cinema / 『コール』

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コール
原題:“Trapped” / 原作・脚色:グレッグ・アイルズ(『24時間』講談社文庫・刊) / 監督:ルイス・マンドーキ / 製作:ミミ・ポーク・ギドリン、ルイス・マンドーキ / 製作総指揮:マーク・キャントン、ニール・キャントン、ハンノ・ヒュース、リック・ヘス / 撮影:フレデリック・エルムズ,ASC、ピョートル・ソボチンスキー / 美術:リチャード・シルバート / 衣装:マイケル・カプラン / 編集:ジェリー・グリーンバーグ,A.C.E. / 音楽:ジョン・オットマン / 出演:シャーリズ・セロン、ケヴィン・ベーコン、スチュアート・タウンゼント、コートニー・ラヴ、プルイット・テイラー・ヴィンス、ダコタ・ファニング / 配給:GAGA-HUMAX / 提供:Art Port
2002年アメリカ作品 / 上映時間:1時間46分 / 日本語字幕:林 完治
2003年12月20日日本公開
公式サイト : http://www.call-movie.jp/
丸の内プラゼールにて初見(2004/01/03)

[粗筋]
 ウィル・ジェニングス(スチュアート・タウンゼント)の操縦するセスナ機が湖から飛び立ち、翼を踊らせながら遠ざかっていくのを、妻のカレン(シャーリズ・セロン)とひとり娘のアビー(ダコタ・ファニング)は岸辺から見送った。麻薬医であり、その研究で功を遂げたウィルは、会議のために出張する機会が多い。普段から出来る限り家族との時間を取って欲しい、と懇願しているカレンだが、一般の医師に比べれば病院からの緊急呼び出しがない分遙かにましだと諦めていた。そうした夫の地位が、これから起きる事件の遠因だとは気づかずに。
 アビーとふたりで帰宅したカレンだったが、ほんの一瞬、目を離した隙にアビーの姿が見えなくなった。代わりに現れたのは、整った顔に嘲るような笑みを浮かべた男――ジョー・ヒッキー(ケヴィン・ベーコン)。まるで世間話をするような口調でジョーは、アビーを誘拐したことを告げた。アビーの身柄はジョーの従兄弟マーヴィン(プルイット・テイラー・ヴィンス)が預かっている。カレンはジョーの目を盗み、ウィルの隠していた拳銃を突きつけて、アビーの居場所を知らせるよう要求した。だがジョーは泰然と言い放つ。ジョーから三十分おきの定期連絡がなかった場合、躊躇することなくアビーを殺害するように指示がしてある。あんたは俺の言うとおりにするほかない。銃を奪われたカレンは恐慌に陥りながら叫ぶ。アビーは30分も保たない。彼女は重度の喘息を患っており、埃や些細なストレスでも発作を起こす。発作が三分半も続けば、命はない――
 一方、妻のいるオレゴン州ポートランドから遙かに隔たったシアトルのホテルにて会議に出席していたウィルは、部屋に戻ったところでひとりの女からの接触を受ける。最初はアバンチュールを求めるかのようにウィルにしなだれかかった彼女――シェリル(コートニー・ラヴ)は、「君なら50人でも男を捕まえられるだろう」というウィルの言葉に、「でも、アビーの父親はあなたひとりよ」と応えた。サイレンサー付きの拳銃で脅されてもまだ立場を理解できないウィルに、シェリルはジョーとの電話を仲介した。ウィルもカレンと同様、アビーの喘息のことを問題にした。ウィルと代わると、シェリルは電話越しに調査不足を詰る。
 ジョーはカレンに目隠しをさせた上でいったんマーヴィンたちと接触、薬の受け渡しを優先させた。男達の注意が逸れた隙に、カレンはアビーから情報を聞き出し、それとなく知恵を仕込む。一方のウィルもまた、状況の打開を画策していた……
 ジョーたちの計画は、ウィルが趣味とする絵画の購入を名目として、翌朝一番にカレンを銀行に向かわせ、25万ドルをシアトルに送金させる。シェリルに伴われたウィルが即刻出金し、しかるのちに三人を同時に、別の場所で解放する。既に四回、同様の方法で、警察に感づかれることなく身代金の強奪に成功したジョーたち一味だったが、彼らはふたつの重大な失敗を犯していた。ひとつはアビーの喘息を知らなかったこと。もうひとつは、ジェニングス一家の絆の強さと、勇気を侮っていたこと……

[感想]
 誘拐ものはミステリ・サスペンスの花形である。困難ではあるが、決定的なアイディアがひとつ生まれれば、サスペンスとしても謎解きとしても筋の通った、緊張感のある作品に仕上がる。
 本編でのそれは、親子三人を同時に軟禁する、という手法がそれにあたる。確かに、定期連絡という条件を武器にすれば、警察の介入は無論のこと、それぞれの裏切りや逃亡計画も制約することが出来る。シンプルだが確実なこの方法に、ややお約束ではあるが、誘拐される側に存在した持病という問題が亀裂を生じる。この破綻を契機に、予測不能のサスペンスを盛り立てることに腐心した、優秀な作品である。もとは小説であり、映画マニアであった著者自らが脚色を施したお陰もあるのだろう、心理戦の緊張感を全編に漂わせながら映像的な山場も盛り込んであり、1時間40分のほどよい尺のあいだまったく飽きることがない。
 喘息というキーポイントが中盤以降あまり機能していないことと、知恵比べというにはかなり被害者側に状況が味方している部分が多く御都合主義に感じさせてしまう点がやや弱いものの、観ているあいだそんなことを気にする余裕はあるまい。
 元々が恋愛ドラマを中心に、役者を活かすことを得意としてきた監督だけあって、人物の特徴付けと心理の描き方が非常に巧い。ジョーの知性的だが己を過信しており切れやすい一面を筆頭に、ストーリー進行に必要な造型が早いうちに把握できるので、感情移入するのも物語にのめり込むのも早い。それぞれが嵌り役となった役者たちの功績も無論大きいだろう。
 張りつめた心理戦のあと、クライマックスにはいかにも映画的な演出が待ち受けている。そこが少々乱暴すぎる印象があるが、このくらい派手にしても罰は当たるまい。何にせよ、上質な娯楽作品である。あまりにも堅実な仕上がりのせいで、却って書くことが見つかりません。

 それにしても、不幸な作品だと思う。プログラムなど目につく素材には直接書いてはいないが、どうやら撮影から公開まで(視覚効果などの撮影後作業が多くないにも拘わらず)本国で一年以上かかっていることに加え、その間に主要スタッフのうちふたりまでが故人となっている。更に、内容が児童誘拐にふれていることが問題になったとかで大した宣伝も行われなかったという(日本のことか本国でのことかは不明だが、どっちにしてもあまり大規模に広告は打っていない)。
 あまつさえ、日本では『I am Sam』のダコタ・ファニング出演作という点が前面に押し出されすぎて、内容を誤解されたような節がある。12月20日の公開からたった3週間で主要劇場を撤退する羽目になったのも、そーしたあたりが影響しているように思う。……気の毒に。ほんとによく出来てるのに。

(2004/01/03)


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