cinema / 『ブロークバック・マウンテン』

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ブロークバック・マウンテン
原題:“Brokeback Mountain” / 原作:アニー・プルー(集英社文庫・刊) / 監督:アン・リー / 脚本:ラリー・マクマートリー、ダイアナ・オサナ / 製作:ダイアナ・オサナ、ジェイムズ・シェイマス / 製作総指揮:ウィリアム・ポーラッド、ラリー・マクマートリー、マイケル・コスティガン、マイケル・ハウスマン / 共同製作:スコット・ファーガソン / 撮影:ロドリゴ・プエリト / プロダクション・デザイン:ジュディ・ベッカー / 編集:ジェラルディン・ペローニ、ディラン・ティチェナー / 衣装デザイン:マリット・アレン / 音楽監督:キャシー・ネルソン / 音楽:グスターボ・サンタオラヤ / 出演:ヒース・レジャー、ジェイク・ギレンホール、ミシェル・ウィリアムズ、アン・ハサウェイ、ランディ・クエイド、リンダ・カーデリーニ、アンナ・ファリス、ケイト・マーラ / リヴァーロード・エンタテインメント&フォーカス・フィーチャーズ製作 / 配給:WISEPOLISY
2005年アメリカ作品 / 上映時間:2時間14分 / 日本語字幕:松浦美奈
2006年03月04日日本公開
公式サイト : http://www.wisepolicy.com/brokebackmountain/
渋谷シネマライズにて初見(2006/03/04)

[粗筋]
 はじまりは1963年、ワイオミング州。
 季節労働者として牧場の仕事を探していたイニス・デルマー(ヒース・レジャー)は、経営者ジョー・アギーレ(ランディ・クエイド)のもとでようやく仕事にありつく。夏に放牧された羊たちの番を、ふたりひと組で行うというものだった。相棒となるのは、昨年に続いてこの仕事に就くことになったジャック・ツイスト(ジェイク・ギレンホール)という男。内省的なイニスに対して、やたらと陽気なジャックは微妙に反りが合わないような印象があったが、とにもかくにもこの夏は、彼と協力しながらブロークバック・マウンテンで過ごすことになる。
 仕事は単調で、それ故に過酷だった。とりわけ、法律との兼ね合いで羊番の担当は、食事の時以外は羊たちの近くで焚き火もつけずに簡易テントで過ごさなければならず、夏とはいえ凍えるほどに寒く不潔なテントで睡眠を取るのは体力的にも辛い。当初は調理の出来るイニスがベースキャンプに就いていたが、ジャックの消耗ぶりを見るに見かねて、たびたび交替するようになった。
 性格的には近しいところのなかったふたりだったが、長い間お互いの他に話す相手も頼る仲間もない、という状況で次第に絆を深めていく。ある晩、気晴らしのつもりで飲み始めたところが深酒になってしまい、夜明け前に放牧地に戻るはずが足取りの覚束なくなったイニスは、ベースキャンプで仮眠を取ることにした。ジャックに遠慮して火を落とした薪のそばで眠ろうとするが、毛布一枚ではとても耐えられず、ジャックに促されてイニスは狭いテントに一緒に潜りこむ。間近に触れ合ったことが、心の箍を外したのだろう――ふたりは熱い抱擁を交わし、一線を超えた。
 自分はストレートであるという信念に加え、夏が終れば町に戻り、アルマ(ミシェル・ウィリアムズ)という婚約者と一緒になることが決まっているイニスは翌日、あの一回限りのことだ、とジャックに告げる。ジャックも同意した。だが、ふたりのあいだに結ばれた絆と、この山奥深くでお互いが唯一の温もりである、という想いが、その約束を簡単に反故にした。
 しかし、夏とともに彼らの蜜月は終わりを告げた。別れ際にイニスは自分でも予測しなかった絶望に見舞われたが、それでもふたりは別々の道を辿っていく。
 イニスは予定通りアルマと華燭の典を挙げた。アルマ・ジュニアとジェニーというふたりの娘にも恵まれ、生活は楽ではなかったが、それでも幸せな日々を過ごしていた。
 一方のジャックも、幾許かの虚脱感に襲われながら、ロデオで日銭を稼ぎながら暮らし、そのうちに巡り逢ったラリーン・ニューサム(アン・ハサウェイ)と結婚する。間もなく子供にも恵まれるが、農耕機具販売会社の社長を務める妻の父は、ジャックを蔑ろにしており、ストレスを溜めていた。
 そうして、別れの日から四年後、イニスのもとにブロークバック・マウンテンの写真をあしらった絵葉書が届く。近いうちに訪ねる、という趣旨に胸躍らせ、その日は一日中窓際で心穏やかならぬまま過ごし、ジャックの姿が見えるなり家を飛び出し、熱い抱擁を交わす。熱情に促されるままジャックと唇を重ねていたイニスは、その様子を、先ほどまで自分が表を窺っていた窓からアルマが見つめていたのに気づかなかった……

