cinema / 『ミスティック・リバー』

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ミスティック・リバー
原題:“Mystic River” / 原作:デニス・ルヘイン(早川書房・刊) / 監督・音楽:クリント・イーストウッド / 脚本:ブライアン・ヘルゲランド / 製作:ロバート・ローレンツ、ジュディー・G・ホイト、クリント・イーストウッド / 製作総指揮:ブルース・バーマン / 撮影監督:トム・スターン / 美術:ヘンリー・バムステッド / 編集:ジョエル・コックス / 演奏指揮:レニー・ニーハウス / 出演:ショーン・ペン、ティム・ロビンス、ケヴィン・ベーコン、ローレンス・フィッシュバーン、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ローラ・リニー、トーマス・ギーリー、エミー・ロッサム、スペンサー・トリート・クラーク / メルパソ・プロダクション製作 / 配給:Warner Bros.
2003年アメリカ作品 / 上映時間:2時間18分 / 日本語字幕:菊地浩司
2004年01月10日日本公開
2004年07月09日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.warnerbros.co.jp/mysticriver/
丸の内プラゼールにて初見(2004/01/10)

[粗筋]
 1975年、ボストンのダウンタウンに近く、ブルーカラーが多く生活するイーストバッキンガムに三人の少年がいた。これから友情を育もうとしていた三人は、打ち立てのコンクリートに自分たちの名前を悪戯書きしていたところを、ベルトからバッヂと手錠をぶら下げた男ふたりに見咎められる。その近所で暮らしていたジミーとショーンは目こぼしされたが、やや隔たったレスター通りに暮らすデイヴは男達の車に乗せられ、四日間戻らなかった。男達は、警官ではなかったのだ……
 それから25年後。未だイーストバッキンガムの周辺に暮らしながら、三人の交流は疎らになっていた。従姉妹同士と結婚したジミー・マーカス(ショーン・ペン)とデイヴ・ボイル(ティム・ロビンス)は恒例行事のたびに顔を合わせていたが、同じ地域でもやや暮らしぶりのいい一帯に属するショーン・ディヴァイン(ケヴィン・ベーコン)とはそれぞれ顔があったときに挨拶を交わすくらいで、交友と呼べるものはもう三人のあいだから無くなっていた――その朝が来るまでは。
 次女ナディーンの聖体拝領式の朝、ジミーは予定よりもずっと早い時間に電話で起こされた。経営する雑貨店の店員が、朝番に入っているはずの彼の長女ケイティ(エミー・ロッサム)がまだ姿を現していないというのだ。仕方なく代わりに出勤したジミーは、口のきけない弟レイ(スペンサー・トリート・クラーク)と共にやって来たブレンダン・ハリス(トーマス・ギーリー)にケイティの不在について問われ、そうでなくても不機嫌だった表情を更に険しくする。悪い青年じゃないのにどうして嫌う、と訊ねる店員に、ジミーは言葉を返さなかった。
 ジミーと妻のアナベス(ローラ・リニー)がナディーンの聖体拝領式に参列していたその頃、ショーンは相棒のホワイティー・パワーズ(ローレンス・フィッシュバーン)とともに、ペニテンシャリー公園を訪れていた。早朝、匿名の通報により公園のそばで発見された車の内部は血で汚れ、シートには弾痕が残り、血痕は公園の奥へと続いていた。池に沈んでいる可能性を考慮し潜水夫まで動員しての捜索の果てに、古い熊の檻の底で息絶えていた少女を発見する。そこへ、ジミーとその義兄弟が駆けつけてきた。出迎えたショーンに向かってジミーは叫ぶ。「俺の目を見ろショーン、見つけたのか、俺の娘なのか?!」悄然と頷くショーンの前で、警官達に組み伏せられながら、ジミーは絶叫した……
 検屍のためにまだ帰らぬケイティの遺体を待つジミーの家に、友人や親類が集まった。ジミーの義兄弟に囲まれて居心地の悪そうな表情を浮かべる夫デイヴを遠目にしながら、セレステ(マーシャ・ゲイ・ハーデン)の心は落ち着かなかった。昨夜、午前三時に帰宅したデイヴは腹部をナイフで斬りつけられ、彼と彼のものではない血に服を汚していた。デイヴは強盗に襲われ、返り討ちに合わせた、殺したかも知れない、と語っていたが、該当する報道はまだ聞かない。セレステの胸中で、ケイティの死とデイヴの行動は重なり、彼女の心は千々に乱れていた。
 ジミーの指示により警察に先駆けるようにして関係者に接触する義兄弟の行動に翻弄されながら、ショーンとホワイティは着実に捜査を進めていく。ケイティはジミーの予想と思惑に反して、ブレンダンと交際し、殺された翌日の朝にラスベガスに家出する計画を立てていた。そのことと殺人に、果たしてどのような因果関係があるのか……?

