cinema / 『悪霊喰』

『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る


悪霊喰
原題:“The Order” / 監督・製作・脚本:ブライアン・ヘルゲランド / 製作:クレイグ・ボームガーデン / 製作総指揮:マイケル・カーン、トーマス・M・ハミル / 撮影:ニコラ・ペコリーニ / プロダクション・デザイン:ミルジャン・クレカ・クルジャコヴィッチ / 編集:ケヴィン・スティット,A.C.E. / 衣裳:キャロライン・ハリス / VFX:ネイサン・マクギネス / 音楽:デイヴィッド・トーン / 出演:ヒース・レジャー、シャニン・ソサモン、ベノ・ファーマン、マーク・アディ、ピーター・ウェラー、フランチェスコ・カルネルッティ、ミルコ・カサブロ、ギウリア・ロンバルディ / 配給:20世紀フォックス / 配給・宣伝協力:Art Port
2003年アメリカ作品 / 上映時間:1時間42分 / 日本版字幕:関 美冬
2004年01月24日日本公開
公式サイト : http://www.akuryogui.jp/
新宿ジョイシネマ3にて初見(2004/01/24)

[粗筋]
 ニューヨークの教会で司祭を務めるアレックス(ヒース・レジャー)はその日、意外な客を迎えた。ミサの場に、信徒に紛れて姿を現した次期教皇とも噂される枢機卿ドリスコル(ピーター・ウェラー)は、アレックスの恩師であるドミニク修道士(フランチェスコ・カルネルッティ)が奉職するローマの教会で自殺した、という報せを運んできたのだ。
 ドリスコルは動機が腑に落ちない、とアレックスに調査を依頼する。同様に納得のいかないアレックスは即座に頷いた。病院を飛び出してきたマーラ(シャニン・ソサモン)を伴って、アレックスはローマに飛ぶ。
 ドミニク修道士の暮らしていた教会は明らかに様子がおかしかった。閉めきった居室は埃っぽく多くの書物が転がり、机には古い言葉で「血を中に、血を外へ」というまじないが記されている。そして教会のホールには、正体不明の孤児(ミルコ・カサブロ、ギウリア・ロンバルディ)が居着いていた。
 亡骸を確かめるため死体安置所を訪れたアレックスは、ドミニク修道士の胸許に謎の痣を見つけた。秘蹟を与えるため教会に連れ帰るつもりだったアレックスだったが、教会は既にドミニクは破門されている、と言った。恐らく自殺したのも、信仰を失ったことを悔いてのことだろう、と仄めかされ、アレックスは激昂する。
 ドミニクの遺骸を安置所から持ち去り秘密裏に葬ったアレックスは、あらかじめ連絡を取り協力を求めていた旧友トーマス(マーク・アディ)と合流し、本格的に調査を始める。
 やがてアレックスたちが辿り着いたのは、異端の教義が語る“罪喰い”という化物の存在。それは、ウィリアム・イーデン(ベノ・ファーマン)という人間の姿で、彼らの前に出現した……

[感想]
 私はキリスト教を正式に勉強したわけではない。従って、以下に書くことは作品の内容と、それに付随して得た些少の知識に基づいて、推測を多く交えている。あらかじめそのことを了解いただきたい。
“罪喰い”はその人の罪業を奪い、いわば清い状態にして最期を看取る。これは一般的な価値観からすると悪徳とは思えないし、人間の所業ではないにしても良心的な行いのように思える。それがキリスト教から異端視されるのは、“罪”を喰らう――“赦す”ことに相当するこの行為が、神を冒すも同然と考えられるからだ。だからこそ、作中敬虔な司祭らは“罪喰い”を嫌悪し、“罪喰い”は十字架を掲げながら教義の異物であり続ける。そうした前提があってこそ、ドミニク修道士は最期の瞬間アレックスに赦しを求め、アレックスは“罪喰い”を恐れたわけだ。
 こうした予備知識があるとないとで、本編の受け止め方は大きく異なる。たぶん、そうした予備知識のないおおかたの人間は、本編はキリスト教に登場する怪物を素材にしたホラーぐらいに捉えるだろうが、恐らくそういう姿勢では、よほど登場人物に綺麗に感情移入できる人手もない限りは不満を覚えるはずだ。ベースはあくまでドミニク修道士の死を巡る謎解きから“罪喰い”の存在意義を辿っていくオカルト的な謎解きであり、終盤にちょっとしたサプライズはあるものの、一貫して怪奇現象の描写は少ない。アレックスや、脇の人物によほど入れ込むことが出来ればかなりの恐怖を感じることも出来ようが、客観的になれる人ほど損をする。
 しかし、上記のような理解があらかじめあれば、評価はがらりと変わる。本編に蔓延する恐怖は決して命のやり取りや未知のものに対するものではなく、“罪喰い”という異端に触れ、それに浸食されていく恐怖だ。その事実を描き出すために用いられる異端教派の行動や古い言語による祈りといったディテール、“罪喰い”という存在に対したときの人々の反応、それらの真実味溢れる描写こそ、本編が備える醍醐味なのだ。
 つまり、ホラーというよりキリスト教の論理に基づいた幻想映画といったほうが印象は近い。良作だと思うが、決して万人受けするものではなかろう。特に、断片的にしかキリスト教を受容する土壌がない、大部分の日本人にとってはなおさらに。

 本国では繰り返し公開が延期され、スタッフに原因不明の災難が相次いだという。誰かが言っていたように、「そりゃ単に制作が遅れただけだろー」と私も思ったのだが、上記のような事情を理解すると、なんだかあながちあり得ないことでもないと感じてしまう。
 ただ、同じ理由で、日本で公開したところで大した問題は起きやしないだろうな、とも思う。確かに断片的にはキリスト教や西洋的価値観が流入しているこの国だが、その根底はキリスト教の本義とはほど遠く隔たっている。だから……ちょっと、当たる可能性は低いよ、ね。
 興味がおありの方は、早いうちに御覧になることをお薦めします。『ロック・ユー!』のターゲットを絞りエンタテインメントに徹した作り、『LAコンフィデンシャル』『ミスティック・リバー』の堅実な脚色、そして本編と実にいい仕事をしているブライアン・ヘルゲランド監督ですが、なんか大当たりすることはなさそうな。

(2004/01/24)


『cinema』トップページに戻る
『light as a feather』トップページに戻る