[感想]
 ――まったく、どこからこの感激を語ればいいものか、悩まされる作品である。
 同性愛を真っ向から採りあげたドラマ、という側面からセンセーショナルな話題を振りまいている、と捉えている向きもあるだろうが、それはかなり間違った理解だ。確かに同性愛、それも男性同士の恋愛を物語の軸に据えた作品というのは珍しいが、むしろこの作品の評価されている点は、当初そういう趣味のなかった人間(と主張している)同士が絆を深めたことと相俟って関係するに至ってしまった様を描いていることと、恋愛を主題とした映画の多くが成就した時点で語ることを止めているのに対し、それ以降の煩悶に焦点を当てていることだと思われる。
 まずこの映画は、当初むしろお互いに距離を置いていた節のあるふたりが、他に頼る人間のいない職場において信頼関係を築き上げ、絆を作りあげていくところから描く。次第に気の置けなくなった様子を窺わせるために、カメラ手前にいる一方にピントを合わせ、背後で服を脱ぎ身体を拭いているさまを映し、またあたりを気にせず小用を足す姿に横目を向ける様子を覗かせる。あからさまと何気なさの微妙な境界を衝くような表現が、関係の変化を巧みに描いている。
 初めて一線を超える前後も絶妙である。互いの躰が触れ合う瞬間を演出し、しかしその場でも躊躇いと、急激に燃え上がる劣情とが複雑に入り交じる様子を表情や所作に埋め込む。一夜明けてイニスたちが眼にする光景と、そこで交わされる言葉もまた巧く、自分たちの身に起きたことに戸惑い、やがて受け入れていくさまが、むさ苦しい彼らの見た目に似合うのが不思議なほど繊細に、しかも美しく描き出される。
 だが、そんななかにも、やがてふたりをそれぞれに縛り付ける現実の伏線が随所に鏤められており、四年後の再会という折り返し地点を経て、強い軛となって急激にふたりを締めつけていく。重要であるのは、ふたりは嗜好が同性愛に限定されているのではない、という点だ。
 ジャックはイニスとの関係を契機に早くから自らの同性愛傾向を認め、アプローチをかけたり後年には男娼を買ったことを匂わせる場面もあるが、きちんと女を愛し、結婚した妻とのあいだに一子を儲けている。イニスに至っては、ジャックと関係を持ったあとも、当時婚約者であり、のちに妻となったアルマに配慮している様子が色濃く窺われる。ごく一般的な父親らしく我が子に対する配慮も欠かしていない――ただ、熱烈な様子を見せないために、ある報を聞いて駆けつけたジャックを追い返す、という形で表現されるのが皮肉である。
 そうして、世間における同性愛というものへの白眼視と、当人たちの意識の違いを織り込みながらその実、物語は通常の男女間の恋愛でもあり得る軌跡を辿っていることに注目して欲しい。別れのあと、築きあげた生活基盤に縛り付けられ、思うように身動きできずにいるイニス。ジャックは随所で彼との理想の暮らしを説いてみせるが、かつて自らが口にした牧場経営の夢と一緒で、そこには現実感が伴わない。すれ違いを重ね、歪みを作りながら、どうしてもお互いを振り捨てることが出来ない。こう解体していけば明瞭に、骨組み自体は男女間のそれと変わらない恋愛の顛末であると解る。
 だから、本編の真に優れている点は、同性愛というものを特異に扱うことなく、本来の恋愛映画の枠組みに当て嵌め、その上で心を揺さぶる情景を積み重ねていったことにこそある。
 一目で解るような大きな波ではなく、次第に盛りあがり膨らむ海面を描くように着実な筆致で物語を進めていき、そして終盤に怒濤のように決定的な場面が繰り返される。終盤三十分、それまでの出来事を凝縮するようなシーンの数々は、まさに圧巻である。これからご覧になる方のために詳述は避けたいと思うが、それでも言い添えておきたいのは、別れの場面で一瞬、過去の記憶が混ざる場面が、個人的には特に胸を打たれたということ。あれこそ、本作の底に流れる主題を簡潔に明確に、衝撃的に描き出した珠玉のワンシーンだとさえ思う。恐らく観る側が泣くとすれば、このあとの幾つかの情景である、と承知しながら。
 本編で描かれるシチュエーションはあまりに生々しく、しばしば露骨でさえある。にも拘わらず、ほとんど腥さを感じさせず、いっそ清潔な印象さえ齎していることがまた素晴らしい。それは本編の眼差しが、彼らの身に起きることを決して遠い世界の出来事とはせず、身近なものと解釈し、親身になって敬意を表して描いているからだろう。その背景に、あの素朴だが広大で息を呑むほどに美しいブロークバック・マウンテンの情景を重ねている点もまた重要だ。息苦しくなるほどの熱も、吐き出したくなるような苦さも、決して失いたくないと感じさせてしまう甘さも、あの広大な自然が鷹揚に受け入れ、包み込み、明確にしかし奥深く象徴する。
 個人的に、ここ数年に鑑賞したなかで最も意欲的で質の高い恋愛映画は『エターナル・サンシャイン』だと思っている。だが、物語の構造自体に仕組まれたアイディアとの合わせ技で完成度を高めたあちらに対し、本編は直球で「人を愛する」ということの苦しみと喜びとを扱い、その苦悩をリアルに描きながら最後には感動にまで持ち込んでしまった、という点で、恋愛映画として更に頂上へと駆け上った、と感じる。
 これを書いている現時点で、第78回アカデミー賞に最多となる8部門でノミネートを受けているが、獲得するオスカーの数に関わりなく、間違いなく、恋愛映画の分水嶺として歴史に残る傑作であると断じたい。

(2006/03/05)


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