[感想]
 原作付き映画で、ここまで完璧な出来の作品を観るのは何年振りだろう? 『羊たちの沈黙』ぐらいしか、咄嗟には思いつかない。
 大部の原作小説から枝葉末節を刈り落とし、必要なエッセンスのみを抽出しながら、これという名場面をすべて拾い上げている。例えば、ケイティの遺体発見現場近くに駆けつけ、ショーンの無言の返事に絶叫するジミー。吸血鬼映画になぞらえて自らの心の闇の片鱗をセレステに打ち明けるデイヴ。そしてラストシーン、華やかなパレードの影で進行する幾つものドラマ。
 とりわけ、脚本段階では削除されていたらしいパレードの場面をギリギリで復活させたのは慧眼だったと言えるだろう。メインは三人のかつての少年だが、同時に群像劇の側面もあり、事件を通して大きく人生を狂わせた人々が複数存在して、そうした人々が集結しまるでモザイクのように様々な表情を覗かせるこの場面は、ハイライトでありながら映像での表現が難しい。それを本編では実に滑らかに、しかし印象深く描いている。多くの傷跡を残した事件のあとで、半ば涙を流しながらパレードを追う人。その向こうである決意を固め泰然と列を見つめる人。終生ある人物と敵対する意志を示した人。二時間を超える物語のなかで描かれたものを見事に凝縮し、言葉では言い表せないほどの深みを讃えたラストシーンを演出している。
 ここを御覧いただければ一目瞭然だと思うが、本編の主要スタッフはほぼ全員、クリント・イーストウッドの前作『ブラッド・ワーク』からの持ち越しである。脚色のブライアン・ヘルゲランドはイーストウッド作品に限らず、『LAコンフィデンシャル』『ペイバック』とミステリ作品の脚色の巧さで定評を得ており、本編でもその点を評価されての再起用となった経緯があるが、他のスタッフはいずれも長年に亘ってイーストウッド作品に携わってきている。固定スタッフであるが故の安定感が、丁寧に練り込まれた脚本と、ほとんどがアカデミー賞のノミネートを受けている主要キャストの説得力に溢れた演技を得て、ふたたび『許されざる者』に匹敵する高みへと到達したと言えるだろう。
 いずれも癖が強く、大いなる鬱屈を孕んだキャラクターを演じるキャストにこれほどのメンバーが集ったことも成功の一因だ。メイン三人は言うに及ばず、重要な役回りとなる妻役ふたり、物語中ほぼ唯一と言っていい第三者であり、最も原作の設定からかけ離れたホワイティを演じたローレンス・フィッシュバーンまで、名前のあるキャラクターはひとり残らず印象的な演技を披露している。
 ……色々考えても、マイナスの点を論うことが出来ない。前夜に原作を読み終え、読者の期待が何処にあるのかによって印象が異なることを問題として挙げたものの、この映画は先入観を乗り越えるほどに映像の完成度が高く、恐らく同じ問題は起きるまい。仮にあのハリウッド的ではない結末に釈然としない思いを抱いたとしても、その深い余韻までを否定することは出来ないはずだ。
 原作、脚色、演出、演技、すべて一級の大傑作。本年度アカデミー賞最有力の声は伊達ではない。てか、ふたつぐらいは堅いと思う。

 鑑賞中ふっと思ったこと幾つか。
・ショーン・ペンの今回の役柄、まるで『I am Sam』をまんまひっくり返したみたいだ。
・そういや同じ劇場で昨日までかかっていた『コール』では犯人役だったんだよケヴィン・ベーコンは。
・更に言えば、ショーン・ペンの代表作のひとつ『デッドマン・ウォーキング』の監督がティム・ロビンスだった。……何が言いたいかって? さあ。
・ケイティの恋人・ブレンダンの口のきけない弟を演じている彼、どっかで観たことがあると思い、わざわざスタッフロールで名前をメモして(プログラムには掲載されてなかった)帰宅後調べてみたところ、『アンブレイカブル』でブルース・ウィリスの息子を演じてた彼だった。実は彼もけっこう巧い。
・脚本のブライアン・ヘルゲランドの新作『悪霊喰』は来週(2004/01/17)日本公開。たぶん短命なので気になる方はお早めに。本編とはそーとー方向性が違うっぽいです。

(2004/01/10・2004/07/09追記)


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