の「一度読んだメッセージを自動的に飛ばす」機能も備え付けられているので、やりこむ程にゲーム進行は滑らかになるし、インターフェイスも解りやすいのであまりマニュアルを読み込まなくとも直感的にゲームを進めていくことも可能だ。結局こういう意味でのシステム廻りでLeafにおける最大の難は、
 
必ず絶対バグが出る
ことぐらいであろう。新設された東京開発室においてさえ例外ではなかった訳だ。この点さえ解消してくれれば、システム面に対する不満はないのだけれど……
※これを書いている1999年8月12日現在、CD-DA部分の不具合までも解消している筈の修整ディスクは依然として深川の手許に届いていない……

総論
 シミュレーションゲームというのは、プレイヤーの判断・選択・行動によって規定された数値に変化を与え、幾つかの数値状況によって様々な展開が生じ、最終的にある目的を達成できるか否かで優劣を決するゲームである――と深川は理解している。例えば有名な『信長の野望』なら天下統一が至上目的となるし、『プリンセスメーカー』なら王子との結婚が一応の到達点として設定されている。ただ、殆どのゲームがそうであるように、決して規定された目標を達成することがゲームの楽しみの全てではない。寧ろその過程における課題や問題、困難といった波瀾万丈こそがシミュレーションの醍醐味なのではなかろうか。また、『信長〜』のような食うか食われるかといった世界観でないのなら、プレイヤーは必ずしも至上目的ばかりを志して過程を積み上げる訳ではない筈だ。例に挙げた『プリンセスメーカー』では、プレイヤーキャラと育成対象との婚姻とか、本来の目標である「王子との結婚」とは大幅にかけ離れた「大悪党」への成長を狙ってゲームを進めることだって赦されている。シミュレーションというジャンルは本来、このような多様性を志向して創造されたものだった、と深川は考える。
 『こみっくパーティー』というゲームは、例え制作者側が明言していないにしても、間違いなく同人誌作成のシミュレーションを志向している。プレイヤーは毎月末のコミックパーティー(要はコミケのことなんだが)を目指して、月毎に作成する同人誌のジャンル、ページ数などを設定、以後一日ずつについて行う作業を決めて、月末までに印刷所へ入稿することをとりあえずの目的としてゲームを進める訳だ(何故か再版は許されていなかったりする)。そうして成果を重ねていくことで、プレイヤーキャラはどのように変化していくのか?――と普通思うだろう。ギャグマンガばかり手掛けていたらお笑いなキャラクターになるのかとか、パロディばかり書き続けていたらオリジナルの仕事が出来ずに難渋したりとか――
 
何もないのだ。そういう種類の変化は何もない。一応作成した同人誌の完成度と売上を月毎に評価して、「新進同人作家」から「同人の神様」までランク付けが行われるが、その評価がゲーム展開――シミュレーションゲームとしての展開に影響を及ぼす訳ではない。選択したジャンルによって創作傾向の数値が変動するが、それとてシミュレーション部分には殆ど影響しない。ではこれらの行為によって何が変化するのかというと、結局女の子との関係を進展させる役にしか立たないのだ。
 ある女の子を標的に定め、何度も会ったり電話したりすることで親睦を深めていくと、少しずつシナリオが進展する。だが、その過程でプレイヤーの創作傾向が女の子の好みに合っていなかったり、同時作家としてのレベルが低かったりすると、彼女を攻略することは出来なくなる。本編におけるシミュレーション部分の効果は、実はここにしか発揮されない。しかも、攻略対象の女の子のシナリオとプレイヤーの創作傾向や成長が一旦噛み合わなくなれば、それだけで以降彼女に纏わるエピソードは進行を止めてしまう。たとえばプレイヤーの成長具合に合わせて異なった物語に繋がることも、別の女の子とのシナリオが発生することもない。そのまま同人誌を作り続けてゲームを進めることも可能だが、プレイヤーの行動に等価な物語の派生は見られないし、到達する結果においてもシミュレーションの成果はさほど反映されない。ある程度同人作家としての成長があればプロ漫画家への道が開かれたり、女の子との関係次第ではちょっとしたエピローグが添えられたりするのだが、そこにもシミュレーションにおける結果は投影されていない。
 つまり『こみっくパーティー』におけるシミュレーション部分は、完璧に「女の子を攻略するための過程」に過ぎなくなっているのだ。しかも、女の子の攻略に成功しても、成功した段階でプレイヤーが積み重ねてきた成果は無に帰す。各キャラクターごとにエンディングは一つずつ設定され、そこにプレイヤーの行動が反映される余地がないのだ。
 その点をプレイヤーが納得済みでいるのなら大した問題ではない、とも言える。前項で深川は、シナリオはあまり評価できないと記したが、あまり複雑な捉え方をせずに気楽に愉しむ分には充分な出来だと思う。18禁ゲームという性格上、もとより性描写が目的で買ったような御仁なら(その手のシーンが少ない、という点に不満を抱くにしても)四の五の言うことはないだろう。問題は、そうした先入観抜きに(18禁であることを承知の上でも、性的描写ばかりを目的とせずに)遊ぶユーザーが、作品の大半を占めるシミュレーション部分をどう理解するかにある。プロローグこそ単純なAVGの構造をしているが、本編に入れば会話部分よりもシミュレーション部分の選択肢が多くなり、作品の組み立ては明らかにシミュレーションを核に据えたゲームのように映る――だが、これまで論述したように、本編の構成はそうした期待を明らかに裏切っているのである。クオリティの高さを喧伝するにしては、作品に対する自覚が低くはないだろうか?
 加えて、前述したように本編の中心スタッフは他社にて『Piaキャロットへようこそ』というシリーズを手掛けている。何故ここで論うかというと、今まで詳述したのと同様の欠点は『Piaキャロ』にも見られるのだ(。それは即ち、スタッフが旧作に対する反省を持たなかったか、さもなくば欠点を全く検証しなかったか、ということになる。或いはこんな点に目を付けるのは珍しい向きなのかも知れないが――ともあれ、こうした姿勢がある故に、私は『こみっくパーティー』を高く評価できないのだ。
 ただ、総評としては貶しているように見えるが、決して駄作ではない、と添えておく。細部は間違いなく上質であるし、やや冗長な印象もあるが、娯楽作品として充分に完成されている。そこらのコンシューマーソフトなどよりも遙かに遊び甲斐はある、と、ひとまず確約しておこう。☆三つに留めたのは、深川の信念と意地に過ぎない。

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